第23話 君の安眠、私の安心

「うえぇえ〜い…」

「はい。お疲れ様〜」


部屋に入った瞬間、抱え込んだ大量の資料が詰まった箱を持ったまま遠慮無く床へと崩れ落ちる。その奥には同じ様な箱がまたいくつかチラホラと。

教師の呑気そうな労いを横に、箱に乗せた頭は不快な汗で既にびしょびしょである。

申し訳なさそうな顔をしているがその実、この鬼のような量を俺一人に運ばせたのだ。決して騙されてはいけない。


「次からは奴にやらせてくださいよ…。いるでしょ、この町が誇るお手伝い大好きっ子が…」

「最近それやりすぎると睨んでくる怖い子が傍にいるのよぉ…。…それに今月もうデッドライン超えちゃったしね…」


俺達の頭に浮かぶ自己犠牲精神旺盛な良い子ちゃんなクラスメイトの姿。最近はその隣にスラリとした長身がもう一つ浮かぶようになっているけれど。

そしてそれに言及したであろう台詞に添えられた、ボソリと最後に小さな声。いや聞こえてますって。それは貴方の怠慢でしょうよ。くそう。目と目が合ってしまったがためにこんな大荷物を運ばされる羽目になるとは。実についてない。


「とにかく。もういいですかね先生」

「はいはい。ありがとね〜」


息を整え、手を振る先生に背中越しに腕だけ上げて応えると、ふらふらと俺は病人の如く扉へと歩を進める。

汗が気持ち悪くてたまらない。…せめて顔でも洗ってくるか。今はとにもかくにも涼が恋しい。一刻も早くエアコン様の元へと馳せ参じなければ。っぱ時代はエアコンよ。今日もこの星が悲鳴を上げる。そろそろウェポン起きるんじゃないの。


…ああ駄目だ、湯だった頭では馬鹿なことしか考えられない。







そんなこんなで一通り汗も引いて。

ぼちぼち俺は待ち人のいる図書室へとやってきていた。見たところ人はまばら。勉強熱心な生徒達の資料をめくる音だけが時々聞こえてくるくらい。そんな空間の一角に彼女はいた。目立ちにくいスペース。なのにすんなりと見つけられたのは、俺があいつのことを何でも知っているから…。…嘘です。さっきメールで知りました。


「お疲れ様。賢くん」

「お〜…」


階段の横に備えつけられたベンチに行儀良く足を揃えて座る我が幼馴染兼恋人は、例の如くふわりと暖かな笑みを浮かべて俺を迎える。どっかとその横に座り込むと思ったよりも大きな音が鳴ってしまい、思わず身体を竦ませる。カウンターの司書のお姉さんがじとりとこちらを向いた。申し訳ないです。謝罪の意を込めて頭を下げる。


「暑い…助けて志乃えも〜ん」

「てれれてってれー。ゔぢわ゙ー」

「前時代〜」

「仕方ないなぁ賢くんは」


ぱたぱたとの◯代派の志乃が俺を扇ぐ。有り難いがまだちょっと肩身が狭いのですぐ止めた。これだけ静かだとそのぺこぱこ音もちょっと気になるからね。

苦笑する志乃と二人、並んでただ座っているだけの静かな時間。冷たい風が疲れ切った俺の身体を癒やしてくれる。

時々訪れるこの時間は割と、いや、まぁかなり好きだった。

目を閉じて人工の風に浸る俺のことを志乃はくすくすと楽しそうに笑っている。


「…何読んでたんだ」

「この町に古くから伝わる摩訶不思議について」

「そんなのあるのか」

「どうだろうね」

「どっちだよ」


互いにはっきりしない、ふんわりとした意味深そうで多分意味の無い会話。

そんな摩訶不思議神様的存在がいるなら是非会ってみたいものだ。願いはたった一つ、どうか彼女が健やかに。それだけ叶えてもらえればいいんで、なんて偉そうにどの口で。


だらだらと声を抑えた歓談は暫し続いたが、そんな呑気トークは俺のだらしなく大口開けた欠伸によって、いつしか中断されてしまう。


「眠い?」

「いや…」


口ではそう言いながらも、頭はうつらうつらと舟を漕ぎ始めていることが何となく分かってしまう。…まずったな。昨夜は繋やら総護やらとむさい面子で盛り上がりすぎた。楽しいよ◯鉄。良い子の皆は夜更かしは程々にね。お兄さんとの約束だぞ。

瞼が閉じて、開いてまた閉じて。そんな滑稽なせめぎ合いは次第に閉じる方へと戦況が傾き始めて……


…………。


………………。











「賢くん?」

「………」 

「ありゃりゃ」


肩に寄りかかる重みがゆっくりと増した。

あ、眠そうだな、というのはとっくに気付いていたけれど、いつしか私の声にも返事を返さなくなった彼の顔をそっと覗き込めば、子供の様に幼い寝顔。


「…ふふ……」


昔を思い出すその光景に思わず笑みがこぼれて、つい携帯に手が伸びてしまったけれど、すぐにここが図書室だということを思い出して自制する。うーん、勿体ない。


「…………」


取り敢えず網膜にがっつり焼き付けておこうかなと、無理な体勢で凝視していたのがいけなかったのか、肩に乗っかっていた彼の頭が徐々にずり落ちて


「お」


ぽふっ。私の胸に正面から埋まった。この暑い時期、薄手の布地では彼の感触や息遣いがはっきりと感じ取れてちょっと……うん。ほんのちょっと変な気分になってしまう。ほんとにほんのちょっと、ね。

最近は割りと慣れ親しんだものだけれど、そこに彼の頭があることが嬉しくて。静かに私も顔を寄せると、彼の髪に顔を埋めてその匂いを堪能する。先程まで力仕事をしていたからか、ふわりと香る汗の匂い。2、3度深呼吸して気付いた。あれ?私そこはかとない変態では?


「ん?」


そしてまた気付いた。僅かにだけれど視線を感じる気がする。頭に顔を埋めたまま、思わず私も視線だけを静かに動かす。


「…………」

「……ぁ……」


冷ややかな無表情で私を見る後輩の女の子とばっちり目が合った。


…いや、そう見えるだけで別に冷たい子ではない。大切なお兄ちゃんのために頑張れる一生懸命な子なのだ。…だから違うよね?そんな冷ややかな目で私を見るような子じゃないよね?そんなひ、冷ややかな……、冷や……汗が止まらない。おかしいな。


きっと通りがかった人は何事かと思うだろう、胸に抱え込んだ男の頭に顔を埋める私とそれを無表情で眺めるクールビューティ。互いに見つめ合う無言の時間。


「あ」


彼の頭が私の胸をむにゅりと歪めながら落下して膝の上へと落ちた。一瞬、苦しげに呻いたけれど、私の膝が気に入ったのかそれは直ぐに安らかな寝息へと変化した。


それを見ているとふっと身体の力が抜けて、先程までの笑みがまた戻って来る。

自然と余裕を取り戻した私はいつも通りの笑顔でもう一度彼女と向かい合って


「しー……」


唇に人差し指を立てて、あまり慣れないウインク一つ。ちょっぴり恥ずかしかったけれど、察しのいい彼女は無言で頷くと静かに向こうへと消えていく。うん、良い子。………助かった。


…顔が熱いなぁ。持っていた団扇であまり音を立てない様に静かに顔を扇ぐ。

そればかりに気を取られていて気づかなかったけれど、もう片方の手は彼の頭をそれはそれは愛おしそうに撫でていたと、実はまだ去っていなかった彼女から聞いたのはもう少し後の話。


「………」


すやすやと気持ちよさそうに惰眠を貪る彼の横顔。私の愛しい人。固そうな頬を何となく突いて、摘んで、擦って。うん。凄く楽しい。不思議と心が温かくなる。


一通り堪能して大変満足した私はちらりと辺りを窺った。

右よし、左よし。司書さんも今は……いない。よし。


ゆっくりと、眠る彼の頬に誘われる様にそっと──


………


……………







「はっ!」


心地よい頭の下の柔らかさと、頭を撫でる優しい手付きで、自分が寝ていたことに気付いて意識を取り戻す。

完全にやらかした。まさか校内でがっつり眠り込んでしまうだなんて。しかも頭に感じるこの感触はまさか。


「起きた?」

「っ」


見上げれば2つの山脈…じゃなくてこちらを優しく見つめる幼馴染の顔。何がとは言わないがその素晴らしい景色と、幼子をあやす母親のような慈愛の満ちた表情についつい甘え…よりも気恥ずかしさが勝り、素早く俺は身体を起こした。まだばぶみ落ちするような年じゃない。


「あ」

「すまん…完全に寝てた」


ちょっと不満そうな彼女の声には気付かないふりをして。

思いの外勢いが付きすぎた身体がベンチにぶつかりガン、と音を立ててしまった。しまったな。また司書のお姉さんに怒られる。そう思って、ビクビク震える小動物の様に情けない俺は思わずカウンターの様子を窺ってしまう。


「……ん?」


睨まれているかと思いきや、何かめっちゃ微笑ましそうな顔でお姉さんがこちらを見ていた。

何やらこそばゆそうにふにゃふにゃ笑う志乃と、分かりあった様に視線を交わす二人が少々気になったけれど、どうやら怒ってはいないらしい。


「…俺が寝てる間に何かあったのか?」

「んー?」


ニコニコ。楽しそうに彼女は笑っている。その仄かに色づいた笑みに含まれた悪戯成分を俺は見逃さない。恐ろしく薄い成分。俺でなきゃ見逃しちゃうね。じろりと、ちょっと睨んでみても彼女はどこ吹く風。寧ろ笑みは深まるばかり。


「志ー乃」

「知り合いにたくさん見られちゃったねって話」

「……何?」


聞き捨てならない不穏な台詞。聞けば、俺が寝ている間に繋やらヒナやらが偶然通りがかったと。前者は微笑ましく、後者は俺を恨めしげに睨み、最終的に顔に落書きしようとして何故か司書のお姉さんに連行されていったらしい。何で?


「ああくそ…完璧にしくったな…」

「私は見られながらはちょっとやだなぁ。ハードル高いかも」

「何の話だ」

「何の話かな」


楽しそうに肩を揺らす志乃。…まぁ、君が楽しいなら別にいいんですけどね。

ぼちぼち本を片付けて荷物を持つと、俺達は二人横に並んで出口へと歩き出した。いつもの俺達のスタイルである。


「…お邪魔しましたー……」

「賢くん、商店街でコロッケ買ってこうよ。後駅前でね─」


ちょっと肩を小さくする俺と、楽しげに指を立てて一つ一つ予定を話す志乃。

すれ違いざまに俺達に微笑む司書のお姉さんのその笑みだけが、最後まで妙にむず痒かった。






「…何かあの人羨ましがってなかったか?」

「ふふ、そうかもね」

「…彼氏いないのかな」

「そういうとこだよ」

「え、ご、ごめんなさい……」

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