第19話 想いの吐露

「あ」

「ん?」


下駄箱を開けると同時に隣から聞こえてきた間の抜けた声。

幼馴染にしては珍しいその声に、何気なく俺も顔を向ければ。


「……あ」


彼女の手には一枚の手紙。既視感のあるその光景に俺も思わず間の抜けた声。


「…ということみたい」


いつもと違う、何処か困ったような笑顔で笑う彼女に、俺はどういう顔を見せていたのだろうか。







「はぁ」


人気の少ない裏庭の日陰に溜息を吐きながら寝っ転がって、天を仰ぐ。

こちらの心境など微塵もお構いやしない、雲一つ無い爽やかな青空が視界に広がって、誰にともなく舌打ちをした。


「まずいな…」


実のところ、幼馴染がそういった呼び出しを受けることは珍しいことではなかった。そして、ちょっと前の俺なら軽口を叩いていたくらい見慣れた光景だったはずなのに。


「………」


いい加減……。いい加減、ということだろうか。腹を括れと、目を反らすなと言われた気がした。むしゃくしゃして、雑に頭を掻きむしる。将来が心配なのですぐ止めた。


「はぁ」


追加で溜息もういっちょ。その時だった。ざくざくと、土を踏む音が複数近づいてきた。


「(珍しいな)」


お気に入りの穴場スポットだったのに。

しかしどうやらそこまで奥に踏み入るつもりはないのか、足音は自分が今いる角に到達する手前で止まった。


「………」


ほんの興味本位。そーっと、そ~っと角から顔を出してみる。


「……げ」


そこにいたのはまさかの幼馴染と、馴染みの無い男子。

何やら神妙な雰囲気で向かいあっている。


「いや、何やらじゃないけど…」


十中八九、ここで告白するつもりなのだろう。…いやまさかの。ここでか〜。

人気の無い所にあまり行くなと口酸っぱく言っていたはずなのだが、まぁ、状況が状況だしな。勝手に納得させて。


そっと身体を戻す。部外者が勝手に聞いてはこちらとしても気分のいいものでもない。あくまでこれはあいつら二人の問題なのだから。


そう思っていたけれど。






『───』

『────』




「…長いな」


それなりに時間は経ったはずだけれど、向こうからは依然としてボソボソと声が聞こえてきていた。

…そしてとっくに気づいている。それが告白という響きにはいささか似つかない、あまり穏やかなものでは無くなりつつあることも。


さて、どうするか。


いつでも動き出せる準備をして、申し訳ないがもう一度隅から顔を覗かせたその時。




『賢くんを馬鹿にしないで』




押し隠せない怒りに満ち満ちた、そんな低い声が聞こえた。

誰の口から発せられたのかを理解して、思わず背筋がぞくっとして。あまりの衝撃に一時停止した身体に鞭打ってもう一度だけ覗く。


「(おおう……)」


どこまでも冷え切った、感情という感情を削ぎ落とした、笑顔など欠片も無い彼女の顔がそこにあった。


「(久々に見たな……)」


どれだけ努力しても普通の人の様に『当たり前』を共有することの出来ない自分に対する苛つきと、そんな自分にこそ起こる自己嫌悪で何もかもを拒絶しようとしていた幼い頃の彼女の姿。それは自分だけでなく、俺や姉ちゃん、志乃のお母さんまでも傷つけて。その後、志乃がどれだけ後悔していたかを俺はよく知っている。


だから彼女は仮面を付けた。妥協して、自分を無理やり受け入れて、誰にでも分け隔てなく接する事のできる、病弱だなんてとんと気にかけさせない『当たり前』に優しい月城志乃を演じるために。


『あなたに私達の何が……!!』


俺もいつしか忘れそうになっていた。彼女の笑顔は寂しさの裏返しなのだと。

そばにいると誓ったくせに、無意識にその優しさに甘えてしまっていた。


無論、相手にしてみればそんなこと知ったことではない。

いつもニコニコしていた彼女とのあまりのギャップに暫し呆けていたものの、そこからは早かった。ついなのか逆上したのかは知らないが、男子生徒が志乃に手を伸ばして。


「そこまでだ」


そして身体は勝手に動いていた。


知らん男子生徒が苦しそうに顔を顰めながら、腕を掴んだ俺の顔を睨みつける。…まあ、そうだよな。今まさに馬鹿にしていた奴がしゃしゃり出てきた上に舐めた真似されちゃそっちも気に入らないよな。


でも、俺もちゃんと抑えてるからさ。頼むよ。


「もういいだろ。それ以上はお前のためにもならない」


はっとした男子が、ばつの悪そうな顔をして俺たち二人の顔を見やる。

腕から力が抜けたことを確認して、俺もゆっくりとその手を放した。

…そこまでたちの悪い奴でなくて良かったというべきか。これがもし関君みたいな猛者だったら俺漏らしてたねきっと。


「な?ここは穏便に…」


俺の腰の低い説得に応じてくれたのか、何故か震える男子は志乃をチラリと見て、ボソリと一言謝って大人しく去っていった。依然として志乃さんは男子を殺す気で睨んでましたけどね。


げし。


しかしまぁ、何だ。ちゃんと謝れるじゃないか。それはそれとして俺を馬鹿にしてたらしいのはしばらく引きずるけど。あー傷ついた。泣きそう。


げし。


「痛いんすけど」

「まだ心へし折ってない!!」

「へし折る必要無いんすよ」


今まさに俺の脛を物理的に傷つける人間兵器は、込み上げる憤怒を抑えることが出来ないのか、どすどすと地面を何度も踏んづけている。痛て。じゃあ地面でいいじゃん。合間に俺の脛挟まなくていいじゃん。痛った。

さっきみたいに手出されたら君の負けでしょうに。痛いっ。


「賢くん馬鹿にした!」

「別にいいだろ」

「良くない!いいわけない!!」

「気にしてないって」

「へし折る!!」

「へし折らない」


先に俺の足がへし折れるんですけど。やめてよ。

か細い脚にそっと手を当てて、志乃の顔を覗き込めば彼女は涙目で俺を睨みつけていた。

…昔みたいな膨れっ面が懐かしくてつい吹き出して。志乃の濡れた眼光がより鋭くなる、が


「げほっ!…げほっ……!」

「志乃」


緊張か、興奮か。昂ぶりすぎた志乃が胸を押さえてしゃがみ込む。

だが、苦しみを怒りが凌駕しているのか、ばんばんと苛立たしげに彼女は己の膝を拳で叩いている。

その間に手を差し込んで包み込む。それすら気に入らないのか、彼女にまた睨まれた。


「…お前もさ、あんまりほいほいこんな所に付いてくるなよ」

「……いいの」

「いや、良かないよ」

「…賢くんいるでしょ」


……ああ、なるほどね。

その何気ない言葉で大体を理解した。


「ここには着いてきたんじゃなくて、お前が連れて来たってか…」

「…何か嫌な予感したから」


多くは語らない。ただ、全幅の信頼を寄せられていることが嬉しくて、くすぐったくて。

そしてこの一件で思い知った。俺がいつまでも煮えきらない態度でいれば、こういうことは何度だって起こる。けれど、何度だって起きても志乃は俺じゃなくちゃ駄目で、俺は志乃じゃなくちゃ嫌なのだから、結局答えは一つしかない。己の馬鹿馬鹿しさに呆れてしまう。それはこんなにも単純なことなのに。


「…なあ、志乃」

「…でも失敗した。賢くんがいなかったらへし折ってたのに!!」

「俺と付き合ってくれないか」

「……………へ……し………、……ぇあっ?」


地団駄を途中で無理やり停止した、中途半端で実に奇妙な動きで志乃が固まる。

ぱちくりと、素っ頓狂な顔。彼女のこんな顔を見れるのは今日が最初で最後なのではないだろうか。


「嫌かな」

「……………」


暫しの沈黙。

へにゃへにゃと、彼女が地面に座り込む。顔は下を向いて、長い前髪に隠された顔色はとんと窺うことができない。


「、……、し……」


ぼそっと。今にもかき消えそうな声が、微かにだけど確かに届いた。俺は一言一句逃さない様に、彼女を真っ直ぐ見据えて鼓膜に全意識を集中させる。


「………………………………私」

「うん」


「どうせ、賢くんよりも早く死んじゃうよ」

「お前を残すよりはよっぽどいい」


「赤ちゃんだってどうせ…」

「子供が欲しくて言ってる訳じゃない」


「意外とすぐ怒るし」

「俺のために怒ってくれたのに嫌う訳がないだろう」


「嫉妬深いから、再婚とかしたら化けて出るかも」

「それはしなくても出てきてほしいんだが」


「あと、えっと、…んや…」

「志乃」


顔を小さな掌で覆いながら、何度も何度も身を捩る彼女の名を静かに呼ぶ。

ビクン。たったの一言にそぐわない彼女の過剰な反応。


「俺は志乃がいい」

「……」

「志乃は「賢くんがいい」」


食い気味の、けれどはっきりとした力強い声。

そっと手を包んで、どかす。見つめ合った彼女の潤んだ瞳と、真っ赤な顔は先程までと比べるまでもなく─


「動物園も、水族館も、ホラー映画もお祭りも初めても、賢くんがいい」

「……そうか」

「どんなことでも、賢くんがいい。賢くんとしたい」


何かちょっと妖しかったけど、それは確かな彼女の答え。


「…好き」

「うん」


シンプルすぎる言葉に思わず苦笑する。そっと右手を差し出せば、太陽の様に笑顔を輝かせて彼女が両手でそれを握りしめる。


「志乃。俺も─」


それ以上言葉を紡ぐことはできなかった。開こうとした口は勢いよく抱き着いてきた彼女によって塞がれてしまったから。あまりの衝撃に情けない姿勢で固まる俺の身体。けれどお構いなしに彼女は背中に手を回して、ぎゅうぎゅうと柔らかな身体を強く押し付けてくる。


一瞬とも、永遠ともとれる夢のような時間が過ぎて、少し離れた彼女の口から細い糸が光って切れた気がした。ちょっと誤解してしまいそうなくらい恍惚とした顔で、志乃は俺の胸に顔を埋めるとスリスリと頭を擦り付ける。


「好き。大好き…」


スリスリ。スリスリ。くんかくんか。………くんかくんか?


「……あの…がっつきすぎではないでしょうか」

「もう、そこは俺もだよハニーって言わなきゃ。そういうところだよ。」


言おうとしたけど、貴方に食われたんですよ。いやハニーはないけど。

そんな俺の言い訳など、今さら言える筈もなく。


「ずっとずっと一緒にいようね賢くん。幼馴染じゃなくて、恋人、…夫婦として」

「気が早い」

「遅いくらいだよ」


腕の中から上目遣いで俺を見つめるその笑顔は、涙でぐしゃぐしゃだったけど。




今まで見たどんな顔よりも可愛いと、呑気にそんなことを思った。



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