最終話 誓い

「賢くん」


陽光よりも輝く笑顔で、後ろから志乃が俺の首に手を回してぎゅっと抱き着いてくる。




ざわっ




教室で。


「志乃」

「なぁに?」


むにむにと後頭部に伝わる柔らかな感触をそれとなく堪能しながら、けれど一切表に出すことのない絶対なる鉄面皮で、俺は平静を装って彼女に声をかける。


「気持ちいい?」

「……………」


ばれてーら。


「触りたい?」

「志乃」


ここ教室なんですよ。皆凄い顔で俺達のこと見てるんですよ。

無表情で押し付けられてる俺と笑顔で押し付けてる君のこと凄い見てるんですよ。


「賢一……」


何か凄い慈愛に満ちた顔で繋は俺のこと見てくるし。


「志乃……」


何か凄い羨ましそうな顔でヒナは志乃のこと見てるし。


「どすこい……」


凄い…何かありがとう関君…。君のその言葉だけで俺は救われる……。


「いいんだよ賢くん。私、君の彼女なんだから。私の全部、賢くんの好きにしていいんだよ……?」


耳元で。何とも魅力に満ち溢れた言葉を何処か艶っぽく囁く幼馴染。いや俺の彼女。


「ふふ。好きだよ…」


志乃さーーん!!ここ!教室なんですよぉ!

スリスリと、俺の頭に志乃が幸せそうに顔を擦り寄せる。

ぷるぷると、俺の身体は絶望に打ち震えている。今日、俺生きて帰れるかな。


「…いきなりどうした。どうしたいきなり…」

「…牽制」

「は?」


ボソリと呟いた言葉は、一瞬すぎて聞き取れなくて。


「ね、賢くん。私は賢くんのものだよ」

「お前はお前のものだと思う」

「なら賢くんも私のものじゃないと」

「俺は俺の「だからね?」はい」 


「マーキングするの」


そんな言葉と同時に俺の頬に柔らかな感触。

周囲から上がる歓声と悲鳴と野次と何かよく分からない言語。


「……」


ちらり。志乃が教室の入口を見た。つられる様に俺も。…誰もいない。

小さな溜息をついて、志乃が上から俺にだらりともたれかかる。


「…嫌な女だなぁ……」

「はぁ?」

「賢くん。…本当に後悔しない?」


掠れたか細い声が耳元から聞こえてきた。けれど言葉とは裏腹に回された手に込められた力は依然と、いや先程よりも強い。まるで離さないと言わんばかりに。


「する」

「え」

「って言ったらお前は離れるのか?」

「………」


ぎゅ。もっと強くなった。


「私のだもん…」

「ならもっと大切にしろよ」

「してますよー…」


絶賛、生命の危機なんですが。明日の朝日を拝めるかも怪しいんですが。

取り敢えず男子諸君は手に持ったカッターとかコンパスはしまうべきだと思うんだ。暴力、ダメ、絶対。


「賢くん」

「はい」

「今日も部屋に行くね」


わざわざまたまた。唇が掠るくらい耳に顔をうんと寄せて。もう、わざとだろ。恐怖が限界を超えて俺そろそろ漏らしちゃうよぅ。君は気づかない?このエグいくらいの全方位殺意。気づかないんだろうなぁ。そういうところあるもんね。


「一緒に寝る?」


永遠の眠りっすか?俺はまだこの素晴らしき世界に未練あるので遠慮します。…少なくとも卒業までは。


「…寝ない」

「じゃあその分くっつくね」


じゃあって何が?再び柔らかい感触と花のようないい匂いに包まれながら、俺は生き延びるための策を回らない頭で必死に練るのだった。







「お姉ちゃんとお母さん、今日はカラオケでオールするから。喉潰れるほどに演歌熱唱してくるね」

「いらない情報をどうもありがとう」


「賢くんもオールしていいのよ…?」

「いらない気遣いをどうもありがとう」


俺と志乃が付き合い始めたという情報をご近所ネットワークで勝手にキャッチしてからというもの、目に見えて浮かれまくっている姉ちゃんは今日もテンションが高い。

二人きりにしようとする動きが露骨すぎて、逆にこちらとしてもやりづらいことこの上ない。


「する?」

「………」


隣で寛いでいた志乃が笑顔で俺の顔を覗き込んで一言。皆さん想像してください。家族が一致団結して逃げ道を塞ごうとしてくるこの気まずさを。


「すると言ったらどうする気だ」

「え」

「わお」


決まった。俺の華麗なカウンター。志乃の笑顔が固まり、姉ちゃんの笑顔が深まる。


「えと、あの、えへ。あ、下着変えなきゃ」

「志乃ちゃん志乃ちゃん。こないだ買ったあれだよ。すっけすけの「しない!!」えー…」


クロスカウンターなんて聞いてないよ。


「賢くんそれはダメよ」

「そういうとこだよ」

「」


くそう、ここぞとばかりに連携しやがって。

あのね?そういうのは然るべき手順と雰囲気があって初めて成立するんですよ。

じゃあしよっか、みたいな感じでいきなり押し倒されたところで育める愛なんて無いと思いませんか?……いや、悪くないな…。


だからその脇腹をまさぐる妖しい手を引っ込めてくれませんか。逆だったらセクハラですよ。自分がされたら果たしてどう思いますか。


「〜♪」


…寧ろ喜ぶんだろうなぁ…。それほどまでに今の幼馴染は何とも楽しそうな笑顔だった。







「ホラゲーでもするかな」

「恋人がいるのに」


部屋に戻って。当然の様に志乃が付いてきて、押され気味な状況をひっくり返すため、苦し紛れに俺はゲームを起動した。


口を尖らせながら、志乃がいつものように俺の隣に


「お邪魔します」

「は?」


俺の膝の間に座る。


「…………」

「御構いなくー」


この野郎。挑発のつもりか。そっちがその気ならやってやろうじゃないか。志乃を抱くように手を回してコントローラーを持って


むに。


「……ん……」

「………………………………………………………………………………」


………ま、この程度で揺らいでしまう賢くんではないですよ。なんたってプリティスナイパー賢くんと一部の界隈で呼ばれる程のスナイピングテクニックを持ってますからね。


そして十秒後、ゲームオーバーの文字がそこにあった。


「ありゃりゃ」

「きょうはちょっとちょうしがわるいかな。べつにりゆうはないけど、そういうひかな」

「ふ〜ん?」


ニヤニヤとした顔で俺を見る志乃。直後、身体の向きを入れ替えると俺の膝を跨ぐ形で向かい合ってくる。至近距離に迫る、愛らしい笑顔。


「可愛い彼女を構ったら治るんじゃないかな」

「……はしたないですよ」

「大丈夫。賢くん限定のはしたなさだから」


それは大丈夫とは言いません。体勢が気に入らなかったのか、志乃がほんの少し身じろぎして姿勢を変える。それだけで柔らかい感触が色々と下半身に伝わって。…あ、まずいな。これは色々とまずいな。まずいというかやばいな。


「どうかした?」

「べっつにぃ………」


分かってやってる…訳ないよな、流石に。俺は志乃を信じてるぞ。君は穢れを知らないピュアなエンジェルだって。

なればこそ、俺が先走って傷つけるなんてことはあってはならない訳で。


「ね」

「………」

「オール、する?」


首筋に顔を埋めた志乃の、何とも魅力的な提案。俺はそれを。それを……。………。


「………」

 

姑息にも黙り込んだ俺が気に入らなかったのか、志乃が俺の首に噛みついた。

ちゅう、と小さな音を立てて俺の首に走る小さな痛み。これは俗に言う


「うん。上出来」

「……ぉい」


口を離した志乃がペロリと舌なめずりして満足そうに頷いている。それだけで自分が何をされたのかをはっきりと理解して。

…流石に俺も些か度が過ぎていると思わざるを得ない。こうなったら彼女のためにも、一度痛い目を見てもらわなければ。がっと志乃の腕を掴むと、怖がらせることを意識して眉間に力を込める。少々気は進まないが、掴んだ腕にも力を込めて。


「…あんまり悪さするようなら…」

「どうするの?」

「………どうっ…て………」


ニコニコ。全く意に介していない笑顔が目の前に広がっていた。


「めちゃくちゃに、しちゃう?」

「っ」


唇に人差し指を添えて、挑発的な濡れた瞳が俺を貫く。彼女の望みをはっきりと理解して。


互いの顔がゆっくりと近づき合う。…そして。






「「!!??」」






机の上の携帯がけたたましく鳴り響いた。

一瞬にして我に帰る俺。不満げな志乃を抱いたまま、その奥の携帯に手を伸ばす。

…これ幸いと彼女が胸に顔を埋めてくる。


「繋だ」

「……………」

「あ」


その言葉を聞いた瞬間、志乃が俺の手からすっと携帯を奪い取り、代わりにボタンを押した。


「はい、陽向」

『あ、もしもし賢一?今暇?一緒にゲーム……ん?月城さん?』

「星野君」

『え?あの、えっと賢一は……』

「ねえ。星野君」


志乃さんは笑っているはずなのに、その手の中でメキメキと俺の携帯が悲痛な悲鳴を上げている。やめてよ。可哀想だよ。


『あれ……何か……怒ってる?』

「うん」

『え』

「果てしなく怒ってるよ」

『え』

「へし折る」

『え』


ポチ。志乃がさっさと電話を切る。


そしてもう一度向かい合って。


「賢くん。続き」

「できると思うか」

「だよね」


俺の言葉を聞いた瞬間、志乃が大きく肩を落とす。……


「え」


その一瞬の油断をついて、これまた一瞬、本当に一瞬だけ、口づけ一つ。


「………」


顔が熱いのが自分でもよく分かる。

身体を離せば、呆然とした何ともお間抜けで可愛らしい面がこちらを見つめていて。


「……取り敢えず今はこれだけだな」

「〜〜〜〜〜〜〜っ!!」


どす。彼女のか細い腕が何度も何度も俺の胸を叩く。

てっきり怒っているのかと思えば、垣間見えた真っ赤な顔はそれはそれは嬉しそうで。


「────っそういうところ!!」

「嫌い?」

「大好きっ!!」




別に何か特別なことがある訳でもない、緩くてくだらない、だからこそ尊い俺達の日常。

きっとこれからもずっと続いていくのだろう。でもこれからは幼馴染としてではなく、恋人として。

もちろん不安だってある。それでも、彼女となら互いに支え合っていけると思うから。


だから、今までも、これからもずっと俺は傍にいる。


密かな、いや確かな、俺の誓い。

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