第17話 ポクって

「あ」

「ん?」


とあるお昼時。ベンチに座って空を眺めていた後輩を見かけたのは、飲み物を求めてフラリとやってきた中庭でだった。


「こんにちは、葵ちゃん」

「……」


コクリと。いつもながら感情の薄い無表情で頷く彼女の隣にせっかくなので座ってみる。彼女に立ち上がる様子は無い。嫌なら嫌と、意外とはっきり言う子なのでこれは歓迎されているのだろう。勝手にそんなことを思う。


そんな彼女の耳にはイヤホン。あまり物を持たない彼女にしては珍しいその姿に、思わず興味が隠せなくて。

彼女の顔を覗き込む。一見冷ややかな瞳がじろりと私を貫いた。


「何を聴いてたの?」

「…聴きますか?」


平坦な、けれど無感情ではない低い声でそう言うと、彼女がイヤホンの片方を差し出して。

一つのイヤホンを半分こ。…何か良いなあこれ。今度賢くんとやろう。是非やろう。…ワイヤレスだ賢くん。


そしてドキドキしながら耳にそっと差し込めば。




ポク




ポク




ポク




チーーーン




「…………………………」

「………」


も一つおまけにポクポクチーン。


「……………木魚?」

「はい」


「…………………………」


まずいなぁ。今回ばかりは私でもこの子のことが読めない。

木魚。木魚かぁ。テンプル・ブロック…。

囃子だっけ?最近の若い子ってこういうの好きなの…?

混乱ぐるぐる渦巻く私の心境など露知らず。見れば彼女は目を閉じて神妙に空を仰いで風を感じている。


「安らぎますね」

「うん…、…ぅん……?」

「最近ポクることにハマりまして」

「………」


ポクる…。


「先輩はポクりますか?」

「先輩は…ポクらないかなぁ」

「癒やされるのに」

「…へ、へぇ」


…まずいなぁ。この子ちょっとおかしな領域に入り込んでいる。

え。何。ポク、ポクる?木魚を奏でることってそういうの?

確かに楽器の一つだけどね?え?ポクる?

ちょっと葵ちゃんのお兄ちゃんこれはお説教だよ。


「えっと」

「この世の全てはポクってチンすれば解決するのに…」

「そう、ですね」


まずいなぁー。

こういう時ってどうするのが正解なんだろう。

別に何もおかしなことはしてないんだけど、年頃の女の子としては死活問題な気がするよ。ここはやっぱり私も体験してみるのが手っ取り早いのだろうか。


頭を抱えてうんうん唸る私と、素人は黙っとれと言わんばかりの顔で空を仰ぐ後輩。

恐らくは見る人誰もが首を捻るであろうおかしな光景が、そこにあった。







「なぁ関君」

「どすこい」


教室で行儀悪く椅子をフラフラと傾けながら、繋と3人で机を囲んで俺は横に座る巨漢に声をかける。


「恋…とかってどう思う…?」

「どすこい」

「『いつだってこいはどすトレート』?流石だぜ関君……」

「…………」


彼はその体躯に見合った器の大きさから、いつだって人に頼られている。

俺も例に漏れず最近のちょっとしたモヤモヤを相談してみることにしたのだが、やはり彼は頼りになる。


「別に俺がどうこうって話では決してないんだ。たださ、最近このままでいいのかなって思うことがたまにあって」

「どすこい」

「そう…だよな…。でもそれって結局のところ「待って」」

「あん?」

「?」


せっかく彼がとてもためになるアドバイスを授けてくれていたというのに、繋が突然俺たちの間に割り込んできた。その不躾さに、思わず俺も眉根を寄せてしまう。


「何だよ繋。せっかく関君が」

「どすこい」

「…あ、ああ。すまん関君。確かに関君の言う通りだ。悪いな繋。俺の心が狭かったばかりに」

「……おかしいな。まともなのは僕だけか…?ん?僕がおかしいのか……?」


頭を抱えて何やらうんうんと繋が唸る。

俺たち二人は仲良く顔を見合わせて、何のこっちゃどすこっちゃと首を捻るのだった。





「ねぇ賢くん」

「……」

「賢くん?」


その日の夜。…あぁ、まただ。彼女がいつものように気さくに声をかけてくる。

俺のベッドにうつ伏せに寝っ転がって、組んだ腕の上に顎を乗せて寛ぐその姿に警戒心など微塵も無くて。


「どうした」


ざわざわと妙に騒ぐ心を落ち着かせながら、それを決して悟られぬ様に、関君の助言通り平静を装って俺は返事を返す。


「?……んー?」

「…どうした」


彼女が微かに首を傾げた。…本当に、目敏い奴だ。

けれども今は。少なくとも今は、その時ではない、ということで。


「何か話があるんじゃないのか?」

「……うん……あのね…?」


志乃が起き上がると、ベッドの上で膝を抱える。…本当に、もう少し気をつけるべきではないだろうか。彼女のスカートから目を逸らす様に俺は前を向いて─


「賢くんはポクる?」


後ろを向いて。


「ポク……何だって?」

「ポクってチンする?」

「ちん………?」


ぽくちん。ぽこ……まずいなぁ。俺の幼馴染が何かおかしい。

ポク、ポクる?え?何が?ポク、ポーク?豚?


「…すまん。志乃が何を言っているのか分からない」

「だよねー…」


ゴロンと。再び志乃が身体を投げ出して、眩しかったのか腕で顔を覆う。


「困ってるのか?」

「困ってるよー切実だよーこのままだと私の可愛い後輩がポクられちゃうよー」

「困るのか?」

「分かんない」


俺も。


「ふっ」

「ふふ」


二人揃って同じタイミングで吹き出した。いつからだろうか。こんなくだらない話で、こんなに笑えるようになったのは。

産まれた頃からか。…思えば長い付き合いだ。そして今と昔で明確に違うのは──


「─くん」

「……」

「けーんくん」


気がつけばいつの間にか彼女の顔が眼前に迫っていて。

思わず呼吸が止まった。そんな事も気にしない様子で志乃が小首を傾げている。


「ふむ…」

「賢くんさーん」


ちょっと悪いが眼前で手を振る彼女を無視して、改めて彼女を眺めた。前に垂らしたポニーテールがよく似合う清楚な大人っぽい顔立ち。手入れの行き届いたきめ細かい肌。…瑞々しい唇。


「スナ賢くーん」

「やっぱお前って綺麗だよな…」

「─────────────────────」


うん。十人に聞けば十人が可愛いと返すであろう容姿。身体が弱いのに出るとこしっかりと出てるし。こいつ俺の幼馴染なんだぜ。やばいな。顔が熱い。


「可愛いよな…」

「─────────────────────────────っ」


「賢くん」

「ん?」


ぷるぷる震えながら、彼女が指を一本立てる。顔は下を向いていて碌に見えないが、とにかくぷるぷる震えている。


「ちょっ…とボイスレコーダー持ってくるから、もう一度、いい?いいよね?」

「何が?」


「………んん?」


何か感極まったような潤んだ目と、大きな決意を秘めた顔で立ち上がったと思ったら、志乃が不躾に俺の顔をジロジロ見て、停止する。

そして徐ろに冷たい掌で俺の頬を挟み込むと、ぐいっと顔を近づけて─


ピト。額と額がくっつき合った。冷っこい。


「…熱い」

「は?」

「賢くん熱あるでしょ」


怒ったように、そして困ったように眉根を寄せて俺を見つめる志乃。お前こそ顔真っ赤だぞ。熱あるんじゃないか。


「無いぞ」

「あるよ」

「何言ってんだよ。可愛い奴だなぁ」

「はう…じゃなくて!熱!あるの!!」


嫌がる俺の腕を引っ張って、志乃が無理やりベッドに押し倒す。勢い余って彼女が上に転がって思わずうぇってなったが、それでも大して問題にならないくらい、本当に俺は弱っていたらしい。


くそ暑い中布団をおっ被せて、志乃がポンポンと一定のリズムでお腹ら辺を叩く。


「…オカンかよ」

「幼馴染だよ」


何故かぼーっとする頭が徐々にぼんやりとし始め、夢の世界へと俺を引きずり込もうとする。


力を失った瞼がどんどんと閉じて…あぁ、勿体ないな。せっかくの…時間なのに。


「寝る…」

「寝なさい。…もう……すっごくドキドキしたのに…」

「ああ…」


彼女が何か言っているのに。けれど夢現の頭では上手く聞き取れなくて。

手が温かな温もりに包まれた。志乃が手を握ったのだろうか。

ああ。駄目だ。思考がまとまらない。オチる……。


「今度は素面で言ってね」

「うん…」




「好きだよ」

「……」

「………」




「…そういうところだよね。…君も私も」










そして朝、それが奏でる心地良いリズムで俺は目覚めた。


変わらず志乃は側にいた。汗ばんでいるであろうに、俺の手に指を絡めて何やら楽しそうに遊んでいるのだ…け、ど……


「何の音だ…?」

「木魚」

「もく……………」

「意外とハマるね」

「…………………………」


…まずいなぁ。




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