第16話 綺麗な景色

「点けるぞ」

「はーい」


宴もたけなわという時間もそこそこ過ぎて、志乃と二人庭先に並んで俺たちはささやかな花火を楽しんでいた。


「二人は元気だねぇ。大抵のことはこなせるお姉ちゃんだけど流石に疲れちゃったなぁ」


俺たちとは別に祭りを楽しんでいたであろう姉ちゃんは既に燃え尽きたのか、机に突っ伏して部屋の中からはしゃぐ俺たちをまったりと眺めている。

因みにだが、彼女の言う大抵を鵜呑みにしてはいけない。


「俺たちは若いからな」

「……………」

「ごめんなさい」


一切の光を飲み込むであろう虚無なる深淵の瞳に射抜かれ、俺は迷いなく頭を下げた。

まだ大学生。花も恥じらう乙女様に言う言葉ではありませんでした。深く反省しております。


「〜〜♪」


そんな俺たちなど気にせず、志乃さんは花火を嬉しそうに眺めている。

奔る火花が幾重にも色を変えて彼女の笑顔を照らし出す。


「あ」


そんな一発目の花火も早々に燃え尽きて、志乃が寂しそうな声を上げる。


「賢くん…」

「まだあるって」


物欲しげに俺を見る幼馴染に苦笑しながら、新たに取り出した花火を手渡す。

もう何度も見たことがあるだろうに、それでも彼女は毎年この時期になると楽しそうに花火をせがんできた。


「楽しいか」

「賢くんがいるからね」

「…そっすか」


笑顔と共に何気なく放たれた豪速球にむず痒いものを感じながら、決して、決してそれを誤魔化すためという訳でもないが、俺も花火を取り出して火を点けようとする。…くそ、うまく点かないなこれ。

後ろで物凄くニヤニヤした癇に障る気配を感じながら、ようやっと火を点ける。すると、待ってましたと言わんばかりに背後から湧き出たこそ泥が俺の花火を奪い去った。


「危ないだろ」

「えへへー」


やけにニヤニヤと嬉しそうな姉ちゃんが花火を持って、これまた嬉しそうに志乃にてこてこと近づいていく。

ピタリと肩を寄せ合った二人の花火が横に並び、その光を増す。


「志乃ちゃん志乃ちゃん。お姉ちゃんとなら?」

「凄く楽しいよ」

「はぁあん……」


陽光の笑みに感極まった姉ちゃんが、堪らず志乃に抱きついてその頬を擦り寄せる。…危ないって言っておろうが。


「…………」


二人の呑気パワーが作り出すまったり空間を縁側で身体を投げ出しながら眺める。

姉ちゃんはまあいつものことだけど、今日の志乃はやけに楽しそうだ。


暫しぼーっと眺めていたら、いつの間にか片方が妙に静まりかえっていることに気づき、志乃と二人同時に顔を見合わせる。


「お姉ちゃん?」

「…………」

「どうした」

「抱きついたまま寝ちゃった」

「何て器用な…」


火は既に消えているから良いものの、まさかそんな不安定な体制で夢の世界に旅立てるとは。大抵のことはこなせるって、それはこなしちゃいけないんじゃないですかねぇ。ぽりぽりと頭を掻きながらサンダルを履いて、フラフラ耐える志乃の元へ。


「それ貸せ。運んでくるから」

「それ呼ばわりは可哀想だよ」

「へいへい」


救いの手を差し伸べたというのに。幼馴染のジト目を躱しながら、華奢な腕がぷるぷると重そうに持ち上げた姉を俺は軽々と抱き上げる。俗に言うお姫様抱っこ。


「重い」

「………」


特定のワードに反応する便利機能でもついているのか、心なしか眉間に皺が寄った気がするが、何も言わないのだから好きにさせてもらうことにする。

そして荷物を部屋へと運び込むべく歩きだしたところでふと気付いた。


「どうした」

「ううん」


志乃がやけに熱心に俺を凝視している。しかし問うたところで首を横に振るだけ。

疑問には思ったものの、腕の中の荷物がうーうー唸り始めたので俺はさっさと身を翻して家へと入るのだった。







「あー…疲れた」


部屋につくやいなや、まさかのぐずり始めた面倒くさい女から漸く解放され、もう一度庭先へと足を踏み入れる。


「し……」


普通の花火に満足したのか、今の彼女は線香花火を手に持っていた。

朧に、けれど優しく灯る線香が彼女の顔を仄かに照らし、それを見つめる彼女のどこまでも柔らかで、今にも消えてしまいそうな儚いその笑顔に、俺は無意識に、いつの間にか──




「?賢くん」

「おう」


俺の手から鳴った小さな機械音に反応して志乃が顔を上げる。キョトンとした顔で首を傾げる彼女から、先程までの儚さがあっという間に霧散する。


「お帰り。花火撮ってたの?」

「まあな。…やっぱり綺麗だなって」

「ふふ、だね」


誤魔化す様に手を振って、隣に立つと俺もそこにしゃがみ込む。パチパチと弾ける小さな太陽。

ただ無言で、俺たちはそれを眺めていた。


と、その時。


「………」

「志乃?」


とん、と肩にもたれかかる柔らかな感触。

俺の顔を上目遣いに見つめる彼女の顔は仄かに赤く色づいていて。

とくん、と胸の奥からよく分からない高鳴り。


「…賢くん」

「っ」


上気した彼女の顔がそっと耳元に寄せられて。

柄にもなくピクンと、身体が跳ねた。


「な、に」

「…ね?」

「を」

「ちゅう…」

「……っ」

「しよう?」


熱を持った吐息と共に、何か微かに柔らかな感触が耳を掠った気がした。

…彼女は今何て言った。ちゅう。ちゅう、しようだって?

その言葉を脳が認識した瞬間、俺の頭に一気に火が灯った。

何だ。一体何が起きている。まさか、志乃が、そんな、


しなだれかかった彼女の腕が、俺の胸元へと何処か色っぽく添えられる。


「し、の」






「…みたいだから、私も運んでもらっていいかな」





…………






……………………






「………………そうか」

「うん」


そうか。そうかぁ。


「…肩、貸すか?」

「………」


善意から発した提案だったはずだけど、志乃は何も言わず俺を見つめたままで。それも何処か不服そうに。


「そういうとこだよ」

「………こっちの台詞だ」

「え?」

「何でもなーい」


じゃあどうしてほしいのか。

そんな意を込めて俺は志乃を見つめる。当然、彼女は俺の意を簡単に汲み取って。


「だ」

「だ?」




「…抱っこ」


先程よりも赤い顔で、恥ずかしそうに志乃が両手を俺へと伸ばす。

その体勢で停止する志乃を、俺は固まった思考で暫しの間見つめ続ける。


「………」

「………ぁぅ」


流石に自分でも思うものがあったのか、志乃が俯いて腕を下げようとして。


「わ、」


俺はすかさずそこに手を差し込むと軽々と志乃を持ち上げた。

暫し目をぱちくりとさせていた志乃だったが、状況を理解するとすぐに笑顔で俺の背に手を回し、胸に顔を擦り寄せてくる。


…………っ。


「重い?」

「姉ちゃんより軽い」

「もう」


ぽかりと、小さな手が俺の胸を叩く。


「何か元気じゃないか」

「………あ。あ〜。目眩が。賢くんの意地悪のせいで動悸がー頭痛が〜」

「大丈夫かよ…」

「賢くんのベッドまでー」

「1000円になります」

「賢くんのツケで」

「ドライバーにツケるな」


軽口を叩きながら、部屋に志乃を寝かせて。

熱中症というのもまるっきり嘘ではないようで、大人しくベッドに入りながらも楽しそうに今日の感想を話す彼女がうとうとし始めるまで、俺は脇に座って、一緒に笑って過ごしたのだった。






「…寝たか」


すうすうと、静かな寝息が耳に届いた頃、俺は静かに携帯を取り出した。


「…………」


つい誘われる様に撮ってしまった写真。

彼女には花火の写真だなどと言ったけれど、まぁ、写真の中心は明らかに。


「…ま、流石に待ち受けとかにはできんわな」


俺、志乃に普通に携帯渡す時あるし。

さりとて、消すつもりも毛頭無いのだが。


溜息一つ。大きく上を仰いで。

…撮影は完全に無意識の行動だった。


きっとそれは。




「…楽しかったな、志乃」


柔らかな髪に手を差し込んでゆっくりと撫でれば、私も、と言わんばかりに寝ているはずの彼女がスリスリと頭を寄せてふわりと笑った。


俺も釣られる様に、ふわりと。自分では気づかないけど、多分あまり他人に見せたことのないような顔で。


「……ふふ」


来年もまた、彼女がこんな笑顔で過ごせるように。


指切り一つ。また一つ、俺の密かな誓い。

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