第14話 ですよ

「賢くんごはんですよ」


午前の授業が終わり、幼馴染のニコニコした笑顔と共に、俺の掌にそれは乗せられた。

可愛らしい布に包まれた無機質な硬く冷たい感触。さっさと背を向けて立ち去ってしまった彼女を横目に、俺は無言で結び目を解いた。


「………」

「賢一」

「……………」


中から現れたのはお弁当箱と瓶。瓶の中にはぎっしり黒いものが詰まっていて。

そして箱にはぎっしり白いものが詰まっている。


「ごはんですよ…」

「ごはんですよだ…」

「ごはんですよ……?」


隣にいたクラスメイト達の困惑した声。

それもその筈、米と、海苔だけが雄々しくそこに佇んでいた。


「賢一」

「………」

「何をしたかは知らないけど、土下座しよう」


繋が深刻そうな顔で俺の肩を掴む。

何も言わずそっとそれを除けると、俺はそれを箸でちびちびと掬い始めるのだった。







それは昨日のこと。


「あ」

「あ?」


小腹が空いた俺が冷蔵庫から適当に取り出したそれを食べている時。


「私のプリン……」

「え」


目の前の高そうなプリンを寂しそうに眺める幼馴染。その顔と容器を幾度か往復した後、俺は自らの失態を悟った。


「あー……」

「………」


気まずい沈黙。


「すまん。冷蔵庫に入っていたからてっきり…」

「ううん。いいの。賢くんの家の冷蔵庫だもん。それはそうなるよ……仕方ないよ………」

「…あの…、すみません…」

「よく…味わってね………」


謝る俺の声が聞こえているのか、いないのか。

フラリフラリと、覚束ない足取りで志乃が部屋を出ていく。


「…帰るのか」

「明日は賢くんのお弁当作る日だから……」

「いや、無理せずとも…」

「うぅん……いいんだよ……」


作りたい料理があるからと、たまに志乃は俺にお弁当を作らせてくれと頼んでくることがある。明日がまさしくその日で、俺も断る理由も無く了承したのだが…。







そしてごはんですよ。


「………」


親にこっぴどく叱られた子供の様に、俺はそれをちびちびと、ひたすらちびちびと。大きなお口にそぐわない量を無の感情で運んでいた。


いっそ怒ってくれたら楽なのに。


何をされても、いつだって志乃は俺を笑って許した。

だから分かる。きっとこのごはんですよも決して怒っている訳ではなく、料理がままならない程に気持ちが沈んでしまったが故に致し方なくのごはんですよであり、決してつまみ食いする卑しいお前にはごはんですよで十分ですよという嫌がらせではないのですよと。


その証拠に。


『………』

『志乃、アンタそれどしたの』


もそもそと、何処か元気無く小さなパンを齧っている志乃の手はあちこち絆創膏だらけで。


ここで誤解してはいけないのは、怒らないからといって彼女も決して何とも思っていない訳ではないということ。

怒らないからこそもやもやして、感情の置き場所を見失って、失敗しても言うに言い出せない妙な状態が続いているのではないかと、何となくそう思う。


と、いう訳で。


「繋」

「はいはい」


心強い悪友の力を借りるとしよう。







「どうぞ、お納めください」

「………」


そして、情報通の悪友から得た助言を頼りに、それはそれは長いことこの猛暑の中ひたすら走り回って手に入れた高級プリンを俺は志乃様に献上した。


「?どうしたの賢君」


ソファーでクッションを抱いてぼーーーーっとしていた志乃が、不思議そうに首を傾げて何てことのないように言う。…やはりそうだ。彼女は自分が怒っていることを理解していない。

俺は丁寧な所作で両膝をつくと、勢いよく頭を振り下ろした。視界の外で、志乃がビクンと身体を跳ねさせた音がした。


「この度は愚かにも志乃様のプリンを勝手にいただくようなことをして、誠に申し訳ございませんでした」

「私、怒ってないよ?」

「理解しております。私が勝手に赦しを得ようとしているだけでございます。何卒、御慈悲をいただけないでしょうか」


「……………ふふ」


床に頭を擦り付ける俺を、可笑しそうに、本当に可笑しそうに志乃が笑いだした。

そんな俺の前に膝を折ると、ふわりと優しく、彼女のスベスベの手が俺の頭を撫でて……。……?


「じゃあ、そんな優しい賢くんにはこれをあげるね?」


そう言って志乃は傷跡一つ無い綺麗な手で、小さな容器を差し出した。…あれ?


「何だこれ」

「プリンですよ」


容器の中には黒い…ではなく薄く黄色い─


「ん?」

「私が作った、プリンですよ」


何かおかしい。そもそも昼間見た彼女の指先はあんなにも痛々しかったのに。

流石に不審に思った俺が思わず顔を上げる。そこには─


「言ったでしょ?私怒ってないよ」

「え」




「賢くんはきっとこうするだろうなって思ったから」




ニコニコと、常変わらぬ陽光の笑み。

だけど今の俺には。


「…………」

「あ、でもお高そうなものを勝手に食べるのは良くないよ。そういうところっ」


「…………」

「私これ食べてみたかった。ありがとう賢くん」


「……………」

「星野君も想定通り動いてくれたみたいで何よりだよ」

「!?」


こ、こいつ…まさか……まさか………!!


「お前……お前ぇーー!」

「わ」


初めから俺はこいつの罠に嵌っていたのだ。

わざとらしくお高そうなプリンをこれ見よがしに冷蔵庫に置いて、それに俺が手を出した時を見計らい姿を現し、傷ついたように見せかけて俺の罪悪感を誘うことでさらにお高いプリン様を買わせるという罠に。しかもわざわざ俺が繋を頼ることを見透かし、奴に自分の求める情報まで流して。


「駄目だよ。これは私の。めっ」

「違う!」

「賢くんには私が心を込めて作ったプリンがあるでしょ。自信作のプリンですよ。美味しいですよ」

「違うんですよ!!」

「違くないですよー」


吠える俺も何のその。幸せそうにプリンを食べて顔を綻ばせる志乃に、いつの間にやら俺の怒りも矛先を見失ってしまって。大きく脱力して、堪らずソファーに座り込めば、すかさず志乃が距離を寄せてくる。


二人並んで、プリンを頬張る。志乃は俺の。俺は志乃の。




あぁくそ、めちゃくちゃ美味しいですよ。

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