第13話 わん

「志乃って犬っぽいわよね」


とある昼、机を囲んで数人でお弁当をもきゅもきゅと口にしていれば、お行儀悪く箸で私を指して友達がそんなことを言い出した。


「そうかな」

「そうよ。旦那にべったりなとことか」

「旦那って」

「ご主人様の方がいい?」

「ええ…」


あんまりと言えばあんまりな言い方に思わず私も渋い顔をせずにはいられない。

駄目だよ、そんな不健全な呼び方。不健全な。不健全な……


「………」

「志乃?」

「……ふふ、何かね?今ゾクゾクってした」

「素質開花させるんじゃない」


別にそんなつもりはないけどね。ただね?何か賢くんにひざまづいた自分を想像して、私を見下す彼の冷たい視線を想像するとね?何かね?


「……………っ………♡」

「志乃ぉ!!あんまり人に見せちゃ駄目な顔してるってぇ!!」


全身を駆け巡る何ともいえない感覚に思わず震えながら身体を抱き締めた私を見て、友達が大きな声をあげる。


「賢くんに飼われちゃうのかぁ」

「私が悪かった!はい、この話もう止め!!ね、葵!!!」

「………」


黙々と卵焼きを堪能していたどちらかというと猫っぽい後輩が、騒ぐ友達を無言で一瞥して、一言。


「飼う側ではどうでしょうか?」

「」

「ほう……」


私が、賢くんを?その発想はなかった。絶句する友達を置いて、私達は二人で顔を見合わせる。その怜悧な無表情は相変わらず何を考えているのか分かりにくいけれど、少なくとも私にとっては違う。


「先輩の幼馴染さんも犬っぽいですよね」

「そう、だね……」


犬っぽい。犬っぽいかぁ。確かに、賢くんあんまり隠し事とか出来ないし、分かりやすいし、嬉しょんとかしても不思議じゃないし、猫よりかは犬だよね。


うっかり犬の耳が生えた賢くんを想像して


………


「葵ちゃん」

「はい」

「ありがとう…それしか言う言葉が見つからないよ………」

「はぁ…?」


偉大な発想を与えてくれた英雄の手をとって、私は彼女を拝んだ。

頭を抱えていた友達は身体を投げ出して。


「私もう知ーらない!!」







「と、言うわけで。はい賢くん」

「何だ」

「首輪だよ」

「何で」


手渡されたそれを眺めて絶賛困惑中の彼を置いて、私は懐から犬耳を取り出した。そして何も言わずそっと彼の頭に装着する。突然頭に乗せられた何かに、彼が思わず面をあげる。


「何だこれ」

「…………」

「志乃?」


あ、良い。


凄く良い。


「賢くん」

「…何だ」

「わんって言ってみて」

「………」

「言って」

「わ、…………わん……」


「……………………………………………………」


何だろう。この感覚。例えるならそう、まるでお母さんのお腹の中に戻った様な、穏やかで心地よい感覚。此れこそが、人の真あるべき姿の様な。


尊い。


そう、尊い。


「あの」

「………」

「すみません。無言で人に首輪着けるのやめてもらえませんか」

「賢くん」

「………」

「お手」


手を差し出すと、恐る恐る彼がその震える手を上に乗せる。状況が何も理解できず混乱したまま私を見つめるその顔は、いつになく弱々しくて。いつにも増して愛おしくて。


「いい子」


きゅんきゅんと。私の中から湧き出る母性と嗜虐心。相反する二つの心がせめぎ合って。頭に血がのぼって


「ふふふふふふふふ」

「鼻血出しながら笑ってるぅ!!?」












鼻血を垂らしながら笑っていた幼馴染が落ち着いて、まともに話が出来るようになって、漸く俺は志乃の奇行の理由を知った。


「それでまさか首輪を買ってくるとは……」

「ごめんね。一度考えたらもう我慢できなくて」

「そこはお前踏みとどまれよ…」


人には理性というものがあるんだぞ。

謝りながらも、志乃の手は依然として俺の頭を撫で続けている。


「賢くん」

「何だ」

「私、…将来犬飼いたいな。」

「それ本当に犬?」

「賢くんはどんな犬がいい?」


優しく頭を撫でながら、志乃が首を傾げて俺の顔を覗き込んでくる。


「悪いが犬の種類何て碌に知らんぞ」

「柴犬とか、チワワとか、ブルドッグとか」

「………」

「賢くんとか」

「俺人なんですよ」


貴方は知らないかもしれないですけどね。悲しいなぁ。


「二人で一緒に公園とか散歩させてね?」

「ああ」

「ふふ、あったかいね。………」


寂しそうに、小さく志乃が笑う。それはきっと、身体の弱い自分が、自分の未来が、彼女の中では未だ実感の無い、何処か朧気なものだという自信の無さの表れなのだろう。


「………」

「………」

「え」


俺はそんな彼女に無言で犬耳を着けた。キョトンとした目が俺を見つめている。


「け、賢くん」

「似合うな」

「…喜んでいいのかな…」

「いいんじゃないか?名前も考えておかないとな」

「……」


一瞬、虚を付かれた様な顔を見せて、すぐにまたふにゃりと笑うと志乃が俺の手をとる。先程手渡された首輪がまだそこには残されていて。


「ね、賢くん」

「ん」

「これ着けてみて?」

「…え、また?」

「ううん」


とった手をそのまま自分の首元へと持っていく。


「私に」

「ええ……」


俺そんな趣味は無いんだけどな…。…無い、はず。

自分の中の何かから目を逸らす様に、ぎこちない動きで俺は彼女の首に手を回して、首輪を付けた。


「どう?」

「どうと言われても……」


何で嬉しそうなんだ。

物凄く後ろめたい。イケナイことをしてる気分が凄まじいんですが。


「わんわん」

「………」


手首を曲げて、本当の犬のように志乃がじゃれついてくる。そのまま俺の首に手を回して、正面から俺の膝に乗って首を傾げて。


「名前をつけてわん?」

「うええ〜……?」


流石にむず痒いって。そう言いたいけれど、彼女は未だニコニコと楽しそうに笑っていて。もし尻尾があればブンブンと振っていたんだろうなと、ぼんやりと思う。


「名前かぁ…」

「可愛い名前にしてね?あ、わん」


犬、かぁ……。近所の犬とかよく撫でさせてもらったなぁ……。

そんなことをふわふわ思い出して、ついでにあの時、自分がもし犬を飼ったらどんな名前にしようかななんて夢想していたことも思い出して。


「うーーん……」

「………っ………」


頭を悩ませながら犬の頭を撫で続ける。ぶるりと身体を震わせたと思ったら、犬がスリスリと胸に頭を擦り付けてきて。そのまま下から俺の顔を上目遣いに見上げてきた。その瞳は何故か潤んでいる。


「ご」

「ご?」

「ご主人…、様…?」


あれだけ悩んでいた思考が一瞬で停止した。


静かに互いの視線が交錯する。…近い。彼女の上気した顔がゆっくりと、俺の──


………


「き」

「き?す?」

「喜三郎とか、どうだ」

「………そういうとこだわん……」

「何か言ったか?」


見つめ合って、暫しの沈黙。何処か不満気だった彼女が、ぷっと吹き出して。


「ふふ、いまいちかな?って言ったの」


言ってくれるではないか。


「……なら、お前はなんてつけるんだ」

「んー………?」


さぞ素晴らしくセンスのある名前をつけるのだろう。

幼馴染殿は視線を上に、指先を口元に当てて、可愛らしく小首を傾げながら──











「キューティエンジェルきなこちゃん、とか」

「…………」

「ラブリーデーモンこしあん君もいいよね」


名前は絶対に俺がつけよう。心に、硬く、誓った。



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