第12話 本日は幼馴染デー

「賢くん、私今日」

「書店の手伝い頼まれたんだろ。後で終わる時間メールしてくれ。迎えに行くから」

「……………」

「何だニヤニヤして」

「……ううん。いつもありがとう」





なんてやり取りがあったその日の夕方。

太陽も殆どその姿を隠し、ぼちぼち空も色を無くしつつある。


「こんちわーす」


志乃が店番をしているはずの書店の扉をガラガラと開き中へと足を踏み入れる。


「へいらっしゃい」

「へい、はいらんだろ」

「らっしゃ」

「悪かった」


奥のカウンターで本でも読んでいたのか、下を向いていた志乃が顔を上げた。紺のエプロン姿に、いつもの様に前に垂らしたポニーテール。手に持った小説がいかにも彼女の持つ文学少女的な雰囲気を引き立てていて。

二人で交わす他愛もない挨拶、だけど。…不用心な。思わず眉根を寄せて店内を見回す。誰もいない。店員どころか、客も。


「相変わらずだなぁ…」

「ね」


俺の呟きに志乃が相槌を返す。今はカウンターに頬杖をついてニコニコと笑っている。

どうやって生計を立てているのか疑問に思わなくもないが、この店の主はのらりくらりと日々を過ごしているのできっとこれは趣味みたいなものなのだろう。


「一人か?」

「うん。もうちょっと遅くなるんだって」

「そうか」

「ごめんね」


自分のせいではないのに。申し訳ない顔を見せる幼馴染を手で軽く制しながら俺は店の奥へと足を進めた。特別欲しいものがあるわけでもないが、本屋というのは小さな暇を潰すにはちょうどいい。


「さて」


少年誌を中心に、陳列された棚を適当に冷やかして。…どれもこれも相変わらず無駄に品揃えがいい。

店長の腕がいいのか、それとも単純にあまりに売れなさすぎるのか。やはり電子の壁は大きい。


「………」


何とも反応に困るコーナーが目について、はたと足を止める。

可愛らしいイラストと共に色鮮やかな付箋に描かれた文字の内容は


『この夏は幼馴染と過ごそう!』

『幼馴染と一夏のアバンチュール』

『レッツ幼馴染!』


幼馴染との関係性を描いた作品ばかりが積み立てられた特集コーナー。

うん。反応に困る。


「………」

「お客様」

「うん?」


楚々とした振る舞いで、店員モードの幼馴染が声をかけてくる。何故、店員モードなのかは知らないけど。俺の横を抜けて前に立つと、ニコニコといつもの笑顔を見せながら彼女は積まれた本の一冊を手に取った。


「本日は幼馴染デーということで、こちらにある本をご購入いただくとポイントが2倍になりますよ」

「ここポイント使えないじゃん」

「SPですよ」

「ええ……」


ここでそれを持ち出すか。


「私のオススメとしてはこれとかこれとかこれとか」


店員が次々と本を抜き出していく。

『幼馴染が可愛くて辛い』『お馴染み幼馴染』『異世界転生したら幼馴染しかいない世界だった』『OSANA×NAJIMI』などなど。見るも愉快な幼馴染本達が俺の眼前へと押し付けられて。


「店員さん」

「はい」

「自分で選ぶので」

「失礼いたしました」


綺麗に一礼すると、店員は優雅に奥に引っ込んでいった。


…全くやりにくいことこの上ない。……志乃が完全に姿を消したことを確認すると、ポイントのために数冊程抜き取って、俺は特集コーナーの少し横にズレる。


ちょっと色っぽい作品を扱っている一角に。

一冊適当に手にとって。


「…………」

「お客様」

「っ!?」


音もなく店員が背後に再来していた。


「な、何すか」

「………」


ニコニコ。無言で店員は笑い続ける。


ニコニコニコニコニコニコニコニコ。

ニコニコニコニコニコニコニコニコ。


そっと戻して。


「店員さん」

「はい」

「自分で選ぶので」

「失礼いたしました」


こっちをじーっと見たまま、一切変化の見えない笑顔で店員がゆーっくりと奥へと引っ込んでいく。

その姿が視界から消えた直後、俺の顔面からブワァっと冷たい汗が吹き出した。

大きく深呼吸して、息を整える。


「…全く」


前を向く。すかさず後ろを向く。いない。もう一度前を向いて。

表紙に何とも大胆な女性が描かれた雑誌に手を伸ばして


「お客様」


店長ーー!!店長ーー!!この店、店員の教育なってないんだけどーーー!!!


音どころか気配も無く隣に立っていた店員に戦慄きながら、俺はそれを一切表に出すこと無く、アサシンと相対する。


「店員さん」

「はい」

「これください」


いかにもえっ?買いますけど何か?みたいな顔で俺はそれを店員に手渡した。

色々見えそうなキャラクターが描かれた、だいぶギリギリを攻めた表紙が志乃の眼前に広がっていることだろう。


さあ、真っ赤な顔で慌てふためいて─


「はい。レジへどうぞ」

「え」


顔を赤く染めるでもなく、志乃がそれを持ってカウンターへと歩いていく。

残されたのは唖然としながら、口をだらしなく開ける馬鹿一人。




ピ。ピ。


「………」


読み取り音だけが無機質に鳴り響いて。

俺は気まずさから、顔を上げることすらできなくて。


「………」

「お客様」

「は、はい」


常変わらぬ涼やかな声。いつも通り、彼女は笑っているのだろう。陽光の様な暖かさ。なのにそれが今は妙に薄ら寒くて。


「ご一緒に幼馴染はいかがでしょう?」


何かマ○クみたいなこと言い出した。

何だ。何を考えている。怒っているのか。からかっているのか。それすら分からなくて。

とりあえず何か返事を。平静を装って俺は面を上げる。


「……いえ、大丈夫です」

「………」

「どの道、すぐ持ち帰りますし……」


ピタ。


本を袋に詰めていた志乃の動きが止まった。

何だ。何が起きた。地雷でも踏んだのか。


「お客様」

「…はい」

「そういうところでございますよ」


態度悪いなこの店員。


お互いに変にぎこちない妙ちくりんな空間は、店長が帰ってくるまでしばらく続くのだった。





「賢くん」

「う」


帰り道。店員モードから幼馴染モードに戻った志乃が、感情の読めない無機質な声音で俺の名を呼ぶ。その手には俺が買った本の袋。


「読むの?」

「……」

「使うの?」

「つっ……」


明け透けな言葉に思わず立ち止まる俺。前を歩く志乃の表情は依然として読み取れない。


「ふぅ……」


ここらで一つ大いなる誤解は解くべきであろう。

一つ溜息を吐いて、それに反応したのか、肩を震わせて志乃が立ち止まる。


「志乃」

「………」

「俺が欲しかったのはそっちの雑誌のコードだ」

「え」


表紙の隅の方ではあるが小さく、俺が最近ハマっているゲームのちょっとしたアイテムのコードがその雑誌には入っていて。


「そうなんだ…」

「ああ。断じて、断じてグラビア目当てではない」


まあ?ついでにちょ〜っと間違ってめくっちゃうこととかあるかもしれないけど。

間違ったなら仕方ないよね。俺の意志じゃないもんね?


「じゃあ、読まない?」

「………」


退路を断たれる。


「ふ〜〜〜ん」

「…あのな志乃。俺はこれでも健全な思春期の男子で」

「はい」

「え」


細い手が袋を差し出した。


「…いいのか?」

「……仕方ない、よね……っ」


寂しそうに、志乃が笑った。どこまでも儚くて、今にも消えてしまいそうな、自嘲に近いその笑みがいつまでも眼に焼き付いて離れない。

再び前を向いて、ふるふると小さく震えるその背中を見て、俺は今更ながら酷く後悔した。


そう。その笑みは、決まって彼女が何かを堪えている時の───


堪えている時の───










──家に着いて、

とてつもなく嫌な予感を感じた俺は部屋に入るなり着替えも忘れて急いで聖書を取り出した。


袋とじだけが綺麗に切り取られていた。




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