第10話 いつもの日

ピンポーン。


とある休日。彼の家のインターホンを鳴らす。変な所はないかと前髪を弄っていると、すぐに中からパタパタと足音が近づいてくる。


「は〜い。おはよう志乃ちゃん。相変わらず早起きね」

「おはようございます。おばさん。賢くん起きてますか?」


お姉ちゃんによく似た落ち着いた女性が扉を開けて姿を見せる。家族ぐるみで交流のある、私にとっても、大変お世話になっている賢くんのお母さん。


「あの子ならまだ寝てるけど」

「あれ」


さっきメールではしっかり返事してたはずなのに。

首を傾げる私を見て、おばさんは思わず苦笑い。


「とりあえず返事しとけばまだ寝れるって思ってるのよ」

「ふふ」

「さ、入って。駄目な子達をお願いね」


おばさんのお茶目な台詞に顔を見合わせて笑っていると、上から足音が聞こえてくる。


「……しのちゃんのにおひがする…」


それはそれははしたない格好でお姉ちゃんが降りてきた。私は素早く家に入り込むと、扉を静かに閉める。こんな所他人に目撃されたら、もれなく痴の付くアブナイ人だ。


「おはよう、お姉ちゃん」

「あんたまたそんな格好で…」


あまりのだらしなさにおばさんが流石に苦言を呈する。…私も家ではたまにあんな感じなのは秘密にしておこう。いや、あそこまでではないかな…。


「ほら、ちゃんと歩きなさい」

「ん〜」


おばさんに背中を押され、お姉ちゃんが顔を洗いに奥へと消えていく。

おばさんの目線だけの合図に首を振ることで返事を返して、私は彼の部屋へと足を進める。


こんこん。


「ノックノック」


扉を叩いても反応無し。音を立てない様に扉を開ける。わ、暗い。

どうやら本当に寝ているらしい。


「失礼しま〜す……」


一昔前の寝起きドッキリみたいな声を上げながら、そろりと部屋の中に足を踏み入れる。


「……………」


廊下から差し込む明かりが仰向けで寝ている賢くんを僅かに照らし出す。仰向け。つまり今日はボーナスタイム。私は音を立てないように携帯を取り出した。


パシャリ。


「…ふふ」


実物と、液晶と、二つの子供みたいな幼い寝顔を並べて、にまにまとだらしない笑みを漏らし、十分堪能した私はさっさと窓を開ける。


「…ぅああぁ」


部屋に気持ちのいい日光が差し込み、光に照らされた吸血鬼が苦悶の声を上げて身体を悶えさせる。


「朝だよ賢くん。新しい朝が来たよ。きーぼーおのあ・さーだ」

「やかれる……」

「焼かれないよ」


布団を引き上げ、もぞもぞと避難する賢くん。


「もう」

「後3時間…」

「図太すぎるよ」


お昼近いよ。


「また夜更かししたの?」

「…昨日はつい繋と盛り上がって……」

「もうー」


ずるい。私にはさっさと寝ろってメールを送ってきたくせに。

毛布を掴んで引っ張る。布団に生息するダンゴムシは己が住処を死守するために持てる限りの力を発揮している。


「後5時間…」

「増えた」


もう、このダンゴムシ、欲深すぎる。


さて、どうしようかな。ギシギシと音を鳴らすベッドの上に腰掛けて、彼の背中にもたれかかる。うぐ、なんて声が漏れたけどきっと気のせい。


「賢くん起きよ」

「………」

「起きたらイイコトしてあげるよ」

「………」


背中の温もりに反応無し。む…耐性がついてきてしまっている。


「賢くーん」

「………」

「きゃあ。私今凄いエッチな格好してるよ」

「……、…」


今確かに反応したよね。


「賢くん賢くん賢くーん」


身体を捻ると、丸まった物体に上から覆いかぶさり、強く抱き締めた。

ううう、なんてさっきより苦しそうな声が漏れだした。


「、かった。分かったから」

「わ」


上に乗っかった私を、いとも容易く持ち上げて彼が遂に起き上がった。眼前に迫った起きぬけの機嫌の悪そうなその目は、私への非難を大いに主張している。


「ふふ、おはよ?」

「……おう」


まぁ、私は彼の顔が見れてご機嫌なんだけど。毒気を抜かれたように肩を落として溜息をついた彼がそのまま私の脇に手を差し込むと、そっと横に除ける。


「…賢くん?」

「………」


でもそのまま彼は前屈みで動きを停止してしまって。


「どうかした?」

「何でもない」

「本当?」

「本当。……だから下行っててくれお願いだから」


俯いたまま、私をしっしと手で払う彼に少し疑問を覚えながらも大人しく部屋を出て、はたと気づいた。


「あ」


さっき抱きついた時にズレてしまったのか、シャツのボタンが外れていた。中々際どいところまで。…おっとっと、これはお見苦しいものを。大変失礼いたしました。


……………


「………」


うん、まあ別に大丈夫だよね。賢くんだもん。深く考えることなく、私はさっさと階段を降りた。







「はい、あーん」

「………」


朝食のハムを差し出すと、目の前の顔が物凄く複雑そうな顔をする。


「「じーーーーー」」


私達を見る、二つの視線。

まあ、こんなはっきりと見られてたらそうだよね。


「はい、お姉ちゃんあーん」

「あーん」


仕方ないのでそのまま横にスライドすると、大変嬉しそうな顔でお姉ちゃんがハムにかぶりつく。


「美味しい?」

「おいひー」

「でしょう?」

「この芳醇な味わい…隠し味は……『LOVE』…、かな?」

「醤油」


「これを食べないなんて言う人がいるらしいよ」

「ええ、勿体ない」


「「ね」」

「マーケティングやめろ」


二人揃って目線を向ければ、つれない彼はいつの間にかさっさと自分の食事を進めていた。

私達の子供の様なやり取りがツボに入ったのか、おばさんがお腹を抱えて蹲っている。


いつも通りの他愛もない朝。それは私にとっての、何よりも尊い一幕。







「そう言えばさ」

「ん?」


「お前の好きな人って結局誰なの」

「んー?」


その日の夜、ふと俺は思い出したようにそれを聞いてみた。

志乃があまりにいつも通りすぎて忘れるが、そもそも俺は志乃の好きな人の名前すらまだ知らないのだ。


「知りたい?」

「……まぁ」


いつも通りベッドで寛いで、いつも通りニコニコしていた志乃がコロコロと俺に近づいてくる。


「残念。SPが足りません」


知らないポイント出てきた!?


「志乃ポイント」

「17年一緒に過ごしてまだ足りない、だと……!?」

「後3年かなぁ…」


途方も無さすぎる。昨今のアプリだったらサ終してもおかしくないぞ。


「…DLCとか無いの?」

「逆に私に課金要素を見出していることにびっくりだよ」


ですよね。


「あるよ」

「あるの!?」


我が幼馴染にいつの間にかエキスパンションパスが作られている!?

志乃が一つずつ、丁寧にその細い指を立てる。


「月城志乃・賢くんエディションには1000円、3000円、5000円のコンテンツがございます」


しかも一つじゃないんかい。だがこれは気になる。分かりきった罠にハマってやろうではないか。


「1000円」

「一緒にご飯を食べに行くことで、賢くんのステータスにボーナスがつくよ」


飯を食うだけでは?


「…3000円」

「一緒に服を見に行くことで、賢くんの防具が強化されるよ」


「5000……」

「今の二つに加えて私の好きな人のヒントがもらえるよ」


くそっ、ニコニコ笑顔で足元見やがって…!

…今月、俺の財布に余裕は無い。だが、今課金せずしていつ課金すると言うのか。

俺は推しのために貯めていた貯金に手を伸ばし。


「ええい、持ってけ泥棒!!」

「ちゃりん」


志乃の眼前に一葉を叩きつける。


「さあ、誰なんだ!」

「ふふ、……あのね?」


志乃がかもかもと手招きすると、その小さな唇を俺の耳に寄せてくる。彼女の甘い匂いが微かに鼻腔をくすぐって。






「凄く大きくて、温かい人だよ」






………………………




………………………?




「え?」

「え?」


互いに顔を見合わせる。志乃は何の疑問も持たない顔で俺を見つめている。


「え?それだけ?」

「え?うん…」


……え?


「……………」

「……………?」


無言。


「大きくて。温かい……」

「えと、…」


考えろ。考えるんだ。あの志乃が何の考えも無しにこんなしょうもないヒントを出すとは思えない。

そう、前回の反省を思い出せ。あの時の俺は無意識に志乃の近しい人のみに絞って答えを考えていた。多分それは正しいんだ。あの時、志乃の口から否定は無かった。

同じ学校……町………大きい……温かい……。


「────」


まさか。


「……そうか。そういうことだったのか……」

「っ!」


かちりと、全てのピースが当てはまった音がした。

全てを悟った俺は志乃の両肩を掴んで、その顔を真っ直ぐと見つめる。


「け、けん、っく」

「志乃。明日の放課後、裏庭まで来てくれるか……?」

「は、はぃ……」


確かな決意を秘めた俺の顔を、彼女は目を見開いて真っ赤な顔で見つめている。

その日の彼女は家に送る道中も含めて、最後までぼーっとしていたのだった。









次の日。


「─と、いう訳で連れてきたぞ。相撲部の関君だ」

「どすこい」

「…………」


「大きくて温かいぞ」

「ごっつぁん」

「………………………」


「志乃?」


「そういう!!!とこだよ!!!!!」

「「うおおおおあ!?」」


この日、俺はあの大人しい志乃の魂の叫びと言うものを始めて耳にするのだった。


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