第5話 火傷

家路につく際の近道に、神社の境内を通り過ぎることにした。

大きな神木の幹の隣を抜けて、朱色の鳥居をくぐる。通り雨の湿気の所為で、青々と茂る木の葉や植物たちがより一層生臭く香り立っていた。石段を下って、参道を辿っていく。

「…アリステア。」

「ん?何。」

木漏れ日の中で名前を呼ばれてふっと顔を上げ、甲斐を見る。甲斐は立ち止まって神社の掲示板を見つめていた。

「どしたん。」

アリステアも引き返して、甲斐の隣に立つ。掲示板には小学生が書いた交通安全のポスターと供に、夏祭りを知らせる張り紙があった。日程の他に手書きのかき氷やフランクフルトのイラストが添えられているあたり、神事とは別でもっとフレンドリーな行事のようだ。

「もう、こんな季節か。」

アリステアは呟く。幼い頃は無条件に屋台の出る夏祭りを楽しみにしていたのに。いつの間にか、そうでなくなったらしい。

「一緒に行く?」

甲斐がアリステアに問うた。

「え?」

「夏祭り。」

甲斐は張り紙を指さしていた。

「あ、あー…。俺、バイトしてるからその日は無理かも。」

アリステアは脳内のスケジュール帳を開き、確認する。

「…うちの学校って、」

「あ。」

やばい、と思った瞬間にはもう遅かった。甲斐はまるで良いおもちゃを手に入れたかのように、にやりとほくそ笑んだ。

「へー。ふーん。どこでバイトしてんの?」

甲斐に逆らうことが出来ない。こうなれば自棄だ。正直に白状してしまえ。

「…酒場でバーテンダーしてマス。」

「え。意外。接客業なんだ。」

甲斐は目を丸くする。

「突っ込むとこ、そこ?」

アリステアも驚いて、目を大きく開く。

「え?」

「いや、未成年でアルコールを扱ってるとかさ。」

首を傾げる甲斐に、アリステアは自覚している罪状を告白した。

「飲んでるわけじゃないんだろ。」

「まあ…、カクテル作るだけの仕事だけど。」

誰に聞かれている訳でもないのに、つい小声になってしまう。それはアリステア自身が後ろめたく思っている証だった。甲斐はそんな様子のアリステアを見て、くすりと笑う。「罪悪感があるなら、辞めればいいのに。」

「それは…、できない。」

早く独り立ちが出来るように、アリステアは年齢を偽って働いていた。バーテンダーを選んだのも、同級生に見つからずにバイトするためだった。

「まあ、いいけどさ。」

「甲斐、この事は…、」

ん、と甲斐は頷いた。

「わかってるよ。誰にも言わない。」

「ありがとう。」

アリステアはほっとして痛む胸を撫で下ろす。

「あー、でも。夏祭り、一緒に行きたかったなー。」

唇を尖らせながら、甲斐は再び歩き出した。

「…最後の花火なら、抜け出せるかも。」

夏祭りのフィナーレを飾る花火は夜10時に行われる。その時間は丁度、バイトの休憩時間の筈だった。

「いいの?」

「うん。」

やった、と言って、甲斐は嬉しそうに破顔した。

「じゃあ、当日は連絡くれよな。」

「了解。」

話をしているうちに、家はアリステアの自宅が見えてくる。「…。」

帰りたくない。

アリステアの心が軋み、足が重く感じる。言葉数も少なくなって、自宅の前に立つ頃にはすっかり無言になってしまった。

「…じゃあ、また。」

キイ、と音を立て、門を開ける。家全体が威圧しているように感じた。

「うん。」

甲斐が手を振りかけて、ふと止める。

「あ、ねえ。アリステアー。」

「何?」

呼び止められて、アリステアは振り返った。

「アリステアの部屋って、何階?」

「…?二階、だけど。」

そんなことを聞いてどうするのかと思うが、甲斐は何故かふむふむと頷いている。

「わかった。またね。」

何かを納得して、甲斐は飄々と帰って行った。


「ただいま…。」

帰宅したアリステアは小さく聞こえないように、でも言わないと叱られるから仕方なくリビングに声をかけた。

「…。」

叔父はアルコールを摂取した上で酔って、ソファで寝ていた。アリステアは内心でほっとしながら、そっと二階の自室へと向かった。この家に居る限り息を潜めて、音を立てては行けない。存在を知られれば、面倒なことになるからだ。

制服を脱ぎ、ハンガーに掛けて壁に吊す。することもなく、アリステアはスマートホンを手にベッドに寝転んだ。自室にクーラーは無く、扇風機だけが涼を得る機械だった。

風量を強にして、風を仰ぐ。汗が引くには時間が掛かった。しばらく我慢しつつ、うとうとと微睡んでいると階下から怒鳴る声が聞こえた。

「アリステア!帰ってるんだろ!?」

叔父が目覚めたようだ。アリステアは、うんざりしながらも返事をする。

「…何、叔父さん。」

「さっさと食事の支度をしろ!」

アリステアには両親がいない。二人は、アリステアを残して呆気なく死んだ。以来、父方の叔父に引き取られたが家の家事全てを押しつけられるようになった。

アリステアはのろのろと階段を降りて、リビングを通り抜けてキッチンに向かおうとする。

「おい。」

ソファの横に一番近づいた刹那、叔父に腕を掴まれた。

「…っ、」

びくりと肩を震わせて、アリステアは立ち止まる。

「最近、帰りが遅いんじゃないのか。」

時刻は午後7時を少し過ぎたぐらい。帰宅したのは30分ほど前だから、高校生ならばさほど遅いわけではない筈だ。だが、曜日や時間の感覚の狂った叔父には遅く感じられるようだった。

「そんなことは、」

「あ?」

ない、と言葉を続ける前に叔父に凄まれて、ひゅっと息を呑む。

「おい、今、言い訳をしようとしたな?」

「…。」

掴まれた腕に、ぎりりと力が込められて痛い。

「離し、てくださ、」

アリステアが嫌がって身をよじろうとすると、叔父は余計に激昂して彼を突き飛ばした。床に倒れる前に、テーブルの淵に腰を強か打ち付けて一瞬、呻いてしまう。

「痛…っ。」

「いちいち声に出すな、うるさいぞ!」

叔父は倒れ込んだアリステアにまたがって、馬乗りになる。舌打ちをしたかと思うと、テーブルの上の灰皿から吸いかけの煙草を手に取った。

「!」

アリステアは咄嗟に手で自分の身体をかばう。それがまた気にくわない叔父は、手のひらでアリステアの頬を張った。突然の衝撃に頬の肉を噛んでしまう、鈍い痛みと、生温かい鉄の味に口の中を切ったことを知った。

「…ぅ、ぐ…、」

アリステアの身体が絶望に弛緩した瞬間、叔父はぐいと彼のシャツを捲り上げた。そしてあらわになったアリステアの胸元に、煙草が橙色に燃える方を押しつけた。

瞬間、じゅっと肌を焼く嫌な音が響く。そのままぐるりと煙草をねじられて、耐えがたいほどの高熱が円状に刻まれた。

「っひ、あ…ぁっ!!」

いやいやをするように、アリステアは首を横に振る。涙を溢し、声を抑えるように唇を強く噛む様子を見て叔父は笑っていた。

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