誰が為に夜は明ける 2
世間からの期待の重さ、そこから突き放された境遇。自分を持ち上げていた人々がある日突然自分を激しく非難するようになる。
インターネットに踊る文字、ワイドショーで交わされる議論、全てがあの頃の自分と重なった。いや、朝日景湖の方が幾分もマシだったように思える。
多くのカメラの前で頭を下げる氷魚舞を何度も目にした。脳に焼き付いて離れなかった。この子はこれから、リンクの上に戻ることは出来るのだろうか。
何かしてやりたい。そんな思いが胸を突き上げた。この子に何かをしてあげられた時、あたしは本当にフィギュアスケートという競技と人生に区切りがつけられる___________
最低であり、最高にお節介な気持ちがあたしを突き動かした。
夜な夜なリンクに立つ自分をいつからかフィギュアスケートの亡霊だと認識するようになっていた。フィギュアスケートに取り憑かれ、そこから先を行くことも逃げることも選ばない。だから氷魚舞の“何か”を変えた時、その呪縛から解き放たれると思った。それは過去の自分の救済と同等と捉えていた。
「______あたしは舞ちゃんを利用して自分を救おうとした。結局自分が一番大切だったんだ」
「それが……景湖さんがわたしのコーチになった理由」
「そう。あたしはあなたを救うことで、自分を満たそうとした。朝日景湖はね、あなたが憧れるような清廉潔白な完璧人間じゃないんだよ」
いつか話さなければと思っていた。いつか認めなければいけない日が来ると感じていた。自分は完璧なんかじゃない。自分に巣食う、黒くてドロドロとした塊を直視しなければならない。
「舞ちゃんが現役続けるって言ってくれた時、本当に嬉しかった。でも同時に思ったんだ。自分で立ち上がろうとしている舞ちゃんを見て、あたしはもう必要ないなって」
これ以上あたしが出しゃばる必要は無いと、NHK杯のトゥーランドットを見て思った。光を掴もうとする彼女の背中は、出会った時より遥かにしゃんと伸びていて何にも変え難い強さと美しさを持っていた。今の彼女はあたしには眩しすぎる。
沈黙を破ったのは舞の方だった。あたしの両手にそっと手のひらを乗せる。思わず顔を上げると、彼女は柔らかく笑っていた。
「景湖さんはフィギュアスケートのこと、好きですか?」
何を言っているのだろうこの子は。一も二もなく答える。
「好きだよ。大好き」
「じゃあ決まりですね」
何が、と言いかけているうちに舞は立ち上がり、ぐっと身体を伸ばした。
「景湖さんがわたしのことを利用したって思ってるなら、その罪悪感を半分こしましょう」
「え?」
「わたし、景湖さんにはいつまでもスケートに関わっていて欲しいです。陽の光が当たらない場所になんて戻しません。だってそんなの、“朝日景湖”じゃないから」
舞はリンクにストンと足を置き、くるりとこちらを振り返った。ダイヤモンドのようなキラキラとした輝きを双眸にたたえた瞳は美しく、雄弁だった。
「景湖さんがフィギュアスケートのことを好きな限り、わたしのコーチはやめさせませんから」
かつてメディアは氷魚舞を“堕ちた白魚”などと評した。舞は一度は地に落ちたかもしれない。だが、今の彼女にそんな面影は一切無かった。
全身が粟立つ。いつからこんなに強くなったのだろう。単純に、嬉しかった。
「……言うようになったねえ」
「知ってます? コーチと選手って段々似てくるんですよ」
「いやーそれは無いね。あたしの方が謙虚で美人で聡明だから。というか本当にいいの? あたしのギャラ、高いよ~」
調子付いてつい冗談を口にすると、先程まで威勢が良かった舞がみるみるうちにしょぼくれてしまった。しまった。地雷踏んだか。
「それに関してはほんとにスポンサー探しを頑張りますので……」
「動画投稿とかいいんじゃない? 技の解説とか、あのーあれ。歌ってみたとか」
「なしてスケート選手なのに歌わなきゃいけないんですか。絶対何も考えないで喋ってるしょ」
「トゥーランドット歌お。あたしコーラス部分やるから。あ、オペラ座の怪人でもいいかもね」
「絶対にいや! スポンサー探します! CMとかアイスショーとかとにかく頑張るので、歌NGで!」
そう言い残すなり氷を蹴って行ってしまった。もう、冗談だったのに。
GPファイナルまでそう多くの時間は残されていない。今の舞の最大を引き出し、世界の頂点へ持っていく為には何が最良か。抱えていた蟠りが消えた今ようやく本腰を入れて考えることが出来る。
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