光の中で 15

「まーいーさん」

「うわ、びっくりした」

 スタッフやら選手が行き交う廊下にて。いきなり肩を叩かれ振り向くと、東雲詩音が立っていた。今日もメイクもヘアスタイルもバッチリだ。さすがはキラキラ女子高生。

「朝日コーチもご無沙汰してます」

「久しぶり~。じゃ、舞ちゃん。あたし先行ってるから」

「あ、はい」

 気を遣わせただろうか。コートを片手に提げ、スタスタと歩いてゆく景湖の背中を複雑な気持ちで見送る。

「ね、舞さん知ってる? ロシアの天使」

 いきなり振られた話題について行けず、首を傾げた。詩音は興奮気味にスマホを操作し、わたしに画面を向けた。そこにはブロンドヘアに透き通るような青い瞳が特徴的な、人形のような端正な顔立ちの女性の写真が表示されていた。ああ、この子______

「去年のグランプリファイナル優勝者。シニア来てその年に優勝しちゃったロシアの新星。さすがに知っ______」

「アリョーナ・トロシュキナ」

 知らないはずがない。この子はかつてのフョードルのライバル、セルゲイの弟子なのだから。

 アリョーナがまだジュニアの頃、フョードルが度々言っていた。彼女はセルゲイの写し鏡だと。そしてこうも言っていた。「いつか舞の脅威になる日が来る」と。

 報道だと、彼女は順当にGPシリーズを勝ち進み、ファイナル進出への切符を手に入れているはずだ。世界の頂点で待ち受けている。いや、元よりわたしなんて眼中に無いのかもしれない。一匹狼タイプの完璧主義者。そんな所もセルゲイによく似ている。

「そうそう! さっすが。でね、その子がまた炎上しててさ」

「炎上?」

 アリョーナのSNSは炎上しがちだ。どこかの大会のスタッフの対応がウザかったとライブ配信で延々愚痴を零したり、「アリョーナのような見た目になりたい」とコメントしてきたファンに対して「書き込む暇があったら努力すれば?」と痛烈な意見を飛ばして賛否を呼んだり。ある時はキスクラで点数が気に食わないと腹を立てていたこともあった。

 しかしどんな苛烈な発言も、彼女は実力で黙らせてきた。強気な言葉は実力に裏付けられているからこそなのだとわたしは思う。

「そう。今度はね、『今年のグランプリシリーズは退屈すぎる。手抜きしてもファイナル連覇出来そう』って文章と……この写真」

「うわ……」

 そこには、立てた親指を地面に向けてカメラを睨み付けるアリョーナが映っていた。炎上も納得の一枚だ。

「スケートオタクたちがブチ切れでさ。もう凄いんだから」

「ほっとけばいいのに、そんなの」

「で? この挑発の対象に入ってる氷魚舞選手はどうお感じですか?」

 いきなりインタビュアー口調で問い掛けられたものだから、どうって……と口ごもる。そういえばフョードルも言ってたな。セルゲイは現役時代、ビッグマウスで有名だったって。それをいちいち取り沙汰するメディアもメディアだし、自分たちは弁論家じゃなくてスケーターなのだから演技で示せと。

 アリョーナがセルゲイに似ているならば、わたしはフョードルに思想が似ているのかもしれない。

「何も。退屈しのぎにわたしと戦ってくださいとしか」

「……めずらし。舞さん強気じゃん」

「強気……ではないけど」

 ただ、アリョーナだけには絶対に負けたくないという意思がある。エヴリンや雨桐、ファイナルに勝ち上がってくる6人の中の誰よりもわたしは強く在りたい。少しずつだけど、そういう自覚がわたしの中で芽生え始めていた。

 詩音と一旦別れ、限られた時間の中で練習を詰める。心身共に調子は良かった。ただ、わたしの場合は前例が多数あるので油断は禁物だが。

 午後。会場に観客が入り、大会がスタートした。ペアのショートプログラムが始まる中、わたしは景湖と共に廊下の隅で動きの確認をしていた。

「うん。そこはもうちょっと……そう、上げた方が綺麗。回って~うん。いい感じ。ちょっと休憩ね」

「はい」

 パイプ椅子に腰掛けて水筒を傾ける。あと確認する場所は______と考えていると、膝元に影が差した。

「舞ちゃん。久しぶり」

 東武だった。スラリと長い手足に人懐っこそうな笑顔。そういえば彼もNHK杯出場者だったなと思い出す。

「お久しぶりです」

 彼は同じ日本人選手として大会やその後のバンケットで顔を合わせる機会があるといえど、そこまで親しい間柄ではない。言うなれば顔見知りの先輩後輩同士のような関係だ。

 フィギュアスケートは選手同士の交流が多く設けられている競技ではあるが、わたしの性格上なかなか自分から交流に行くことが難しく、結果的にごく限られたコミュニティの中でしか生きていない。対する東武はコミュニケーションに長けており、壁の花になっているわたしにすら話し掛けてくれる、いわゆるいい人だ。

「朝日コーチ。うわー本物だ。お会いできて嬉しいです」

「どうも……?」

「じゃ、舞ちゃん。応援してるから」

「ありがとうございます」

 去り際まで爽やかな彼の背中を見送ると、すかさず景湖に小突かれた。

「ね、あの子いくつだっけ」

「わたしの2個上なので……今年25とかじゃないですか」

「そんな世代の子にも憧れられるようになっちゃったの、あたし? 時の流れ恐ろしや……」

 確か男子シングルは夜のゴールデンタイムからの開始だったはず。一方で女子はちょうどおやつの時間と言ったところか。いくら選手側が悩んでもこの差は埋まらないので、余計なことを考え始める前にパイプ椅子から腰を上げた。

 かつて朝日景湖という女子スケーターが世間の注目を集めた前例がある。今はまだ男子の時代かもしれないが、いつかきっと、そんな日が。

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