光の中で 13

「おつかれ~かんぱ~い!」

 小気味良いグラスの当たる音がする。舞のグラスの中身は烏龍茶、あたしのはビールだ。

 無事にエキシビションまで終えたあたしたちは、会場近くの中華料理店にいた。上海蟹に北京ダック、絵に書いたような中華料理が次々と運ばれて来ることに笑みが止まらない。

「さ、食べよ食べよー。舞ちゃんの3位に大感謝ーってことでね~」

「絶対思ってないでしょう……3位ですし」

「いや、思ってる思ってる。言ったしょ? あたしは何があっても舞ちゃんの味方だって」

 舞の結果は総合3位。フリーの得点のみで見れば、エヴリンを押さえて2位に食い込んだ。総合順位は、林雨桐が1位、エヴリン・ミラーが2位という結果に終わった。

 舞のフリーの快進撃は凄まじかった。トゥーランドットを自分なりに解釈し、表現しようという気概が見えた。何よりも、朝日景湖に憧れながらも朝日景湖のコピーではなく、あたしとはまた違ったトゥーランドットを見せてくれたことが嬉しかった。あそこには氷魚舞の色が確かに存在していた。

「でもびっくりしたさ。舞ちゃんがパンパンの目で朝来た時」

 適度に腹も膨れ、アルコールも入ってきた頃。大会中触れたかったことを酔いに任せて言ってみた。案の定舞は気まずそうに視線を逸らし、烏龍茶に手を伸ばす。

「あの時は本当にご心配おかけしました」

「いいんだけどさ、何があったのかだけ聞かせて」

「深くは聞かないでおくって言いませんでした?」

「言ったね」

 あの時は本当に経緯なんてどうでもよかったのだ。泣いてスッキリしたんならそれでいいなと思ったし、寝てないんなら時間を見つけて寝かせてやろうとそう思っていたのだ。しかしその後の舞の練習を見て気が変わった。何かが舞を変えたのだと、そう確信した。その何かが知りたくなった。

 ショートは大方、前コーチを亡くしたトラウマやプレッシャーに押し負けて崩れたのだろう。これは元々危惧していたことだったし、今まで見てきて舞のメンタル的にそうなるかなーと思っていたので、想定の範囲内だとする。

 そういう時、舞は人に触れられることをこれでもかと言うくらいに嫌う。自分では気付いていないだろうが。どんな慰めだって薄っぺらいものだと感じ、跳ね除け、ひとりの世界に篭ろうとする。だからあたしは敢えて舞をひとりにした。優しい言葉も逆に厳しい言葉も掛けず、放置することにした。

 フリーのことは何とかなると思っていた。だって腐っても氷魚舞だから。自分なりに悩み、足掻き、向き合うことが出来る人間だと知っていたから。

 しかしどうやら彼女はあたしの想像を遥かに超えた成長を一晩でしたらしい。瞼が腫れるほど泣いた先に新しい景色があったのならば、寝てなかろうがそれで良いと思ったのだ。

「えーでも知りたいー教えてよーケチ」

「飲みすぎなんじゃないですか? もう最後にしてくださいね。明日の朝飛行機早いんだから」

「舞ちゃんつめたい」

 ぐ、と舞を睨み付けてはみたものの、彼女はそれを意に介さず店員にチェックを頼んでいた。生意気な。

「ま、いいもんね。あたしは結果さえ残してくれれば。日本帰ったらビシバシ鍛えるよ。あたしのトゥーランドットを越えるには100年早いんだからさ」

 残っていた紹興酒を飲み干し、机に勢いよく叩き付ける。舞はそれを挑戦と受け取ったのか、挑発的に微笑んだ。

「望むところです」

 しまった。スケートバカであり、あたしのオタクにはそんな効かなかったか。じゃあこれならどうだ。

「はーん。言ったな? ちなみにNHK杯のフリーも4回転無しのつもりだからね?」

「…………ん?」

 丁度通りがかった店員にクレジットカードを渡し、色んな意味でチェックメイトだ。混乱する舞をよそに、黒いダウンジャケットを羽織る。

「世界を驚かせるなら、それくらいのサプライズはファイナルに取っとかなきゃ。ね?」

 自分でも惚れ惚れするくらいのウインクをかまし、店員からカードを受け取って店を後にした。火照った身体にちょうど良い冬の風があたしの髪をくすぐった。

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