光の中で 8
「舞ちゃん、大丈夫。落ち着いて。深呼吸」
景湖の言われるがままに呼吸をするが、上手く出来ているかは定かでない。
「遠くを見るの。自分の音楽に集中して」
頭の中は雑音だらけだ。
「舞ちゃん」
肩に手を置かれた。じんわりと伝わる熱が、酷く苦しかった。許されるならば振りほどきたい程に。
「あたしは何があってもあなたの味方だよ」
エヴリンが演技を終える。大歓声が鼓膜を震わせ、結果を見なくとも彼女がトップに躍り出ることは確実だった。
耳元で心臓が鼓動する。血管がはち切れそうだった。エヴリンと入れ違えるようにリンクに飛び出す。観客はエヴリンの演技の熱が冷めないようで、興奮気味に彼女の点数を待ちわびていた。誰もわたしなんか見ていない。
それが却って、わたしを落ち着かせた。
「淡い月光も、ただそこに居るだけ。誰も注目なんかしていない」
エヴリンの結果が出る。堂々の1位。今季のシーズンベストを叩き出し、観客の感情はもはやエヴリンのものだった。
「氷魚舞、日本」
エヴリンに後ろ髪を引かれながらも、観客たちのまばらな拍手がわたしを出迎える。針の落ちる音すら聞き取れそうなほど、静まり返ったスケートリンクに、氷を削る音だけが響く。
スタート位置についた。音楽が、始まる。
今までの鬱憤が爆発したかのようなメロディ。ああ、やっぱり速いな。身体がなんとかついて行っている状態で、心が追い付かない。
最初のジャンプは3回転ルッツ。なるべく流れを止めないように意識して______失敗した。勢いが不足し、回転が足りなかった。
そのままフライングシットスピンに入る。速い、もはや息が切れそうだ。何も考えていられない。
これが朝日景湖の最高難度。これが、彼女が見てきた世界。
目まぐるしく変化する音楽と、細かいステップに心も身体も翻弄される。観客の目から熱が冷めていくのを肌で感じる。あの時と同じだ。あの時のわたしと何も変わらない。
息を吸えども脳に酸素は行き届かず、酸欠状態で目の前がチカチカと点滅し始めた。
「やめて、わたしを見ないで……」
音楽が終わりを迎える。呆れたような眼差しも、軽蔑も、全てが一年前を思い出させた。お前はこの世界に不必要だと烙印を押された、あの日のように。
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