光の中で 7
結局、練習中にマトモな技を決めることは叶わなかった。わたしを心配する景湖の眼差しと、ざわつきが増していく胸と共に大会が進行してゆく。
ショートの為に用意した衣装は、黒と深い紫のグラデーションが印象的な美しい衣装だった。闇夜に浮かぶ淡い月光をイメージしており、日頃から衣装を手掛けてくれている人と何度も打ち合わせをして決めたデザイン。
袖を通す。柔らかな布地が身体のラインに綺麗にフィットする。胸元の装飾は光を受けるごとに印象を変えるように瞬き、激しく移ろいでゆく曲調を表している。
「……よし」
大丈夫。自分に言い聞かせ、ジャージを羽織った。
わたしの出番は第2グループ第3滑走。これも縁なのか、エヴリンの後であり雨桐の前である。優勝候補が揃い踏みのこのグループの注目度は非常に高い。つまり、失敗すればその分多くの人間の目に触れるということだ。
歓声が聞こえないようにイヤホンで耳を塞ぎ、淡々とウォーミングアップをこなしていく。余計なことは考えたくない。しかし雑音が脳内を蝕んで正しい音を捉えられなくなっていた。
「舞ちゃん、時間」
「は、い」
肩を叩かれた時にはもう6分間練習で。冷たいままの指先に知らないふりをしながら、わたしはイヤホンを外した。
客席には中国の旗が多く揺れ、雨桐に歓声が飛ぶ。ああ、この感じ、この空気、知っている。
「6分間練習を開始してください」
6人の選手たちが一斉に動き出す。とにかくここで挽回しなければ、と頭を切り替えるように両手で頬を叩いた。
頭の中で流すのは月光。集中の糸を手繰り寄せ、周囲の音をシャットアウトすることに努める。
氷を蹴った。トリプルアクセル。GOE加点ギリギリくらいだろうが、なんとか跳べた。ネガティブとポジティブの狭間で揺れる自身に、大丈夫だよと言い聞かせる。
「わたしはやれる」
勢い付いて3回転ルッツ______と、力が入りすぎてステップアウト。体勢を持ち直して意識的に呼吸を深くした。
はた、と目についたのはいつもは気にならないはずのカメラたち。わたしを追う黒いレンズの向こう側では今どんな反応がされているのだろう。
世間からの期待を裏切って地に落ちたフィギュアスケーター。インターネットに並ぶ誹謗中傷の文字。見るに堪えない、わたしの心をズタズタに切り裂く言葉たち。わたしに向けられる哀れみの目。表面上だけの薄っぺらい慰め。
また同じことが起こったら。今度はナイフのような言葉たちが、景湖にも向くのだろうか。やっとフィギュアスケートの世界に戻ってきてくれたのに。わたしのせいで。全て、わたしのせいで。
光が、わたしを非難する。網膜を焼くほどの眩しさが、わたしを悲劇のスケーターに仕立てあげようと何度も瞬く。
「だめ、いいことだけ考えて、いいことだけ……!」
上手く酸素が吸えない。振り払っても焼き付いた光がわたしを掴んで離さない。
跳ばなきゃ、それでも跳ばなきゃ。喘ぐように息をしながらがむしゃらにスピードに乗る。この1本が成功すれば、本番に落ち着いて挑める。この1本さえ決まれば、______
「6分間練習を終了します。各選手はリンクサイドに上がってください」
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