光の中で 2
「あら! マイじゃない!」
会場入りし、リンクへ向かう道すがら明るい英語がわたしたちを呼び止めた。ブラックの囲み目メイクにはね上げたアイライン、真っ赤なリップに赤髪、加えて長身いう一見すると近付きがたい印象を与える女性が満面の笑みで小走りに近付いてきた。見た目で誤解されがちな彼女だが、口を開けばもう本当にユニークで、包容力があってとにかくわたしにとって良い影響を与えてくれる大切な存在。
「エヴリン! 久しぶり。元気だった?」
「あたしはいつでも元気いっぱいよ。マイの元気を心配してたけど_____この間のオータムクラシックを見る限り大丈夫そうね」
エヴリン・ミラー、24歳。GPファイナル出場経験が豊富なアメリカ代表の実力者だ。長い手足を生かしたダイナミックで伸びやかなスケーティングが持ち味。
わたしのジュニア時代からの友人であり、良き先輩でもある。ジュニアだった当時、わたしは英語があまり堪能では無かったのだが、彼女はむしろ「あたしは日本語が全く分かんないから勉強してみる!」と宣言し、本当に日本語を学び始めた。曰く、「日本人は英語を話せるよう努力するのに、英語を第一言語とする人間が言語取得の努力をしないのはおかしい。歩み寄るべきだ」ということらしい。彼女の言葉のお陰でわたしは英語の勉強に身が入るようになり、何よりもそんな素敵な考えを持つ彼女の話す言葉を理解出来るようになりたいと思った。お陰で日常会話レベルまで英語力を引き上げることが出来た。
以来、彼女の魅力に惹き込まれ、取材でも何度か彼女の名前を出す程になった。稀にライバルとして名を挙げられることもあるが、実際のところライバルという意識をしたことは一度もない。良き友人、というか唯一心を許す友人、そんな感じだ。
「あの4回転トウループには驚かされたわ。まさかラストのジャンプに持ってくるなんて。マジで!? って叫んじゃった」
矢継ぎ早に飛び出す彼女の英語を日本語で訳すならば、いわゆるギャルっぽい口調になるのだろうか。昔から変わらないオーバーな表現に懐かしさと笑みが零れた。
「そんな、4回転跳ぶ女子も他にいるでしょう」
「いるけど、マイが跳べたことが嬉しかったのよ。それに____こう____全身がゾクゾクするような、そんなジャンプだった。あれは間違いなく伝説に残るわ」
「言い過ぎだよ」
「あ、あの~舞ちゃん」
しまった。すっかり蚊帳の外の景湖が控え目に声を上げたことにより、友人との会話につい熱が入っていたことを思い知らされる。
英語が苦手だと豪語する(そんな誇ることでもないと思うが。)景湖はさぞ気まずかっただろう。申し訳ないことをした、と目で謝り、改めてエヴリンに景湖を紹介する。
「こちら、わたしのコーチ、朝日景湖さん。……知ってるよね?」
「もちろーん! ケイコの話永遠に聞かされてたの誰だったっけ? マイの憧れ、というより神様? 母みたいな感じとも言ってたことあったっけ? あれはマジで日本語で言うところの耳からタコでさあ______」
「いいいい! 一旦静かにして」
英語が苦手とはいえ、海外選手との交流で多少のニュアンスは伝わる。実際、景湖は英語が全く話せないわけでもない。
朝日景湖オタクとしてのわたしを知るエヴリンに、余計なことを言われる前に彼女の口を塞いだ。どうか、マシンガンのようなエヴリンの英語がリスニング出来ていませんようにと祈りながら、景湖に向き直った。
「景湖さん、こちらエヴリンです。エヴリン・ミラー。わたしのジュニア時代からの友人です。多少の日本語は分かるはずなので、日本語でも大丈夫です」
「そうなのね。えっと、朝日景湖です。……こんにちは?」
「こんにちは。エヴリンです。アー、あなたはわたしたちの憧れです。お会いできて光栄です」
エヴリンの日本語は記憶よりもずっと上達していた。発音に独特の訛りも少なく、スラスラと言葉が出てきている。あの宣言は今でも続いていたのかと思うと胸がジンとした。
エヴリン・ミラーとはそういう人間である。スケートに対してはもちろん、様々な面でストイックさを発揮する。そんな彼女をわたしは心から尊敬している。
「ありがとう。演技は見たことあったけど、プライベートまで知らなかったから。舞ちゃんとこんなに仲良いとはね」
「アー? そう、わたしめっちゃマイと仲良いです」
しかし今度は細かいニュアンスまでは伝わらなかったようで、簡単に訳してエヴリンに伝えた。理解した途端、彼女はくだけた笑顔でわたしの肩をバンバンと叩いた。い、痛い。
「そーなの。この子そんなに社交的じゃないからさ。最初はそりゃあ大変だったわよ。でもケイコの話になったら普段の5倍は喋ることに気付いて。いや、5倍は嘘ね、10倍は喋る。10倍ってヤバ。普段どんだけ人見知りなのって話なんだけどさ。まあそれはいいとして、それで打ち解けたの。あたしたちの世代ってケイコに憧れてスケート始めた子が多いからさ。そのうちケイコに関する教科書でも発行しそうなくらいケイコWikipediaだったあんたのコーチにそのケイコがなるとは。人生何があるか分からないわねー」
「……舞ちゃんごめん、頼むわ」
早口&長文英語はさすがの景湖にも伝わらなかったらしい。むしろこの内容が100%伝わっていたら、小っ恥ずかしいので伝わらなくて良かったのかもしれない。
どう訳すか迷ったが、「わたしがあまり社交的じゃないので、最初は取っ付きにくかったけれど、景湖さんのことが共通の話題になって仲良くなりました。わたしたちの世代、景湖さんに憧れてスケート始めた子が多いので。そんな憧れの人が今やコーチになるなんて、人生何があるか分からないねって言ってます」と伝えた。かなり掻い摘んではいるが、概ね間違ってはいないだろう。
というか、10倍は喋るってなんだ。そんなに喋ってはいないだろう。せめて2倍、いや3倍か? とにかく景湖のことになると多弁になることは自覚しているので口を噤んだ。
「ええ、なんか嬉しい。ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます。ケイコさん」
こちらこそなんて言葉も覚えている。エヴリンが日本語でマシンガントークをかます日も近いかもしれないと予感した。
「そういえばエヴリンのコーチは?」
言いながら景湖が周囲を見渡すが、それらしき人物は見当たらない。それについてはわたしが答えることにした。
「去年からコーチ無しでやってるんです。前のコーチと反りが合わなくなってしまって」
「そうなんだ」
そう、エヴリンは現在一人で戦っている。昨シーズンはわたしとは違う孤独を味わったことだろう。ファイナル進出常連者ではあったが、昨シーズンはそれが叶わなかった。しかし取材ではそれに対して「完全に実力不足だった。来シーズンは完璧な調整で挑むから楽しみにしてて」と答え、己の弱さを認めた上に前向きな発言をかました。記者会見が謝罪会見となってしまったわたしとは雲泥の差だ。
逃げたわたしと、向き合ったエヴリン、その精神の差は大きい。
「随分引き止めちゃった。明日のショート、期待してるから」
「ありがとう。わたしもエヴリンの演技久しぶりに生で見られるの楽しみにしてる」
「じゃ、またあとでね!」
ラフにまとめられた赤髪が颯爽とリンクに向かってゆく。その背中を見て、わたしも頑張らなければと一層気合が入った。
「……なんか、安心した」
「え?」
「舞ちゃんにもあんな素敵な友だちがいるんだなって知れて」
景湖の表情を見るに、相当心配してくれていたのだろう。わたし自身が社交的ではないとはいえ、フィギュアスケートという競技は昔から、選手間のコミュニケーションや交流が求められる場面が多々ある。バンケットなどその最たる例ではないだろうか。
他のスポーツとは違い、自国他国問わず人との繋がりを重んじてリスペクトし合う、そんなフィギュアスケート界では氷魚舞はちょっと浮いた存在であることは自覚している。それが実は景湖の心配の種となっていたなんて。
実際のところ、エヴリンを唯一の友人として、元リンクメイトや東雲詩音など会話する存在だって居る。だから、景湖の心配はただの杞憂だ。元を辿ればわたしは孤独を好む人間だ。エヴリンが例外なだけ。そう、彼女は______
「ほんと……自慢の友人です」
そして、越えるべき存在でもある。それはとてもありがたいことだ。
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