第13話

 目の前に笑顔のユフィがいた。

 また同じ夢だ。この後、ユフィはミリアがなす術もなく砂になって崩れ去ってしまうのだ。

 

 嫌だ。


 何度も何度も見た光景だが慣れない。目の前からユフィが消えるのは耐えられない。そうミリアが強く握りしめた拳をユフィはそっと手に取った。そして、握りしめた手を解すように開く。ミリアはユフィと正面から見つめ会い、手を繋いだ。

 

 ミリアは困惑した。今までユフィに触れることすら出来ずすぐに崩れてしまっていたからだ。そして、嬉しかった。繋いだユフィの手は間違いなくユフィのものだったから。例え夢の中だったとしても。


「久しぶりに手を繋げて嬉しいな」


 ユフィは答えない。笑顔のまま繋いだ手を頬に寄せ、撫でてと言うように顔を傾けた。


「ねえ、ユフィ。元気?」


 ミリアはもう片方の手も上げて、ユフィの頬を両手で包んだ。撫でるように指を動かすと、くすくす笑いながら目を瞑り首を竦める。ユフィはこれが好きだった。ミリアを近くに感じられて安心するらしい。


「大好きだよ」

 

 そう呟いた時、目が覚めた。ユフィが崩れて消えずに目が覚めたのははじめてだった。しかも、ユフィに触れることが出来たのだ。精神が安定してきた証拠なのだろうか。手にはユフィの肌の感触が残っている。悲しくない目覚めは久しぶりだ。


 ぬいぐるみの体だが、普通に眠るサドン。枕元で寝息を立てている。肌寂しいミリアはそんなサドンを自身の胸元に引き寄せて抱きしめた。


――――


 これ以降、ユフィが夢の中で崩れることは無くなった。ある日は花壇で花を育てるユフィの後ろ姿を眺めたり。またある日はユフィはミリアの腕を抱えながら寝ていたり。相変わらず夢の中のユフィはどれだけ話し掛けても喋ることはなかったが、それだけでミリアは充分だった。

 あれだけ怖かった眠ることが怖く無くなったのだ。


「オマエ最近寝付きいいな。クマも無くなったし」


 そう言いながらサドンがミリアの顔をまじまじと見つめる。サドンの下には『猫でも分かる花の育てかた①』という本が敷かれていた。どうやら読むのに飽きたらしい。

 サドンは飽きるとこうしてミリアに絡んでくる。

 ユフィについての手がかりを探していたミリアは魔術式を書く手を止め、本を閉じた。ユフィの事となると時間を忘れて没頭しがちのため、こうしたサドンの声掛けを休憩の合図にしているのだ。

 

「それにオレを抱きしめるようになった。やめてくれよ」

「嫌だった?」

「ちげえよ。普通に寝てたのに起きたらオマエの胸の中だ。びっくりすんだよ。やるなら最初っから抱きしめとけ」

「そっか、びっくりさせちゃってたか。ごめんね」


 膝立ちで机の上に立つサドンと目線を合わせ、小さな手を人差し指と親指でフニフニ触りながら謝る。すると、何かに耐えきれなくなったかのように耳をピクピク動かしサドンは目線を外した。


「ぐっ……この人たらしが!そういう所だぞ!」


 そういう所?それに人たらしだなんて。ミリアは首を傾げていると、尻尾を机に叩きつけながら語気荒くサドンが続ける。しかし、怒っていてもその姿は黒猫のぬいぐるみ。可愛い。

 

「オマエ一体何人に告られた?」

「急だね。えっと……覚えてないかな」


 ミリアは元来、人当たりが良い。困っている人には手を差し伸べ、男女共に好かれる性格だ。そしてタチが悪いことにユフィとの近すぎる距離感を他の人にも持ち出すのだ。

 こうして生まれたのが『自分にやたら優しく接してくれる距離感の近い高身長の男の子』もはや人たらし以外の何者でもない。

 

「この人、私の事好きなのでは?」そう多くの人を勘違いさせるミリアの言動。街の小さな女の子さえ誑し込むその姿にミリアに付いたあだ名は『初恋泥棒』。しかし、ミリアは16年生きてきた中で告白された事などなかった。理由は明白、ユフィの存在だ。

 

 サドンは知っている。かつて諦めていた者たちの間でミリアを守る「ガードが無くなった」そして「傷心中」と噂になっていることを。そして、当の本人は知らないことも。


「チッ……誰とも付き合わないのか?」

「そういう気分になれなくて」


 ミリアは、はじめて告白された時は嬉しかった。しかし急激にその件数は増えていく。モテ期など可愛いものではなく、もはや恐怖を覚える程だった。

 

 ……というのは建前。ユフィが行方不明な中、こうした浮ついた気分になるのはミリアが自分自身を許せない。

 体をグルグル巻きに縛る鎖は解けた。サドンが解いてくれた。でも、足の重りは付けたままでないと駄目なのだ。ユフィが見つかるまではこの重さを引き摺らなければならない。

 

 ミリアはそんな気持ちをグッと喉奥に詰めて笑顔を浮かべた。

 

「それにサドンといる方が楽しいしね」

「ふん!そうか、そうだろう!」

 

 途端上機嫌になったサドン。こめかみを撫でると、机に叩きつけられていた尻尾は天井に向けピンと立てられる。そして、しばらく上機嫌にユラユラと揺れていたが、ハッと何かに気付いたように動きが止まった。

 

「この人たらしが!こんなこと言いながらオマエの頭の中は……もういい、勉強は終わりだ。今日もやるんだろ?」


 サドンは本と魔術式の書かれた紙をどかし、机の上にスペースを作った。そして、移動させた本の上に座る。ミリアはサドンが作ってくれたスペースに裁縫道具を並べ、型紙通りに布を断ち、印を付け針を通す。

 こうしてミリアによって生み出される縫い目は、機械よりも速くそして正確だ。もはや、人の手で生み出すことの出来る領域では無い。


「ほう……」

 

 洗練された無駄のない手際に、感心した様な溜息が聞こえた。


「魔法みてえだ」

「魔法だからね。お父さんとお母さんはもっと凄いよ」

 

 魔術と魔法は別物だ。

 魔術とは、作った魔術式に魔力を込めると発動するものだ。魔術式は基礎的な枠があり、勉強を重ねて式に文字を付け加えたり削ったりすることで魔術式を作るのだ。言わば個人の努力でどうにかなる。

 対して魔法は生まれ持った才能だ。人の倍荷物を運べたり、声を隣街まで届けることが出来たり。魔術式では説明のつかない個人が持っていたり、持っていなかったりする奇跡の力。努力でどうにもならない場合もある。それが魔法だ。聖女の力も魔法と言っていいだろう。


 ミリアは『布を綺麗に縫い合わせる』魔法を持っている。唯一無二ではないし、誰だって練習すれば綺麗に布を縫い合わせられる。この魔法が無くとも裁縫もデザインも出来る。

 しかし、両親と同じこの魔法を持って生まれたのは、迷わず服飾店を継げと言われているようで嬉しい。

 

 ミリアの手の中では針が布の海を渡り、着々と形作られる。あっという間にリスのぬいぐるみが出来上がった。


「はい、完成」

「は?もう終わりかよ」


 両親の手伝いに小物を作ったことを起点に、サドンはミリアの魔法を見たがる素振りを見せた。

 しかし、ミリアはまだ学生。両親による教育上の方針で頼まれる手伝いは多くない。お陰で個人的な趣味として、ぬいぐるみを作る頻度が増た。サドンがぬいぐるみサドンに宿ってからこれで6体目だ。

 サドンはミリアが裁縫する様子を静かに見ているだけ。はじめは物珍しさから見たがっていたが、そろそろ飽きてきた頃ではないのか。


「飽きないの?」

「飽きる?飽きねえだろ。水やりと同じだ」


 サドンはキョトンと答えた。サドンはあの日以来、欠かすことなくユフィの花壇に水をあげている。とても楽しそうに。

 どうやらサドンにとってミリアの裁縫を見ることは、水やりと同等に楽しいらしい。

 

 ミリアは花を手入れするユフィの後ろ姿を眺めるのが好きだった。何時間でも眺めていられた。

 それを思い付くと途端にしっくり来る。それはどれだけ見てても飽きない。

 

「よお、後輩。オマエはペンデュだ」


 出来上がったリスのぬいぐるみに早速名前を付け、挨拶をするように持ち上げた。意図していないのだろうが、頬と頬がくっついており、もふもふのぬいぐるみが互いを抱っこをしているようで、とても可愛らしい。そして大きさの問題でサドンはペンデュを引き摺るように抱えいる。

 

 サドンはミリアの魔法が発現する前に作ったはじめてのぬいぐるみ。足の長さが違うし、腕の付け根の高さもバラバラ。新しく作ったぬいぐるみと見比べてみるとその違いは顕著だ。

 サドンはユフィとの思い出が深いぬいぐるみだ。出会った時も一緒だったし、はじめて名前を付けてくれた大切なぬいぐるみ。手直しする気はなかったがサドンが動きづらいのならこだわる必要も無いだろう。

 

「サドン、歩きづらくない?」

「ん?あー……」

「すぐに終わるよ」

「なんかこのままでいいや」

「そう?」


 本人が良いなら無理強いはしない。ミリアは裁縫道具を片付けて、ぬいぐるみの手入れを始めた。

 少し前までのミリアは、こんなことしてる時間があるのならユフィを探すと息巻いていたものだ。こうして、まったりとした時間を過ごせるようになったのはサドンのお陰だ。


 棚に並べている端から順番に膝の上に乗せ、風魔術でホコリを落としてからブラシで毛並みを整えた。

 何体目かのお手入れにかかった時、新入りのペンデュと遊んでいたはずのサドンがじっとこちらを見つめていることに気がついた。


「どうしたの?」

「べつに」


 サドンは再びペンデュに向き直る。ミリアもぬいぐるみの手入れを再開させると、間もなくしてサドンの視線を感じた。どうやら手入れしているぬいぐるみをじっと見つめているらしい。


「やっぱり何かあるでしょ?」

「……べつにねえよ」

「サドンー?サドンくん?サドンさん?」


 機嫌を損ねたのか、そっぽを向いてしまった。呼び掛けにも答えない。こうなったら放っておくしかないだろう。

 チラチラこちらの様子を伺うサドンに気づかないフリをして、ぬいぐるみを整える。


 あっ、この子の体積減ってる気がする。


 綿の調子を確かめるために羊のぬいぐるみを抱き締めたとき、腕の中からぬいぐるみを抜き去られた。サドンの浮遊魔術だ。サドンが腕を上げるとその動きに呼応するようにぬいぐるみは宙に浮き、元ある棚の上に並べられる。

 そして、机からミリアの膝の上に飛び乗り、ミリアを背もたれにして座った。


「サドンさーん?」


 黙ったままミリアの腹に後頭部をグリグリ押し付けるサドンにミリアはクスリと笑う。


「可愛いね」

「チッ」


 舌打ちをしつつも、毛並みを整えるミリアの手を受けいれ、気持ちよさそうに目を瞑った。

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