第10話(キャロライン視点)

「はあ……」


 エイラ・キャロラインは深いため息をついた。

 視線の先には散歩をしている王太子と聖女の力を持つ継人様。手が触れそうになり、恥ずかしそうに顔を背け合った。なんとも初々しい雰囲気が流れ出る。

 そんなふたりを眺め、心の中で叫んだ。


 まったく心が滾りませんわっ!


 ――――


 妃候補を無事辞退したキャロラインは恋愛がしたかった。幸せが恋愛だけとは限らないが、キャロラインだって10代のうら若き乙女。妃教育も必要なくなった今、姉のように素敵な殿方を射止めたいという気持ちになっていた。

 

「……難しいですわ」


 しかし、早速行き詰まってしまった。

 物心ついた時から王族との婚約のため教育を詰め込まれてきたキャロライン。「あなたは王太子と結婚するの」そう言われるがままこの年まで恋という恋をしたことがなかった。好きとはどういう気持ちかすら分からない。


 学友から借りた恋愛小説も読んでみたがいまいちピンとこなかった。きっと、心の中のそういう回路が途切れているのだろう。

 

 加えて、キャロラインは公爵令嬢。それだけで気後れする人が多い。更には辞退したとはいえ、最後まで残った妃候補という噂も流れたままだ。

 どれだけキャロラインが魅力的でも、皇太子から奪おうだなんて考え無しはおらず、恋愛対象として見られている気配がない。


「前途多難ですわ」


 恋愛は難しいが、もうひとつのやりたいことは達成できそうだ。キャロラインはCクラスに出向いた。

 姉のドレスを制作したアレドーレ服飾店の息子がCクラスに所属していると調べが着いたのだ。

 

 貴族は自らのお金で買った物に対してお礼を言ってはならない。そんな暗黙のルールがあるが、そんなこと知ったこっちゃない。

 

 幸せそうな姉を引き出したウェディングドレスの製作者に直接感謝の気持ちを伝えたいのだ。姉の言葉がなかったら今頃皇太子と婚約を結んでいただろう。そして皇太子の妻として覚悟を決め、強く正しく美しく振る舞うのだ。いつか現れるかもしれない聖女の力を持つ継人の影に怯えながら。


 加えて、今は貴族の中でも知る人ぞ知る服飾店といった立ち位置だが、あんなに素敵なドレスを制作したアレドーレ服飾店には将来性がある。これからもっと大きくなるに違いない。だから今のうちに店を継ぐであろう同学年のミリア・アレドーレと接触しておこう。

 キャロラインもまた公爵令嬢。そんな貴族的な打算もあっての事だが。


「貴方様、ミリア・アレドーレ様はどちらに?」

「キャ、キャロライン様!?」


 手近に居た女子生徒に声をかけると、驚きつつも手を向けて教えてくれた。その先には平均より少し大きな体躯をした、栗色の髪を持つ少年がいた。彼がミリア・アレドーレなのだろう。

 

 礼を言い、話しかけるため近づこうとすると突然腕を掴まれた。

 

「ちょっと待ってください!」

「……どういたしましたの?」


 急に腕を触るなんて失礼ではないか。キャロラインは少しムッとしたが、彼女の真剣な様子に冷静になる。


「今いいところなんです!」

「いいところ?」


 友人と話しているだけなのに、いいところもなにもないだろう。


「とにかくダメなんです。見てれば分かります」

「あなた、ちょっとしつ……」


 失礼、そう言いかけた時動きがあった。

 

 ミリアが友人のはねている黒髪を整えたかと思うと、顔の輪郭をなぞったのだ。友人はくすぐったそうに笑いながら、なぞる手に甘えるように応える。ミリアはそのまま頬を手のひらで包んだ。そして、微笑みながら見つめ合う互いの表情は大切で愛おしいくて暖かいものだった。

 

 瞬間、今まで乾燥して干上がっていた大地に水が滴り落ちたような不思議な感覚に陥った。足りない、もっと欲しい。

 語彙力が何処かに行ってしまったのか、キャロラインはその気持ちを言葉に言い表せない。

 

 なんというか、こう……。

 

「……いいですわね」

「でしょう!?」


 鼻息を荒くした彼女、リリが言うには彼らは幼なじみらしい。

 ふたりの周りに漂う甘い雰囲気は、触れてはいけない神聖な何かに見えた。眺めているだけで心が潤っていく。


「包容力抜群のミリアくんに、そんなミリアくんだけに甘えた姿を見せるユフィくん……ふふふっ」

「な、なんだかお邪魔してはいけませんわね」


 怪しく笑うリリにキャロラインは出直すことにした。ドレスのお礼という、当初の目的は果たせなかったものの、脳裏にはミリアとユフィが寄り添う姿が何度も浮かんだ。


 ミリアとその友人ユフィの浮かべていた表情は、姉と獣人の彼が浮かべていた表情と同じだった。

 きっとこれが人を愛するということ。


 でも何故だ。姉の結婚式で感じたものとは違い、心がこんなに滾るのは。見つめ合う2人が頭から離れないのは。

 

 一度意識し出すと、ふたりの姿をしょっちゅう見かけるようになった。通学路で、玄関で、校庭で、そして温室で。彼らは常に一緒にいて、例の甘く触れてはいけない雰囲気を醸し出している。

 

 クラスメイトと話すミリアの後ろで、頬を膨らませて構って欲しそうにミリアの服の裾を引っ張るユフィ。

 花壇の前で黙々と作業するユフィを宝物を眺めるように後ろから黙って見つめるミリア。

 

 そんな仲睦まじい彼らを見かける度、目に焼き付けるよう眺めていたのだが、ついに変化が現れた。


「ふへっ…………っ!?」


 キャロラインは驚く。公爵令嬢あるまじき気持ち悪い笑い声が出たことに。意識せずに漏れ出たのだ。

 慌てて口元を手で隠した。


「キャロライン様?」

「貴方は……リリ様!」


 キャロラインの出した変な声が聞こえていたのがリリだと思うと、何故か恥ずかしくはなかった。

 きっと彼女はなのだと理解していたからだ。

 

「ここはいいですよね。良く見えます」


 広間の窓際。ここからは温室が見え、花壇の前のベンチに腰掛けている彼らの姿が見えるのだ。

 そして、リリに言われて気づいた。

 意識しているから彼らを見かけるのではなく、キャロラインが自ら彼らが行きそうな場所に行っているのだと。


「なんだかわたくし、おかしくなってしまったみたいですの。寝ても醒めても彼らのことで頭がいっぱいで……」

「おかしくなんてありません。これは沼地なのです」

「沼地?」

「ただ、そこにある沼地に落ちただけのこと。一度落ちてしまったのならもう抜け出せません。暖かく底の見えない沼地を享受しましょう!そして普及を!」


 リリの発言は要領を得なかったが、なぜだか説得力がある。キャロラインはゴクリと空気を飲み込んだ。


「普及というと、他にも沼地に落ちた方がいらっしゃるのかしら」

「既に友人をひとり落としました。知らないだけで他にもいると思います」

「わたくし、溢れ出しそうなこの気持ちをずっと誰かと語りたくて仕方がなかったのですわ……!」

「ええ語りましょう。喉が枯れるまで!」


 こうしてキャロラインとリリは同志の友の集いを作り上げた。はじめは人数が少なかったが普及活動が伴ってか、元から素質を持つものが多かったのか。人数は飛躍的に増えた。


 活動内容は例のふたりの仲の良い姿を本人達に決してバレないよう影から観察し、心に取り留めておくには勿体ない出来事を語り合ったり。互いに沼地へと落とし込み合うといった、なんとも言えないものだった。

 

 しかし、生き生きと話し合う姿は事情を知らない人間からすると美しく映るものだ。

 平民貴族問わず学園の少女たちが広間に会するこの集いは、誰が呼んだか『白薔薇の会』。

 多くの女性の理想の存在であるキャロラインが足繁く姿を見せること、加えて勧誘基準は一切不明のミステリアスさから『白薔薇の会』は学園に通う女子生徒から憧れのような存在になりつつあった。


「ミリア様に近づく女性をひとり排除しました」

「ブラックリストに入っていた子ね、ナイス」

「グッジョブ」

「ミリアくん、人がいいのも考えものよね」

「ったく!ユフィだけに優しくしろっての!」


「今頭を撫でたわ!んふっ」

「見たい見たい。ちょ、邪魔!」

「いけ!押し倒せー!」


 ……実態は兎も角、憧れのような立ち位置を確立しつつある。

 

 キャロラインは何時でも口元を隠せるように常に扇子を持ち歩くようにした。口元が緩くなったという弊害を除けば、同志の友ができ順風満帆な生活を送っていた。

 

 生活に潤いができ、自然体でいたのが良かったのだろう。キャロラインは好きな人ができた。正真正銘の初恋だ。相手は同級生。剣で負け無しだったキャロラインを初めて負かせた相手だ。

 

「次こそ勝ってみせますわ!」

 

 キャロラインの負けず嫌いが発動し何度も剣を交えた。上位の貴族相手でも手加減しない。そして何回勝負を挑んでも文句を言わず付き合ってくれている。

 

「この真っ直ぐな太刀筋が好きですわね」

 

 キャロラインは自室で彼を思い出し、鏡の中で微笑む自分の姿を見て気が付いた。姉が獣人の彼に見せた微笑みと、ミリアとユフィが見つめ合う微笑みと同じだと。

 

 これが恋なんだ。

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