第9話
職員室で授業中分からなかった所を先生に聞きに行った帰り、キャロラインを見かけた。
アレドーレ服飾店に依頼された彼女のドレス制作は順調……といっても、ミリアと直接関わりは無い。深窓の令嬢である彼女の姿を目にするのはあの日以来だ。
広間の窓枠に腰掛け、憂いの表情を浮かべている。周りには人がおらず、1人佇むその姿は一枚の絵画のようだった。
「はあ……」
深い溜息。その視線の先には王太子とユフィの体を借りた彼が居た。隣合い、校庭を散歩しているのだろう。その手と手が触れそうになり、触れた。すると恥ずかしそうに互いに手を引っ込める。
その様子はまるで――
「あら、アレドーレ様」
ミリアに気づいたキャロラインはその視界を閉ざすようにカーテンを閉じた。その動きは素早く、臭い物に蓋でもするような手際だった。
「キャロライン様、あの……」
「うふふ、嫌なものを見せてしまいましたわ。申し訳ありません」
笑いながらも笑っていないキャロラインの目を見て、周囲の温度が急激に下がった気がした。そして、ここ最近騒がれている噂がミリアの脳内を走り回る。
王太子とユフィが付き合っている、と。
ユフィの中の彼が言っていたが『君光』は恋愛をするゲームらしい。その影響なのだろうか。でもまさか、その対象が王太子だとは考えもしなかった。
それならば、キャロラインの結婚は一体どうなる?
王太子という立場上、側室を持つことは珍しくない。しかし婚約の発表もしていないのに他の人との噂が出ること自体体裁が良くない。
キャロラインにとって面白くないに違いない。目の前で仲の良い様子を見れば、機嫌が悪くなるのも当たり前だ。
「こんなことより楽しいお話をしましょう?」
「た、楽しい話。ですか」
どことなく圧を感じ、ミリアは生唾を飲み込んだ。
「そう!お陰様で素晴らしいドレスが出来上がりそうな気配を感じますわ。
キャロラインはコロッと声色を変え心底楽しそうにこう言った。
「へっ?」
「貴方様、アレドーレ様も製作に携わっているのかしら」
キャロラインの現実逃避?いや違う。
目をキラキラと輝かせる様子は無垢で、それでいて綺麗で。とてもそんな風には思えない。
そして、ミリアは気づく。キャロラインの言う結婚相手が王太子ではないという可能性に。
「あの、失礼を承知でお聞きしますが。婚約のお相手は王太子様ではない……んですか?」
「ふえっ!?わたくしが、あの聖女狂いと!?」
途端、キャロラインの表情が歪められる。
ミリアはキャロライン本人から結婚の相手について聞いたことはない。キャロラインの結婚相手としてめぼしいのは王太子しかいなかった。本命の相手とは密かに関係を築いていたのだろう。
しょうがないとはいえ、ミリアの勘違いだったのだ。
「やめてくださいまし!あんなのとなんて、死んでもごめんですわ!……うげっ」
いや、でもそんなに嫌がるとは思わなかった。
王太子を『あんなの』呼ばわりなんて、いくら公爵家の娘であるキャロラインでも顰蹙を買う言動だ。それほど王太子との間に嫌な出来事でもあったのだろうか。
「妃候補は沢山いましたわ。家柄、教養、武芸……様々な観点から候補者を絞り込んでいきますの。その中で最も大事なのが相性」
他がどれほど素晴らしくても、王太子に選ばれなければ何の意味もない。妃候補同士の足の引っ張り合いもものともせず、王太子にも選ばれ、キャロラインは厳しい選別の最後のひとりに残った。
「でも、彼がどうしてわたくしを選んだのか疑問でしたの。とても……その、好かれていると思えなかったので本人にお聞きしましたわ。すると彼、どう言ったのか想像が付きます?」
「えっと……キャロライン様お綺麗ですから」
「そうですわよね!わたくしは文武両道、容姿端麗、完全無欠の公爵令嬢。エイラ・キャロラインですもの」
そう胸を張るキャロラインは言葉に違わず、それだけの実力を持っている。こうして、ただの服飾師の息子であるミリアと親しげに話していることさえ奇跡なのだ。
それを誇りに思い、堂々としている姿はとても美しい。
しかし、キャロラインは張っていた胸を戻し「……普通はそうですわ」とため息混じりに呟いた。
「わたくしが王太子に選ばれた理由。それはわたくしの名前、エイラが聖女エーリャと似ているから。だそうですわ」
「名前が似てるから?それだけ、ですか」
「ええ、それだけですわ。とても笑えないでしょう?」
王太子はカリスマ性に溢れた、次期国王として知られている。特に平民、貴族分け隔てのない対応に好感を抱いている人が多い。
しかし、王太子の近くで彼を知る人は言う。彼は『聖女狂い』だと。絵本で、観劇で、聖典で。幼い頃より触れた聖女に憧れを抱き、それはいつしか彼の中で神格化されていった。会話の中で「聖女エーリャならこうする」など悪びれもなく発言するのだ。言われる側がどう思うか一切考慮せずに。
もちろん、キャロラインも王太子と頻繁に会話を重ねる関係上『聖女狂い』であることを知っていた。しかし、ここまでだとは思ってもみなかった。
ぎゅうぎゅうに詰め込まれた皇族教育と厳しい選抜に耐えてきたキャロラインの矜恃、誇り。その全てを塵に返す王太子の一言。
どれだけ不快に思っても王太子を立て、笑顔でいなければいけない。キャロラインは公爵令嬢。選ばれたからには我慢するしかないのだ。
「そんな折、姉の結婚式がありましたの」
姉は隣の獣人国へ嫁ぐことに決まった。動物の耳と尻尾が生えた、二足で歩く獣。獣人は筋骨隆々なおかげか、力が強く野蛮で汚い蛮族という風説がこの国では流れている。姉はそんな獣人国との関係を保つための選ばれたのだ。
キャロラインは嫌だった。優しくて気高くて自慢のお姉様が……これはまるで生贄ではないか。しかし、相手は大国。敵に回せるはずもなくグッと奥歯を噛み締める。
式の直前、家族との最後の団欒の場で姉は姿を見せた。身につけたドレスは姉の魅力を最大限引き出したもので、あまりの美しさに息を飲んでしまった。
「綺麗ですわ……」
「うふふ、ありがとう」
そう笑う姉は、これから
「悲しそうな顔しないで、エイラちゃん。私幸せよ?」
「姉様!強がらないでください!」
「強がってないの。心の底から本当に幸せなの」
「……本当ですか?」
「ええ、本当よ」
はじめは不安だった。相手はオオカミの獣人。体は見上げないとならないほど大きく、マズルから覗く鋭い牙。手のひらも顔ほどあり、やろうと思えば握り潰せるだろう。
危害が加えられないと分かっていても体は自然と強ばる。加えて、何を話しかけても「ああ」「別に」の一言しか帰ってこないのだ。
それでも式の準備はどんどん進む。気持ちは宙ぶらりんのまま、完成したドレスを身に付けてオオカミ獣人の彼の前に出た。
一瞬時が止まった。
「まあ、いいんじゃないか」やがて発せられた小さな声は、ブンブンと風を切る音で消えてしまいそうだった。尻尾がちぎれそうなほど左右に揺れているのだ。
「このドレスのお陰で分かったの。彼はただ不器用なだけなんだって。うふふ、可愛いわよね」
「あの筋肉の塊を可愛い!?」
姉だって、数多くの修羅場を切り抜けてきた公爵令嬢。肝が据わってるとはいえ、あの巨体そして獣の顔を可愛いと思えるのは流石としか言えない。
「それに風説なんて頼りにならないわ。獣人国で出会った人みんなが優しいもの」
「よかった……わたくし姉様が酷い目に遭ってたらどうしようって!」
「エイラちゃん、心配させてごめんなさいね。私とってもしあわせよ」
キャロラインは今の今まで姉が虐められていないか、不安でいっぱいだった。でもそれがただの杞憂だったと分かり安堵した。
同時に獣人を見る目を改めないといけないと反省した。噂だけの色眼鏡で見るのは失礼だと。
姉共々、これから長い付き合いになるのかもしれないのだから。
「ねえ、エイラちゃんはどう?」
「わたくし……ですか」
「心の底からこの人がいいってお相手に出会えたかしら」
ドレスを着た姉は美しかった。
人を沢山呼んだ豪華な式場はそれだけ丁重に扱われている証拠だ。姉の登場で式場内のみんなが息を飲む。
もう、姉は大丈夫だ。なぜなら獣人の彼の腕の中で微笑む姿はもっと美しかったから。
キャロラインはそんな姉を見ながら言われたことを考えた。
わたくしの幸せ……
貴族の仕事はその血を後世に残すこと。公爵令嬢として産まれた時点で、自らの幸せを追求することは出来ない。
このまま王太子と縁を結ぶことが当たり前で、それ以外の事など考えたこともなかった。
そんなキャロラインに姉の言葉が突き刺さる。
嫌だ
心にそんな気持ちが芽生えた。
常に彼にとって憧れの女性、聖女エーリャと比べられながら生きていかなければならない。
そしてまだ今世では現れていない聖女の力を持つ継人が現れたらどうなる?キャロラインなど隅に吐き捨て、継人に付きっきりになるだろう。そして、キャロラインの努力など無かったことになるのだ。
しょうがない、我慢しなければ。わたくしは公爵令嬢なのだから。王太子に選ばれたのだから。そう心の底に閉じ込めていた気持ちが一気に溢れ出した。
そんなの、絶対にごめんですわ!!!
心に決めたがはやく、キャロラインは妃候補を辞退した。
最後のひとりに残ったキャロラインが辞退したところで、王太子と縁を結びたい女性なんていくらでも湧いてくる……といっても、キャロラインは名実ともに優れた令嬢。
そこそこ、いや、かなり揉めたが何とか辞退することに成功した。
こうして、綺麗さっぱり身を新たにしたエイラ・キャロライン。彼女は姉の言葉を胸に、学園で過ごす中で運命の出会いを果たし、婚約に漕ぎ着けたのだ。
「獣人の彼を照れさせ、姉から幸せだという言葉をウェディングドレスは引き出してくれましたわ。わたくしはそのお陰で心の底から好きだと思える方と婚約できましたの」
もちろん、その過程に至るまで紆余曲折あった。キャロラインは恋愛に関しては初心者で赤子と言っても違いない。
好きってなんだろう、そう悩むキャロラインが良い観察対象を見つけたのはまた別の話。
「感謝していますのよ?ミリア・アレドーレ様……だからわたくしと同じくらい幸せになってくださいませ」
これ以上ない程の賛辞にミリアは嬉しくなった。また両親と分かち合おうと思った。
しかし、「幸せになって」その言葉に頷けないでいた。
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