第7話

「この体に入って随分経ったな。やっと動けるようになった」


 どうやら、はじめの頃はぬいぐるみの体を動かせるだけの力が無く、ずっとサドンの中にいたらしい。

 

「出てきたらよかったのに。暇だったでしょ」

「あー、初っ端からこの姿なら逃げてたろ?お前」

「……確かにそうかも」

「何事も始めの印象は肝心って訳さ」


 そう語るサドンは何処か大人びた雰囲気を感じる。

 謎の黒い光が突然目の前に現れたならば、正体を知っている今では怖くないが、何も知らない状態だと、ただただ恐怖で逃げ出していただろう。

 黒い光サドンはミリアに気を使ってぬいぐるみサドンの中に……。


「ちょっと待って、サドンはいつからここにいたの?」

「いつから?結構長い……ああ」


 サドンはクスリと笑った。


「知ってるぜ。右の棚奥深くに仕舞ってる自作のポエム集。加えて寂しさからか、オレサドンの体を撫でるだけじゃ足らず……」

「う、うわああああっ!」


 自室はミリア一人だけの完全プライベート空間。誰にも見られていないからこそ気を抜いているのだ。

 ミリアは顔を真っ赤にし、クッションにサドンを押し付ける。


「プライバシーの侵害だよ!」

「ははっ」

「あー恥ずかしい」

「見てたぜ、全部」

「やめてってば!もー」

「……見てたぜ。辛かったな」

「……っ!」


 突然の優しい声にミリアの目が水分に溢れ、キラリと光ってギリギリで留まった。

 

 ユフィの中身が入れ替わったあの日、黒い光は断られつつも行き場がなく彼について行った。そして、講談室でミリアと会う。

 黒い光サドンは驚いた。ミリアはユフィの中身が別人であることに、たった一言話すだけで気づいたのだ。こいつの両親すら気が付かなかったのに。

 

 俄然、興味を持った。

 

 そして、サドンは自らの使を放棄し、ミリアについて行くことに決めた。そもそも、本人がいらないなんて言ったんだ。オレだって好きにやってやる。

 こうした反発心もあっての行動だ。

 

 サドンはミリアの部屋にあった、丁度いいぬいぐるみに取り憑く。

 親友ユフィを失い涙が枯れるまで泣いた後、狂ったかのようにユフィを探すミリア。食事もろくに取らず日に日にやつれて、空嘔吐をする。一晩中本を読み、魔術式を書き、気を失ったかのように眠ったかと思えばうなされる。

 そして、表情を暗くしたミリアはサドンを抱きしめる時だけ悲しそうに微笑むのだ。

 

 そんな姿をずっと見ていた。


「ユフィってのがこんなに大事か。立派なクマをこさえて、ボロボロになるくらいには」

「こんなのボロボロの内に入らないよ」


 そう、ボロボロの内に入らない。

 ユフィは今どこで何をしているのか。ひとり異世界で助けを求めているのかもしれない。ユフィの体中で魂のまま眠っているのかもしれない。考えたくないが既に天へ昇っているのかもしれない。

 ミリアの努力が足りないのだ。だからもっと、もっともっともっと……。


「僕が頑張らなくちゃユフィは見つからないんだよ」

「そんなお前の姿を見てユフィとやらは喜ぶのか?」

「え?」


 斜め上からの問いかけにミリアの思考が停止した。


「え、よ……喜ぶ?」

「ああ。ソイツは今のお前に会ったら何て言うんだ?」

 

 ミリアはふと昔思い出す。

 

 ユフィが花の図鑑を読みながら「見てみたいな」と呟いた。その花は高山にしか咲かない珍しい花で、ユフィの花屋でも取り扱っていないのだ。

 ミリアは内緒でこの花をプレゼントしようと決めた。


 誰かに話すと、ユフィにバレてプレゼントにならないかも。日帰りで行ける距離だし。

 そう考えて、摘んだ花をそのまま保存できる特別な箱を携え、ひとりで山に登ったのが駄目だった。

 無事花を得たミリアは帰り道で盛大に転けてしまったのだ。


 たまたまそこを通っていた地元民に助けられて家に帰った。幸い折れてはおらず、しばらく安静にとのことでベッドに横になっていると、話を聞いたのかユフィがお見舞いに来た。


「来てくれたんだ!これあげる!」

 

 ミリアの手には保存箱に入った高山でしか咲かない花。

 足には包帯、ベッドで横になりるミリアを見て、ユフィは何が起こったのか察して開口一番叫んだ。

 

「バカ!!!」


 ユフィの大声を聞いたのはこれが初めてだった。

 こんなに大きな声が出せるんだと驚くのもつかの間。その言葉の意味をミリアはようやく理解した。

 

「バ、バカ?なんで?」

「バーカ!こんな花いらない!」

「いらないの?ユフィが見てみたいって……」

「言ってない!バカバカバカっ!!!」

「そんなバカばっかり!ユフィのバーカ!!」

「バーカバーカ!!……バカ」


 ユフィは怒って出ていってしまった。その目には涙が溜まっていた。

 ずっと見たがっていた花をあげて喜んでくれると思っていたミリアはバカと言われた意味もわからず困惑する。そして、バカと言われたままユフィへ言い返してしまったことに後悔した。

 

「ねえ、ミリア。考えてみて。ユフィくんがミリアを驚かせたくて無茶をして、怪我をしたらどう思う?」

「やだよ、ユフィが怪我をするなんて」

「ユフィくんも同じ気持ちなのよ」


 母に諭されようやく気がついた。

 ミリアがユフィを大好きで大事に思っているのと同じように、ユフィもミリアを大好きで大事に思っているのだと。


 その後、無茶をするなと説教を受け反省。

 後日、ユフィとハチミツ入り紅茶を飲みながら仲直りしたのだ。

 ユフィと喧嘩をしたのはこれが最初で最後だった。


 

 運良くユフィを見つけ出したとしても、身を削りながら探しているミリアの現状を知ると喜ぶどころか、あの時と同じように「バカ!」と怒鳴るに違いない。


「それに、お前に見つけられないと何もできないくらい、ユフィとやらはヤワで軟弱者なのか?」

「……違う」

 

 ユフィは背が低く可愛い見た目をしている反面、力が強いし度胸もある。

 花屋の手伝いをしているからか、重たい鉢でも片手で持ち上げるのだ。店先の花を蹴って花弁を散らした浮浪者を羽交い締めにして買い取らせたこともある。

 本人は見た目で舐めらるのが嫌と言っていた。その言葉に違わず、頼りになる存在なのだ。

 

「案外楽しくやってるかもしれねえぜ?」

 

 そうか、そういう考えもあるのか。

 

 目から鱗だった。

 ミリアの知らない場所でユフィが普通に暮らしている。

 それはそれで複雑な気持ちだが、苦しんでいるよりよっぽど良い。

 ミリアの心にサドンの言葉がストンと刺さった。

  

「口調はぶっきらぼうでも優しいんだね。サドンは」

「誰がぶっきらぼうだこら」


 労わるようにミリアの目の下を撫でてくれた。

 暖かい。

 じんわり、心の中のユフィを見つけなきゃと意固地になっていた部分が溶かされていくのを感じる。

 

「ユフィは探し続けるよ。でも、もう無理はしない」

 

 ユフィの居場所が分かり、あわよくば再会できる可能性が上がるのならばミリアは努力し続けたい。これがユフィのために出来る唯一のことだから。

 でも、体を壊すような無理はしない。

 

「またバカって怒られるのは嫌だからね」


――――

 

「心配かけてごめんなさい」

「ミリアっ!」

「坊っちゃま……グスッ」


 朝食の集まりに顔を出したミリアはみんなの前で謝った。学園にも行かず、食事も取らず。何かに取り憑かれたかのように自室と図書館を往復する日々を送っていたミリア。


 「困ってることは相談してね」「ご飯を食べなさい」「お願いだから休んで」そんな身内の優しい声に生返事を返し、無下にしてきたのだ。

 両親、執事。その他沢山の人に迷惑をかけた。

 そんなミリアをそれでも、家族は優しく迎えてくれた。


 母と父により、ぎゅうぎゅうに抱きしめられて、ミリアはその真ん中で挟み込まれる。執事はその少し後ろで目元を拭っていた。

 

 ミリアは固形物が食べられない程に衰弱しており、パンをスープに浸して柔らかくした物から食べはじめる。

 こうしてゆっくりと体を本調子に戻していき、再び学園に通えるまでになった。

 

 着慣れたはずの制服は少し大きくて、まだ体が元通りになっていないのだと実感させられる。

 

「学園は無理しなくてもいいのよ?」

「ううん、大丈夫。行くよ」


 母親の心配そうな声。

 ユフィの中身が別人になったことは誰にも言っていない。しかしユフィが継人であると公表した時からミリアは引きこもっていた。加えてユフィはしょっちゅうミリアの家を訪れていたのに、あの日以来1度も来ていない。

 ユフィと何かしらのトラブルがあってミリアがこうなったと考えるのが自然だ。

 

「ユフィくんのことでしょ?」

「……うん」

「何があったのか詳しくは聞かないわ。言いたくもなさそうだし」

「うん。ありがとう」

「でも、これだけ言っておくわね」

「うん」

「失恋の傷はたっぷりの時間と新しい出会いでしか埋められないの」

「うん……って失恋?」


 急に恋の話なんてどうしたんだと首を傾げる。そんなミリアに母は「いいのよ、分かってるから」と励ますように肩を叩いた。

 ゴホンと父の居心地悪そうな咳払いが響く。

 

「何にせよ立ち直ってくれて良かった」


 ミリアは、2人の間でやっとの思いでできた一人息子だ。学園にも行かず部屋で引き篭っていても、心配されつつ基本見守りのスタンスで何も言われなかった。甘やかされている自覚がある。自覚があるからこそ思いっきり甘えさせてもらったのだ。

 だけど心配させるのは違ったよな。

 久しぶりに正面から見た両親は安堵の表情を浮かべつつ、心労からか少し年をとったようにも感じられてミリアは反省した。

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