第34話
琥珀の移籍後初ライブの日は、完璧すぎる晴天だった。
立ち並ぶビルの背景には青一色だけが塗られており、雲の白さえ欠片もない。
太陽の眩しさに目を細めつつ、ザクロは車のハンドルを切る。
バックミラーには子供のように車窓から外を眺める琥珀が映っていた。
「とうとう、この日が来たわね!」
「んー」と大きく背伸びをする。
体を伸ばすためというより、我慢できなくなったエネルギーを外に開放しているようにザクロには見えた。
BGMとして流れているのは、もちろん琥珀の曲だ。
今日のライブのセットリスト……というわけではなく、琥珀が自分で作った気分が上がる曲だ。
重低音が響くのにあわせ、琥珀は体で自然にリズムをとっている。
「テンションが高いです」
ハンドルに顎をのせるようにして呟く。
鏡をチェックすれば、目の下にはうっすらと隈が浮いていた。
今日の会場と周囲の確認をし、真剣と小桜のスケジュールを遅くまで整理していたせいだろう。
(思ったより邪魔は入らなかったけど)
それが不気味な気もする。
ぼんやりとした頭に軽薄な笑顔を浮かべた真剣が思い浮かぶ。頭を振って外に追い出した。
琥珀はザクロの様子に唇を尖らせると、助手席のシートに抱き着くようにして運転席を覗き込む。
「なんでそんな暗い顔なのよ。特等席で見せてあげるっていうのに!」
信号が青に変わり、ザクロはゆっくりとアクセルを踏む。
ここで琥珀に怪我などさせるわけにはいかない。
そんなザクロの気遣いなど気づかない様子で、琥珀は頬を膨らませた。
「はいはい。ありがとうございます」
特等席。この間から琥珀が拘っている単語だ。
嬉しい。思わず頬が緩みそうになるほどには。
だけれどーーザクロは素直に頷くことができなかった。
「ライブの安全な開催が一番です。場合によっては、見れないときもありますよ?」
ザクロの仕事は琥珀のボディガードであり、安穏と関係者席に座ってられるとは限らない。
そうならないように、福山たちと準備を進めてきた。ライブ会場は万全だ。
それでも気を抜けないのは、ザクロの性分なのだろう。
「ブーブー、福山あたりに任せればいいじゃない」
琥珀がつまらなそうにブーイングをする。まるきり幼児のような対応に、ザクロは苦笑を浮かべた。
「言ったでしょ? わたしがあなたのライブ成功を手伝いたいんですよ」
「見れるなら、見ますから」とザクロは付け加えた。
琥珀の歌は誰かを喜ばせる。彼女の才能は人を楽しませるためのものだ。
たった一つの曲で救われる人生もある。たった一人との出会いで、人生が変わることもあるのだから。
「真面目ねぇ」
琥珀はザクロの言葉に呆れたように息を吐きだした後、ぼすんと音がするほど後部座席に体を埋めた。
勢いが良すぎて、車自体が揺れた気がする。
ちらりと後部座席を確認すれば、すでに長い足を組んで座っている。太ももに右ひじをつけ、顎を掌に乗せる。鋭い眼差しがザクロに飛んでくる。
幼児がアダルトな女ボスに変化した。
「ねぇ、それってなんでなの?」
「無事に終わったら、教えてあげますよ」
色気さえ含んだその視線からザクロは目を逸らす。
この仕事を無事に終えること。それが今のザクロにとって一番大切なことだった。
琥珀のライブを見れれば、ザクロ自身変われる気がしたのだ。
できる限りの笑みを作る。
「だから、頑張ってきて下さい」
歌にすべてを捧げている琥珀の背中くらい支えられるように。
琥珀はザクロの下手くそな笑顔にふわっと花が咲いたようにほほ笑んだ。
頬に赤みが差し、幼さが増す。
「ええ、もちろん!」
元気いっぱいの返事に胸を撫でおろしつつ、見えてきた会場を指さす。
規模としては中規模。武道の競技会が数多く開かれる場所だ。
歌手の一つの目標としてよく上げられる会場の一つ。
「琥珀さんは2度目ですか?」
「そう。最初にライブをしたのは5年前くらいかしら。ドームは流石に無理だったの?」
ぽんと無理難題を放ってくる歌姫に、ザクロは苦笑した。
ドームはこの会場と比べると、5倍くらいの人数が収容できる。ワンマンライブで埋めるのは難しく、グループアイドルなど大規模な集団で使われることが多い。
ただザクロは今回のライブチケットがプラチナチケットになっているのを知っていた。
その倍率を考えれば、おそらくドームでも埋めることができる。
「琥珀さんの名前ならできたでしょうけど……うちの事務所が弱小なもので」
大雑把な計算と琥珀のファンクラブ会員数をざっと計算する。
だが、それだけで予約をとれないのもドームの難しさだ。何よりドームなんて借りようとしたら、真剣から間違いなく横やりが入る。
ザクロは申し訳なさそうに首を竦めた。
「いいわ、まずはここから。すぐに世界ツアーに連れてってあげるから!」
「期待しときます」
ゆっくりと会場に入る。駐車場や物販会場にはすでに行列ができ始めていた。
パーテーションで簡易的に区切られた仕切りを通り関係者入り口へと近づく。
入り口には福山たちが待機していた。目と目があい、軽く頭を下げる。
完全に車を停車させ琥珀に声をかける。
「頑張ってきて下さい」
「ええ!」
まず、ザクロが運転席から降り、琥珀の座る後部座席の扉を開ける。
中から出てきた福山たちに琥珀を渡すようにして任せた。あとは車を止めてくるだけ、だった。
「琥珀!」
「っえ?」
突然呼ばれた名前に、琥珀が足を止める。その肩を福山が庇うように、中へ入ろうとする。
あと数歩。それだけで良い。
声の方を見れば見たくない顔がいた。
「小桜っ」
琥珀も気づいたのか、相手の名前を呼ぶ。
ちっと舌打ちをした。いろいろ怪しい部分はあっても、拘束できるほどの何かはなかった。
見張るにしても、ほぼスケジュールのないフリーの身。
警戒していた事態が起きていた。
「ザクロ!」
「中に入って」
琥珀がザクロに向かって手を伸ばす。ザクロは振り返らず、首だけで奥を指した。
視線は小桜から離さない。
琥珀さえ見えない位置に入ってしまえば、いくらでも対応できる。
近づいてきた小桜の顔は、写真とはまるきり別人だった。
顔は青ざめ、目が血走っている。口角には泡ができ、薬でも盛られているような形相だ。
「なんで、お前がまたライブをするんだっ。お前が歌えば人は不幸になるっ」
小桜が懐から取り出した銃を構える。両手で握っていても、がたがたと震え狙いは定まりそうにない。
「勝手なことを」
ザクロは顔をしかめた。
今の、ライブを前にした琥珀に聞かれたくないことばかりを言う。
後ろを確認すれば、まだ琥珀の金糸が見える。
どうか届いてませんようにと、ザクロは祈った。
「彼女の歌は人を救います。たった一曲で生きてきた人間もいるんですから」
今の小桜に何を言っても無駄。そんなことは分かっている。
だから、これは琥珀に向けたメッセージだった。
なるべく大きく、小桜の言葉を消すように声を出す。
「琥珀の邪魔はさせません」
「なんで、お前がっ」
小桜に引き金を引く度胸はあるまい。
引けたとして当たるとも思えない。ザクロは姿勢を低くして、一気に距離を詰めた。予想通り、小桜は引き金を引けない。
(誰がこんなものを)
焦ったのだろう。小桜は片手を放し、左手でポケットから銀色に光るものを取り出した。
心臓が警戒音を鳴らす。
ライブの前に面倒事は大きくしたくない。
一番防ぎたいのは、ファンに被害が出ること。二番目にファンに見つかって大ごとになること。
琥珀が無事なのは当然。
銃を発砲させるのは避けたかった。
「がっ」
「くっ」
突っ込んできたザクロに、小桜はまともに反応できなかった。
右手を取り、捻りあげればすぐに銃を手放す。乱暴に振り回された左手が、何度かザクロの体を掠めた。
そのまま地面に組み伏せようとしたとき、脇腹に熱が走る。
「西園寺!」
「っあとは、よろしくお願いします」
いかつい顔を青くした福山が近寄ってくる。
扉には見たことないほど厳しい顔をした朝霞が立っている。
琥珀の姿は見えない。そのことにほっとした。
福山が小桜の手を蹴りナイフを遠くに外す。そのまま縛り上げてくれた。
「傷は?」
「ナイフで脇腹を……防弾チョッキは着てたんですが、ね」
撃たせる気はなかった。それが一番油断だったのかもしれない。
まさか刃物まで持っているとは。
手を当てた脇腹からは血が止めどなく溢れる。
赤く染まる手を見ながら、苦笑した。
「勘が鈍りました」
甘い生活ばかりしていたからだろうか。
これでは西園寺の名前に面子が立たないと思って、もう西園寺などないのだと思い出す。
ああ、これは、結構まずいのかもしれない。
福山の顔を見る。
「琥珀さんに、見れなくてすみません、と」
それだけを口にして、琥珀の意識はドロップアウトした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます