第32話
コインパーキングに、グレーのバンが止まっていた。
ナンバープレートへ視線を走らせる。福山から送られてきたものと同じことを確認して、ザクロは後部座席のドアを引いた。
半分も開かないうちに体を滑り込ませる。座席にお尻をつけた時点で、ドアを締めた。
全自動でないのは面倒だが、素早さではこちらに分がある。
窓から差し込む光しかない車内は薄暗かった。
「どうだった?」
「ネタは上々。証拠にはならないけど」
響いてきた福山の低い声に、ザクロは被っていたキャップを取りながら答えた。
上着のポケットに入れていたボイスレコーダーを取り出し、運転席と助手席の間にあるボードに乗せる。運転席には福山、助手席には朝霞が乗っていた。
二人の視線を感じながら、再生ボタンを押す。
布がこすれるような雑音が聞こえた後、男の声が響き始める。
『小桜? この頃、演技に身が入ってないね』
これは舞台の裏側をよく見ている美術さんの意見。
忖度が入りにくい分、率直なものと言えるだろう。
ザクロもよく会う業界人の一人で下手なプロデューサーより的確なアドバイスをくれることもある。
小桜の話題はすぐに移り、録音がぶつりと切れた。
『昔は良い役者になると思ったんだが』
すぐにべつの声が聞こえ始める。
舞台でダンスや振り付けを入れる振付師の話だが、小桜は気もそぞろというのが的を得ている表現になるらしい。
何をしていても、心ここにあらず。仕事が来るのは昔とった杵柄だとまで言われていた。
『他人のアラ探しばかりするようになったら、俳優は終わりよ』
今度はオネエ口調のメイクさんの声だ。
ザクロ自身がメイクをしてもらうことはないが、メイク道具について聞いたりする内に話すようになった。琥珀にはたまにありがたがられる。
「こんな感じ」
ボタンを止める。
小桜の俳優としての評価は右肩下がりのようだ。それが元々の資質なのか、ひなたがいなくなったことで狂ったのか。
今はっきりしていることは、小桜は俳優としては休業に近い状態ということだけだ。
ザクロが集めてきた話に、朝霞が手を叩いて笑った。
「めっちゃ評判悪くて、笑える」
「朝霞」
「さーせん」
福山が低い声で名前を呼べば、すぐさま軽薄な謝罪を述べると行儀よくシートに収まり直す。
すぐに両手を頭の後ろで組む当たり、慇懃とは正反対な男なのだろう。
はぁと小さく福山から吐息が漏れた気がした。
朝霞とは違い、福山は運転席でシートベルトをしたまま仏像のように動いていない。
「こっちは、当たりだったぞ」
「小桜は週刊ゴシップに出入りしてますね」
ボイスレコーダーの上に、数枚の写真が置かれる。
そのどれもが小桜を写していた。少しだけ背中を丸めて、足早に歩く姿が想像できるようだ。
背後に見える建物には会社の名前がばっちりと映り込んでいる。
大手出版社。ゴシップから真面目なものまで取り扱っているが、小桜を取り合ってくれそうなのは朝霞が口にした雑誌くらいだった。
「……芸能人が一番避けそうなところなのに」
写真を手に取り確認する。
出版社と芸能人なんて犬猿の仲のように思える。少なくとも、琥珀に対して風当たりは良くない。
ザクロは目尻を釣り上げた。
「グレーな部分が多いのが、芸能界じゃないんすか?」
朝霞が肩を竦めながら福山に尋ねた。
福山の視線は変わらず、フロントガラスの向こう側を見つめている。
「西園寺は、潔癖なんだ」
「お嬢様っぽい名字ですよね」
ちらりと視線を投げかけてくる朝霞は、ボディガードよりナンパ師と言われた方がしっくりくる軽薄さだった。
ザクロは久しぶりに聞いた自分の名字に、顔を横に振った。
「西園寺の名字は捨てたんで。自己紹介の時くらいですよ」
西園寺という名字は目立ちすぎる。印象にも残りやすい。
いっそのこと、琥珀のように名前だけで活動したいくらいだ。面倒なことに、このボディガード業界で西園寺はある程度の認知度を持っていた。
朝霞はへらりとした笑顔のまま、地雷を踏み抜いてくる。
「ってことは、お嬢様だったんだ」
「……察しが良すぎる男は嫌いです」
「すべからく、男は嫌いなんじゃないですか?」
ザクロは朝霞をぎろりと睨む。
朝霞は大げさに両肩に手を当て身震いした。表情は笑顔のまま。ザクロは唇を噛んだ。
「おお、怖い怖い」
「朝霞、ふざけるのもいい加減にしろ」
「はーい」
福山が手刀を下ろすようにして朝霞とザクロの間の視線を切った。
それを機に、ザクロは視線を窓側に反らし、朝霞は大きく伸びをして座り直す。
はぁとため息を吐いてから、ザクロは小桜についての情報をまとめていく。
「琥珀さんのスキャンダルは常にタイミングが良すぎる……確かに歩けば男を拾うような人間でしたけど、仕事の邪魔になるタイミングでだけスキャンダルになるのはおかしい」
「見計らってたんだな」
「小桜から定期的なリークが入るなら、いつでもちょうどよい時に記事にできますもんね」
残念ながらネタだけは常にあるのだ。琥珀は。
定期的に集めて、教えてくれる人間がいれば、スキャンダル記事には困らないだろう。
小桜がいまだに芸能界に残っていられるのも、その小金のおかげかもしれなかった。
「問題はもっとある」
「よりによって、週刊ゴシップなんて」
福山が元から低い声を更に低くして言った。ザクロも大きくうなずく。
朝霞はスマートフォンの画面を見つめた。画面には週刊ゴシップ関連のニュースが流れている。
「裏でヤクザと繋がってるって噂がある雑誌ですもんね」
「まぁ、元々、芸能界とヤーさんなんて同じ水ですからね」
ザクロは髪の毛を耳にかけながら苦笑いを浮かべた。
時代の流れで大分クリーンになったとはいえ、大御所ほどその手の話はよく聞く。
舐められた終わりなのは、どちらも同じだ。だからこそ、距離も近くなるのかもしれない。
「いや、違う……本当に気づいてないのか?」
「福山?」
ザクロの言葉に福山はわずかに首を横にふると、怒っているのかと勘違いしそうなほど眉根を寄せた。
福山の視線にザクロは首を傾げる。「はー……」と長い嘆息が福山の口から漏れた。
「西園寺、週刊ゴシップは真剣が出資している雑誌だぞ」
トントンと週刊ゴシップの出版社の欄を指で叩かれる。
ザクロは目を大きく見開いた。
「あ」
「お前は、たまに抜けてるな」
口元に手を当ててフリーズしたザクロを福山はジトッとした目で見つめてきた。
知らされた事実に背筋を冷や汗が流れていく。
二人のやり取りを首を動かすようにして見ていた朝霞が口の端を吊り上げる。
「大変じゃないですか」
「全部繋がっちゃった」
口元に当てていた手を額に動かし、天井を仰いだ。
嫌なところばかりが繋がっていく。ただのスキャンダル歌手のお守りだったはずが、見たくもない芸能界の裏側ばかり。
小桜、真剣、スキャンダル、火事、脅迫状。
どれが繋がっていて、どれがたまたまなのか。
ザクロには暗い海の中で、落としたキーホルダーを探すようなものに思えた。
「誰かバイブ鳴ってません?」
「わたしだ」
沈黙が満ちた車内で、スマホの無機質な振動音が高く鳴り響いた。
画面を見れば、城田の名前が表示されている。
このタイミングで城田の名前。
その時点で、ザクロの心臓は早鐘を打ち始めていた。
『ザクロさん、大変です!』
「……なに?」
画面をタッチした瞬間に聞こえてくる声。慌てた様子に、ザクロは声を低くさせた。
『まーっ……真剣社長が琥珀さんに会わせろって事務所に押しかけてますぅー』
予想的中。額に当てていた手で、一度額をぺちんと叩く。
嫌な予感ほど当たりやすい。
気持ちを落ち着かせるため、深い呼吸を行い城田に返した。
「わかった、すぐ行く」
それだけを言って通話を切る。
画面から顔を上げれば、福山と朝霞がこちらを見ていた。
ぷらぷらとスマホを揺らして、わざとおどけてみせる。
「城田の電話、着拒にしようかな」
冗談半分、本気半分。
碌な連絡をしてこない番号は拒否したい気分だった。
「必要なことだぞ」
「わかってる」
福山の真面目な返答にザクロは肩を落としながら答える。
「飛ばしますよ!」
なぜか助手席の朝霞がそう言って、ザクロはモノリスへ急いで戻った。
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