第31話


融資について話をしたい。

琥珀からの言葉をそのまま永田に伝えた。

ザクロはモノリスの社員であり、琥珀の付き人が本業ではない。永田から言われてやっている仕事だ。

筋を通すならば、琥珀の要望ではなく、モノリスの利益になるように動かなければならない。

だが。


「すみませんが、よろしくお願いします」


琥珀がソファに座ったまま深々と頭を下げる。その斜め後ろに立って、ザクロも同じように頭を下げた。

最敬礼に分類される45度のお辞儀からは琥珀の背中がよく見えた。

ザクロとは違い、琥珀は膝に額が付きそうなほど深く頭を下げている。

ザクロに宣言した通り、琥珀は真剣からの融資を断ることを選択した。

対面する永田は腕を組み、ソファにふんぞり返っている。


「わかった。元々、琥珀の好きにさせる約束だからなぁ。気にすんな」


厳しい顔をしていたはずなのに、すぐに「がっはっはっ」と漫画のキャラクターのような笑い声を上げる。

どうせ厳しい顔のほうがポーズだ。ザクロは小さく息を吐き、顔をあげる。

永田と琥珀は似ているところがある。自由に行動することが第一であり、資金は後から考える部分は本当にそっくりだ。

だからこそ、永田は琥珀を拾ったのかもしれない。


「そうなると、面倒になるのはプロモーションですねぇ」

「イベントを減らして、SNSを増やすか」


カチカチとキーボードを操作しながら、城田が頭をひねる。

永田もぐーっと大きく伸びをした後、脱力してソファに背中を預けた。

緊迫していた場面が一気に日常に変化する。

慣れていない琥珀はぽかんと口を開けてその様子を見ていた。

「いつものことです」と、ザクロは琥珀に耳打ちする。琥珀は開いた口を閉じ、小さく頷いた。


「露出は減るでしょうけど、まぁ、琥珀さんなら問題はないでしょう」


城田がちらりと琥珀に視線を送る。信頼を込めた笑みに、琥珀が拳を作ると胸を叩いた。

任せろと言いたいらしい。

なぜジェスチャーなのかは、謎なのだけれど。ザクロ以外、誰も疑問に思わず話は進んでいく。


「あとは、地道な根回しですかね」

「そうだな」


今度はザクロに永田から視線が注がれた。

「うげ」と出そうになった声を堪える。

地道な根回し。芸能界に必要なものだ。そして、根回しは昔から足で作られると相場が決まっている。

右手を後頭部に回し撫でた。気分は学級委員を指名された生徒のようなものだ。表面だけでも嫌々のポーズを取らなければならない。


「……分かりました。少し、働きます」


琥珀のことになると、妥協しまくりの自分にザクロは呆れた。

予想通りの答えだったのだろう。

永田も城田も満足げな笑みを浮かべた。


「琥珀のことはキチンと見てるから安心してくれ」

「連れてってもいいんじゃないですか?」


ザクロの働きが何なのか。頭に一人だけ疑問符を浮かべている琥珀はザクロへ振り返ると首を傾げた。

目を何度か瞬かせ、ソファに座った状態から上目遣いで見つめてくる。


「何に?」

「ザクロさんのスタント。評判良いんですよ」


にっこり笑って城田が答えた。

連れて行く。琥珀を。スタントの現場に。

想像しただけで背筋が震える。恥ずかしさと嫌な予感しかしない。


「流石に連れて行くのは勘弁してください」


琥珀のために働くのは良くても、そんな授業参観みたいなことは絶対に避けたい。

直角に頭を下げたザクロに皆が笑った。



根回しとはライブやイベントに関わりそうな演出家や美術さんなどに顔を売っておけということだ。

真剣という大手が金の力でやることを、地道に働くことで繋いでいく。

スタントマンという仕事は、そういう意味では様々な場所に顔を出せる、ちょうどよい職業だった。


「こんにちは」


撮影現場から汚れを落とすためのメイク室へ移動する。

スタントが終わればすぐ移動。そして琥珀の手伝い。それがこの頃のザクロのルーチンだった。

扉を開けた瞬間に鏡越しに先客と目があう。

知っている顔。

向こうも気づいたようで、鏡に写った顔が歪んでいる。


「嫌な所で会うわね」


森川明子。舞村ひなたの女優で、いまだに琥珀に敵意を持っている人間。

敵意というより意地なのだろう。

今回の現場にいることは知っていた。ザクロは一つ席を空けて隣に座ると、小さく頭を下げた。


「お互い仕事ですから、ご容赦を」

「別に気にしないわよ。プロとして働いてるならね」

「はい」


しばらく無言で手を動かす。

明子はメイクを、ザクロは反対に落とす作業をしていた。

視線は鏡に向けたまま、言葉だけが二人の間を行き来する。


「なんで琥珀の付き人なんてやってるのよ?」


裏に含まれる言葉は「スタントとしてやっていけるくせに」くらいだろうか。

言葉はきついが、根は優しいらしい。プロとして働けるスキルはきちんと評価してくれる。

ザクロは適当にシートで汚れを拭き取りながら答えた。


「……成り行き、ですかね」

「は?」


ギロリと睨まれた。

ザクロは慌てて手を振る。説明するには難しい部分。

仕事に真面目な明子に成り行きは禁句だったようだ。

誤魔化すように話題を変えた。


「そういえば、森川さんは小桜優斗と会ったことあります?」

「優斗?」


再び鏡を見た横顔がピクリと眉を上げる。

名前の呼び方に親しさを感じる。

小桜が琥珀の言うようにひなたの恋人だとしたら、明子は面識があるはず。そう考えたのだが、その予想は当たっていた。


「会ったことくらいあるわよ」

「ひなたさんの恋人として?」


ぼかした返答に素早く切り返す。口調は平坦を心がけた。

ザクロの言葉に、明子は苛立たしげにアイシャドウの蓋を閉める。パチンと大きな音が響いた。それから体ごと振り向く。

眉以外は完璧にされた化粧は、怒りの表情に迫力を加えていた。


「あなた……ほんっとうに、嫌なことをズバズバと聞いてくるわね」

「森川さんは直接的な方が、お好みかと思いまして」


小首を傾げてみせる。

こういうタイプに婉曲的に言ったところで、煙に巻かれるだけだ。

ひなたに関することには、口をつむぐ明子だったが、それはひなたに関することは放っておけないとも捉えることができた。

餌にかかった魚を釣るような気分で、ザクロは話題を放る。


「琥珀さんに、脅迫状を送ってるの、小桜さんかもしれないんですよ」

「なんてこと」


ぎゅっと唇に力が入り、真横に引かれた。

ザクロはじっと明子の様子を見つめる。


「否定しないんですね」


ひなたの話を口にしたときとは、対称的な反応だ。明子はひなたのことを一切口にしなかった。

舞村ひなたという女優のことを、他の誰かに分けてあげるのが勿体ない。そう思っているようにはえ見えた。

だが、小桜のことは違うらしい。


「他人のことは分からないし、優斗の荒れ方も知ってるからね」


はぁと力を抜くように音が漏れた。

くるりともう一度鏡に向かうと、ポーチからアイブロウペンシルを取り出し、眉毛を書き出す。

気を紛らわすための仕草。


「優斗、良いやつだったのよ。ひなたがいた時は」


今度はザクロが肩を跳ねさせる番だった。


「今は違うんですか?」

「ちょっと、危ない業者と付き合いがあるらしくてね」


右を見て、左を見て、眉毛の角度を確認している。

小桜のことを口にした時、そのキレイに描かれた眉が少しだけ下がった。

危ない業者。反社会的組織と距離が近い会社のことだ。芸能界にちょくちょく潜んでいる落とし穴。


「珍しく教えてくれますね」

「……ひなたの恋人が、危ないことに首を突っ込むのを見てられないじゃない」


どうやら明子にとって、舞村ひなたはよほど特別な存在だったらしい。

ザクロはふっと頬を緩ませる。

その気持ちを、今なら理解できる気がザクロにもした。


「やっぱり、琥珀さんの言う通り、あなたは優しい人ですね」


ザクロの言葉に、明子は嫌そうに顔をしかめる。

まるで罰ゲームにセンブリ茶を飲むことが決定した芸能人のようだ。

メイクを終えた明子が道具を片して、席を立つ。


「クソ喰らえって伝えといて」

「心に留めておきます」


後ろを通り過ぎる時に放たれた明子の言葉に、ザクロは慇懃な態度で頷いてみせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る