第29話
モノリスの事務所。
スタッフ用に買われた白い長方形のテーブルをいつものメンバーで囲んでいる。
一人がけのソファに永田が座り、三人掛けのソファの両端に、琥珀と城田が人一人分の隙間をあけて座る。
ザクロはソファの背もたれの部分に手を着くようにして、城田が机の上に置いた資料を見つめた。
「本当に、まーくんが社長になったんの?」
「ええ、信じられないかもしれませんが、事実みたいなんです」
今日の琥珀は白に薄い青のストライプが入ったブラウスに、エレガントなスカートを合わせていた。
動きやすさを好む琥珀にしては珍しい。スカートなんて、私服ではほぼ持っていないのではないかと思った。
隣に座る城田を見るたびに、その白いブラウスの上を、琥珀の金に近い髪色が滑り落ちていく。
ああ、綺麗だなと、ぼうっと目を奪われてしまった。もっとも今は、そんなことさえ気軽には言えない状態なのだけれど。
「これを見てください」
新しく城田が取り出した紙面に琥珀が顔を寄せる。
ザクロも前の二人にぶつからない程度に体を傾けた。
「ちゃんとした格好をすると印象が違いますよね」
「一瞬、誰だかわからなかったわ」
ツンツンと城田がインタビューを受けているまーくん、真剣を指で突く。写真の中で、真剣はグレーのスーツを着て、短くなった髪の毛を上げていた。
琥珀はまるで幼い弟を見つけたような顔で笑う。
相変わらず、一度懐に入れた相手に甘い。ザクロは腕を組むと、気になった部分について尋ねる。
「『家族の意思をついで』とありますが?」
普通に社長になれる人間が、琥珀のヒモなんてやっているわけもない。
大企業の後継者騒動なんて、まともな人間同士でも揉めるものなのだから。
説明を城田に丸投げしてソファで半分寝ていた永田が、城田に脛を蹴られて目を覚ます。
「真剣優斗は前社長の三男だな。長兄、次兄と年が離れていて、かなり甘やかされて育ったようだ」
「典型的ですね」
はぁとザクロはため息をついた。
お金がある家の典型だ。そして、年の離れた兄弟だけ母親が違ったりする。
永田は顎のひげを指でなぞりながら説明を続ける。
琥珀は紙面を見たままで、インタビュー記事を読んでいるようだった。
「後継者は長男とされていたが、1年ほど前に事故死」
永田の人差し指がピンと立てられた。
嫌な予感にザクロは眉を顰める。
「次男も調子を崩して東京を離れている……完全に棚ぼただな」
「怪しすぎません?」
二度あることは、というが、できすぎた話だ。
真剣にだけ都合が良すぎる。
ザクロは訝し気な表情のまま永田と城田の反応を見る。
永田は「うーん」と唸るばかりで、城田は肩を竦めていた。
「立派な人間が頭に立つより、扱いやすい人間を好む下はいるもんだぞ」
琥珀が記事を読み終わったのか、紙面を机の上に戻した。
姿勢を正すように背筋を一度伸ばした後、足を組み、まるでできる女社長のようなポーズをとる。
すっと細められた瞳が真剣な色を帯びて永田を見つめた。
「それで、出資したいというのは?」
ぴくりとザクロの眉が跳ねた。
真剣によるモノリスへの出資。しかも、真剣が主導しているときた。
琥珀のファンだからという理由で、ビジネスが動くわけもない。
ザクロ自身、具体的な話は何も聞いていなかった。あの時から魚の骨が喉にささったように、感情がささくれ立っていた。
「琥珀のマネジメント権を渡す代わりに、モノリスに10億だとさ」
永田が右手で1を、左手でゼロを形作る。
10億。想像していたのとは桁違いの額にザクロは仰け反った。
「はぁ?!」
「まぁ、それくらいは欲しいけど」
ザクロとは対照的に琥珀は足を組んだ姿から微動だにしない。
当然と言う雰囲気で、小首を傾げると頷いた。
城田がタブレットを操作し、データで送られてきていた条件を琥珀に差し出す。隣から覗き込むようにして確認すれば、確かに10億と書いてあった。
「琥珀さんが一年ライブツアーを行えば……もとが取れる、とまではいかなくても、目途は立ちますね」
城田も琥珀に同意するように頷く。
ザクロだけが一人迷子のように周りをきょろきょろと見回していた。
新曲のイベントだけであの熱狂っぷりなのだ。ライブツアーなどすれば、どれだけの経済効果が出るのか見当もつかない。
皆の反応から少なくとも、10億が驚くほど高い値段でないことだけは理解できた。
「あちらさん、本気のようでな。火事のことや脅迫状についても話してきやがった」
「琥珀を安全に活動させられますって……酷くないですか?」
永田は片手を膝の上に、もう片手で仰ぐように手を動かす。「やれやれ」と言いだしそうな顔だ。城田も唇を尖らせている。
タブレットから視線を上げた琥珀が、永田と城田の顔を交互に見た。
「受けたら、あなたたちはどうなるの?」
「あー、マネジメントからは外されるだろうな。だが、それだけ。琥珀は自由に活動ができるし、会おうと思えば会える」
それは、会おうと思わなければ会えないという意味ではないのか。
頭の中を過った疑問に、心臓が圧迫されたような気分になる。
琥珀の表情は真剣そのもの。口を出せない横顔だった。
「断ったら?」
「何もしない……とは言うが、真剣が金を出しているところには出れなくなるだろうな」
面子がものをいう世界だ。
琥珀もそれをわかっているのだろう。きゅっと小さく唇を噛みしめた。
(受ければいい)
琥珀にとっては、メリットしかない話だ。
彼女が歌だけを優先して生きていくならば、飛びついていいくらい。
だけど、今琥珀が迷っているのは、そうではないから。
きっとザクロやモノリスのことが頭を掠めているからなのだ。
そんな重みにはなりたくなかった。
「琥珀さんも、ちょうど、そうしたかったみたいだから……いいんじゃないですか?」
「ちょっと、その言い方はないんじゃない?」
寂しさと、いらだちが混ざって棘になった。
その棘が刺さった琥珀が正面を向いていた体を、半分後ろに向ける。
それから立っているザクロの顔を見上げるようにして睨みつけた。
ザクロも口を真横に結んで見つめ返す。
「だって、わたしには関係ないことのようですから」
歌手と付き人。護衛対象とボディガード。
そのどちらにしても、モノリスから琥珀のマネジメント権が移るなら、ザクロは関係なくなる。
きっと新しい付き人かボディーガード、下手したらその両方が付く。
「もうっ、知らない!」
琥珀が席を立ち、扉に向かって大股で歩いて行った。慌てて城田が立ち上がる。
外には福山がいるが、琥珀は一人で歩いていい立場ではない。
「ちょっ……琥珀さん? ザクロさん、どうしたんですか?」
追いかけながら聞く城田に、ザクロは首を俯かせた。
「何も」
「こんなときにケンカしないでくださいよー」
「琥珀さーん!」と名前を呼びながら城田が琥珀を追いかけた。
ザクロの足は動かない。城田が琥珀に追い付けることだけを祈っていた。
永田が両手を組んで頭の後ろにあてると、背もたれに体重を預けた。
「どうするんだ、ザクロー」
「琥珀さんの好きに選んでもらって」
零れ落ちるような力のない言葉に、永田は苦笑した。
「意地も張りすぎると、痛い目にあうぞ」
「わかってます。でも、これは」
意地、なのか。なんなのか。
琥珀の何に怒っているのか。琥珀は何に怒っているのか。
そのどれも今のザクロにはわからなくて、途方に暮れる。
「これは?」
「何でもないです」
永田からの問いかけに、ザクロはただ押し黙って、両手を握りしめていた。
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