第22話
引っ越しは、あっという間に終わった。
ザクロが選んだ物件を確認した琥珀は、その日のうちに部屋を決めると、すぐに入居日を決めてしまったからだ。
疾風怒濤とはいうが、決定が早すぎてザクロが口を挟む暇もなかった。というより、琥珀の表情が輝きすぎて遮ることが難しかったのだ。
「やっぱり、大きなソファは良いわね!」
部屋は玄関から近い順にザクロ、洗面所、琥珀の部屋になった。リビングは一番奥にあり、ダイニングキッチンになっている。
キッチンの前に、今度は二人が座れるテーブルが置かれ、窓際には琥珀がこだわったソファと映像機器が置かれた。
琥珀は嬉しそうに設置されたソファに座ると座り心地を確かめるように跳ねている。
「それ、琥珀さんの部屋に置くんじゃ」
「一人で見るより、二人の方が楽しいでしょ」
至極当然のように、そう言われてザクロは眉間の皺を指で延ばした。
琥珀はそんなザクロの状態を気にせず、クッションや小物を並べている。
「これでようやくザクロにライブを見せれるわ」
綺麗に並べて、その内のひとつをとると琥珀は膝に抱えて「ふふ」と声を漏らした。
テレビラックの下には、いつかに見たライブの映像記録や特典映像が並んでいる。
それ以外にもサブスクリプションでいくつか配信をとっていた。
ザクロは夏休みの遊び道具を披露する子供を見る気分で、琥珀のこれからの予定を口にする。
「ライブまでの間に、もう一曲新曲を出す予定なんですよ?」
「大丈夫。細かい作業は部屋でするもの」
そういう問題ではない。
琥珀の仕事量、トレーニング量は膨大であり、イベントが終わっても、ライブの打ち合わせや新曲つくりがある。
ザクロに映像を見せるなど、もっとも後回しで良いことなのだ。とはいえ、わざわざ言って機嫌を損ねることもない。
「作業の邪魔になるときは言ってくださいね。今度はわたしも部屋があるので」
「はーい」
機嫌よく琥珀が返事をした。その声にかぶせるようにインターホンが鳴った。
ザクロが画面の前に移動する。琥珀が視線だけを動かした。
「誰?」
「城田でしょう。見たいって言ってましたし」
「ふーん」
興味を失ったように、琥珀はソファでクッションの上に肘をついて顎を支えている。
久しぶりに見た仕草だったが、琥珀にはやはりソファが似合う。
予想通り画面の向こうには城田が移り、ザクロは迎えに玄関へと足を向けた。
「うわぁ、綺麗な部屋ですね」
城田を先導しながら廊下を歩く。ただの廊下だというのに、城田が瞳を輝かせながら足を進める。
ザクロは呆れたように息を吐いた。
「城田がピックアップした物件でしょ」
「選んだのはザクロさんですから」
リビングへつながる扉を開ける。
軽口を続けながら中に入ると、琥珀がキッチンに近い方のテーブルに移動していた。
城田に琥珀の対面の席を進め、ザクロ自身は冷蔵庫からお茶をとり出すためにキッチンへ向かう。
琥珀の分も含めてお茶の準備をしていたら、隣に琥珀が立っていた。何も言わない姿に、ザクロは首を傾げた。
手元ではグラスに入れられた氷が、お茶で溶けて涼しげな音を立てる。
「どうかしました?」
じっと琥珀が無言で見つめてくる。沈黙がむず痒くなってきたくらいで、琥珀は口を開いた。
「ザクロって、城田にはそういう口調なのね」
「城田は後輩ですし、まぁ、自然と」
これは面倒なことになりそうだ。
話題を振り切るために、ザクロは琥珀をひよ子のように後ろにつけながら、城田の前へお茶を出す。
「私たちも同い年、よね?」
「……そうですね」
触れてほしくない部分だ。
琥珀の分をテーブルに置いて、座るように促すが座らない。ザクロは立ったままグラスに口をつける。
隣で琥珀の目じりが少しだけ釣り上げる。
「同居も始めるのよ」
「仕事ですが」
あくまで仕事なのだ。口調を崩すような関係にはない。
琥珀の顔を見ないザクロと、ザクロの横顔をひらすら見る琥珀。
意地の張り合いだった。
「崩してもいいんじゃない?」
「……考慮しておきます」
どこまでも押してくる琥珀を押しとどめる。ザクロの言葉を聞いて、琥珀はやっと椅子に腰かけた。
はぁと息をつきながら、グラスをテーブルに置くと、城田がスマイルマークのような口で見上げていた。
「なに」
「ザクロさんって、ほんと琥珀さんに弱いですよね」
「城田、あとで顔貸しなさい」
「こわーい」
琥珀の前で、わざとそういう話をしてくる。
意地の悪い後輩を冷ややかな瞳で見つめれば、両肩を竦められた。
まったくいい度胸だ。と、城田が来たことで仕事について思い出す。
「ああ、琥珀さん。伝え忘れていたのですが、ライブが終わるまで人が増えます」
「え、そうなの?」
ザクロと城田のやり取りを目だけで見ていた琥珀が、きょとんとした顔で首を傾げる。
ザクロは軽く頷いた。
「わたしがなるべく琥珀さんの傍にいれるように、人員を増やしてくれるみたいです。そっちとのやり取りはわたしがしますから、琥珀さんは今まで通りで大丈夫です」
「そう」
事務所が決まった。琥珀の新居も決まった。
今までのようにふらふらしていない分、不審者には特定しやすくなる。
ライブの手伝いを永田に申し込んだ際、警護の部分を強化する話が出たのだ。
統括はザクロが行うが、人が増えた分、今までより固く守ることができる。
「たまに一緒に仕事をする人たちなんで、融通も利きます」
「というか、ザクロさんはもともとそっち出身ですもんね」
「え?!」
城田の言葉に、琥珀は口をつけていたグラスを置く。勢いが良かったので大きな音が出た。
余計なことを。ザクロは「城田」と名前を呼んでたしなめた。
肩を竦める動作に反省は見られない。直ることはないだろう。
「元々はCSCで働いてたんですよ。そこから、社長にスカウトされまして」
端的にザクロは説明する。琥珀は指を頬に当て、大きな瞳で城田とザクロを交互に見た。
「CSCってアメリカの会社よね?」
「まぁ……わたしが働いたのは日本支社ですが」
さすがに知っているか。
CSCは警備会社としては名が通っている。日本では知る人が知るという感じだが、海外で芸能活動をする人間にとっては頻繁に耳にする名前だ。
ザクロがどうにか話題を遠ざけようとしたのに、城田がまた余計なことを加えた。
「アイドル警備員って言われてたんですよ」
「へぇー」
「あんなの悪口ですよ」
面白そうなことを聞いたというように、琥珀の瞳が笑う。
アイドルなんて自分には似合わない言葉だ。元々、屈強な男ばかりだったし、女性にしても体格が良い人間が多かった。
ザクロは苦笑いを浮かべて首を横に振ってみせる。
「英語はいるでしょ?」
「あー、最低限は話せるんで」
「そうなの?」と目を丸くした琥珀に、ザクロは「はい」と素直に頷いた。
知らせてなかった色々が増えて、後でまた聞かれる予感ばかりが増えていく。
「ザクロさん、ハリウッド女優にモテモテなんですから」
ぴしりと琥珀の笑顔が固まる。
ザクロの脳裏をよぎったのは、シルフィだった。
城田の情報はまるきり嘘でもない分、全力で否定するのも難しい。
「そうなの?」
「……珍しいだけです」
「ふーん、凄いわね」
褒められているはずなのに、冷たささえ感じる声。
琥珀がお茶のお代わりを取りに行くまで、ザクロは針の筵の気分を味わった。
ふーっと長い息を吐くザクロを城田はニコニコと見ていた。
「あ、永田さんが連絡して欲しいって言ってましたよ」
「わかった。警備の話かな」
「そうじゃないですか?」
キッチンに琥珀がいったのをみて、城田が音量を小さくして告げる。
ザクロは耳を近づけた。
「……紙が進展しました」
「了解」
やはり、ライブまで気を抜くことはできなさそうだ。
「あー、二人でなにコソコソ話してるの!」
琥珀が唇を尖らせて二人の間に入るので、ザクロと城田は「何でもないですよ」と顔を見合わせて笑った。
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