第23話


目の前には黒いスーツを着た男が二人。その隣に、人一人分の隙間を開けて琥珀が立っていた。

男二人はザクロが顔を見ようとすれば、かなり首を曲げなければならない巨体と、彼よりほっそりとはしているが身長としてはさほど変わらない優男だ。

表情も対照的で、巨体の方は体に似つかわしい厳しい顔をしている。

優男の雰囲気は目元は涼しげなのに、口元にはへらりとした笑みが乗っていた。

ザクロはその巨体の方に向かって頭を下げた。


「福山さん、よろしくお願いします」

「承知した」


低い声が響く。昔と変わらない重低音に、胸の奥に少しだけ懐かしさが灯る。

声は優しいのだが、表情がきつすぎるのだ。

ザクロが頭を上げれば、隣の優男はひらひらと手のひらを振っていた。


「まぁまぁ、安心して行ってきてください」

「朝霞」

「はいはい」


軽すぎる挨拶に福山の注意が飛ぶ。すぐに肩を竦め手を後ろに回した。

直立姿勢と言われるものなのだが、どこか力が抜けている。

苦笑しながらザクロは二人の隣に立っている琥珀へと声をかけた。


「琥珀さん、すぐ戻ってきます。何かあったら福山に」


琥珀の顔にも、福山までとは言わないが、厳しさがあった。両腕を組んで、斜に構えている。

その表情に浮かんでいるのは、緊張と不安だろうか。説明したとはいえ、初対面に近い人間に任せることになったのはザクロの手落ちだった。


「わかったわ。早く帰ってきなさい」

「琥珀さんのスタジオより長くはなりませんよ」


琥珀がスタジオにこもると半日は出てこない。長いとそのまま一日が潰れることもある。

ザクロはわざと軽い口調でそう言えば、琥珀は少しだけ目を丸くした後、ふっと息を吐く。

それからゆるゆると口角を上げて見せたのだ。


「どうだか」


「約束します」とだけ返して、ザクロは琥珀をスタジオに残して、モノリスの事務所に向かう。

移動は電車と徒歩にした。琥珀のために車は残しておきたかった。


「お、お姫さまとの同居はどうだ?」


新しい事務所の扉を開けて、最初に言われた一言がこれだ。

いい加減言われ慣れてきたザクロは永田の顔をちらりと見た後、スタッフルームに置いてあるテーブルの方へ足を向けた。

後ろを永田が付いてくる。


「順調ですよ。私室もできたので、前より快適です」

「そうかそうか」


下手に反応するから、永田にも城田にもからかわれるのだ。

同居してるのは事実なのだし、今の生活は前より快適なのも事実。本当だけを口にしていれば、何も慌てることはない。

ザクロの淡々とした様子に、永田は何度か頷いた後、小さく「……開き直ってきてるな」と呟いた。

耳ざとくそれを拾ったザクロは顔だけ永田の方へ向けた。


「何ですか?」

「何でもないよ」


永田は苦笑して、一度スタッフルームの奥へと足を運ぶ。

相変わらず無精ひげで口元は隠れているのに、表情豊かなことだ。

帰ってきた永田の手には生成り色をした封筒が持たれていた。


「これが、問題の脅迫状だ」

「見た目は普通の脅迫状ですけどね」


永田がテーブルの上を滑らせるようにして、ザクロの前に差し出す。

角を持つようにして、表裏と封筒をひっくり返した。

名前があるわけでもない。中を広げるようにして確認してから、静かに指を差し込んで中身を出す。

同じサイズの長方形が何枚か机の上に広がった。


「事務所の写真ですか」

「それだけなら良かったんだがなぁ」


数枚の写真を並べる。

一番わかりやすい写真は、新しい事務所の外観を撮ったものだった。

他の数枚にはすべて琥珀が写っていて、明らかにプライベートの隠し撮りと分かる。


「……つけられてますね」


写真の中の琥珀は帽子にサングラスをつけている。プライベートに使っているものだ。

現在、琥珀が仕事に行く際は、ザクロが送り迎えを担当している。こんな写真を撮れる場面は限られてくる。

全ての場面を確認すると、ザクロはわずかに胸を撫でおろした。


「家の写真はないですね」


引っ越したばかりで、すぐ引っ越すのは面倒だし、この短期間で調べられたのなら、またすぐにバレるだろう。

写真を撮られた場所について考え始めたザクロの頭に、水を持ってきてくれた城田の言葉が飛び込んできた。


「この写真、変なんですよ」


城田の言葉にもう一度写真を注視する。城田の細い指が、写真の一部分を指さした。


「事務所とスタジオやテレビ局の出入りばかり。その途中の移動は一切ないんです」


「脅迫状なら、移動中を撮った方が恐くないですか?」という城田に、ザクロは頷いた。

もっとも車で移動する人間を写真に収めるのは非常に困難である。


「脅迫の意味を持たすなら、移動の最中の方がわかりやすい脅しになるね」

「可能性としては足がない……琥珀さんは車移動になっているので、大体のあたりをつけて、その場で張り込んでるってことじゃないでしょうか」


ザクロの顔に険しさが浮かぶ。

移動中を撮るのは、難しい。しかし、張り込むのも、今の琥珀のスケジュールだと難しいのだ。

活動が再開されたとはいえ、露出は少なく、スタジオやボイストレーニングがほとんど。メディア活動はないに等しい。


「そんなにスケジュールが漏れるとも思えないけど」

「そう、おかしいのはそこも何だよ」


城田とは逆方向から、永田の指も伸びてくる。太さの対比が大人と子供の様だった。


「これ、全部関係者入り口なんだ」


ザクロは記憶を洗う。確かに通常の入り口ではなく、関係者が使う方ばかりだ。

しかし、琥珀を狙うなら関係者入り口を張ることに違和感はない。


「ただのストーカーやアンチが、こんなに綺麗に撮れるか?」

「彼らの力は凄いですから、なくはないでしょうが」


関係者入り口は奥まった場所にある。

一般の社員が一番わかりやすい正面から入るとしたら、関係者入り口は裏門から入って、茂みに囲まれた細い道を歩いた先にあるようなものだ。

望遠を使えば写真がとれなくはないが、ピンポイントで狙われたことになる。


「それにしたって、上手く撮れすぎだろう」


永田の言葉に、ザクロは眉根を寄せた。


「業界関係者ってことですか?」

「いや、あって協力者がいるくらいじゃないか? それか、元々は関係者だったとか」

「数が多すぎますね」


絞れるわけがない。

琥珀と同じ時間にスケジュールが組まれる人間は、芸能人だけでも両手では足りない。そこにスタッフを加えたら、膨大な数になる。

犯人を絞るのは難しいだろう。

頬に指をあてて考えていると、城田が珍しく神妙な顔で話しかけてきた。


「ザクロさんに言われた件も調べておきました」


ぴくりと肩が跳ねた。

脅迫状もだが、ザクロとしては、こっちの方が気になっていた。


「琥珀さんの関連した作品の奴?」

「そうです」


城田が頷いたので、ザクロは静かに深呼吸した。

彼女の情報収集能力は信頼できるものだ。心臓の音がうるさい。

静かに裁判の沙汰を待つような気持ちで両手を膝の上で組んだ。


「ザクロさんが演出したり、出演した作品で、人が亡くなったことはありません。事故自殺含めてです」


はっきりとした声で告げられ、ザクロはほっとした。

きつく組んでいた指を解き、小さく頷く。

緊張を和らげたザクロに、城田は少しだけ眉を下げた。


「ただ、出演後、自殺した女優さんはいました」

「誰?」


クイズの早押しのように、語尾が言い終わる前に聞き返していた。

永田の顔を見ると苦笑している。城田は表情を変えず、答えを口にした。


「舞村ひなた。出身は美少女コンテストですが、正当派女優として順調にキャリアを積んできていた女優ですね」

「ああ、確かに、見たことあるかも」


差し出された宣材写真は、見たことがあった。

芸能人に疎いザクロでさえ知っているということは、ある程度の知名度があったのだろう。

白い枠の中で、ふんわりとカールした黒髪の女の子が優しく笑っている。


「謎の死、と当時はかなり騒がれたみたいです。その中の一つが、これ」


今度は印刷された紙を渡された。

週刊誌の中吊り広告のような見た目だった。その一番目立つ位置にこう書かれてある。


『琥珀による壮絶なイジメが原因か?』


ザクロはすぐさまそれをテーブルの上に弾いた。


「わかりやすい見出し」

「どうやら、琥珀さんが舞村さんの男をめぐって三角関係だったという内容です」

「デマでしょ」


ザクロは城田が言った内容を鼻で笑う。

当時の琥珀のことなど知らない。舞村のことなどもっと知らない。

だが、琥珀が誰かと男をめぐって三角関係になるとは露とも思えなかった。

意外そうに眼を大きくした城田が首を傾げる。


「そう思いますか?」

「琥珀さんは人の物には手を出さない人間だから」

「これがトラウマになったのかもしれませんよ?」

「ないない」


三角関係で人が死ねば、トラウマになる可能性はあるだろう。

琥珀に限って言えば、前提から成り立たないのだ。

そこが琥珀と言う女性の男運をさらに悪いものにしている。


「だって琥珀さんは、自分だけを愛して欲しいんだもの。最初から、誰かの恋人は除外されちゃう」


はっきりと言い切ったザクロに、城田は少し頬を膨らませた。

やはり、城田は事の顛末を知っていて、鎌をかけたのだ。


「面白くないですねー」

「人で遊ばない」


城田にそう言いながら、ザクロは舞村の死と琥珀がどう関係してくるのか、見出しを見ながら考えずにはいられなかった。

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