第20話
新しい事務所は、まだ新築の匂いがした。
真新しい壁は白く輝いているようで、前の事務所のボロさに慣れていたザクロには少し落ち着かない。
琥珀の新曲にあわせて、ライブをする話が出てきていた。ボディガードというより、マネージャー業務が多くなったザクロは打ち合わせのために初めて足を運んだのだ。
「何なんですかね、彼女」
打ち合わせと言っても、事務所は応接室とスタッフルームしかない。
応接室は外からの来訪がない限り開かずの間だ。電気代節約で朝から明かりさえ点けてないらしい。
唯一空調が利いた部屋の中、新しく入れられた白い長方形のテーブルを囲んだ。
1番広い辺にはどっかりと社長である永田が座り、その右側に角を挟んでザクロが座った。
目の前にはウォーターサーバーから汲まれた水。スタッフの福利厚生は、新しくなっても変わらないらしい。
「魅力的な女だろう?」
新しい事務所になって気が抜けたのか、無精髭そのままに短パンTシャツ姿の永田が笑う。
魅力的。それだけで済めば苦労はしない。
ザクロは冷たい眼差しを永田に送った。
「セクハラです」
「芸能界じゃ最上の褒め言葉だぜ」
冷ややかな目で見ても、永田の態度は変わらない。
はぁとため息を吐いてから、いい忘れていたことに気づく。
少しだけ居住まいを治すと小さく頭を下げた。
「新しい事務所、おめでとうございます」
「さすが琥珀さま。曲を出すだけで、事務所が見つかるとはな」
ひらひらと永田が手を振った。
軽い反応だが、琥珀の影響力はやはり大きいらしい。
ザクロは両肩をすくめるようにして上げると眉間に皺を寄せた。
「敵と味方の振り幅が大きすぎます」
琥珀の周囲は極端な人間が多い。
まーくんのように金を無心にくる男から、自信に溢れすぎて遊びまくる男。
琥珀が新曲を出すだけで、事務所を融通する誰か。
共通点は好き勝手していることくらいだろうか。
「満遍なく味方になる人間なんて、芸能界じゃ売れやしない。あの最高の女優と言われている人でさえ、綺麗すぎて胡散臭いなんて言われるんだからな」
知っている。どんなに綺麗に見えたって、裏では違う。
逆に、本当に清廉潔白だとしても、世間からはそう見られない人もいるし、見たようにしか人は見ない。
「人間の業ですね」
「お前の嫌いな部分だろう?」
「好きな人間いますか?」
ザクロの反応に、永田はお手上げとばかりに両手を掲げた。
何が言いたいんだか。
ニヤニヤしている表情を見たくなくて、ザクロは顔を反らした。
視線の先では城田が元から細い瞳をさらに細くして画面をじっと見つめていた。手元では忙しなく指がキーボードを叩いている。
「城田、頼みたいことがあるんだけど」
「どうしました? インターホンのデータ復旧はもう少しですよ」
まったく考えてなかった返しにザクロは目を丸くした。
城田は画面を眺めたまま手を動かすことを止めない。
「え? 燃えたんじゃないの?」
ザクロの言葉に城田はぴたりと手を止めた。
数秒沈黙が広がる。まるでパソコンがフリーズしたかのような不自然な止まり方だった。
緩やかに画面からザクロへと視線を移した城田は首を傾げてみせる。
「燃えましたけど……今どき、データを一つの場所に収めておくなんてありえないですよ」
「じゃ、なんで、あんなに慌ててたの?」
火事になったとき、城田はひどく動揺していた。
大体、琥珀のデータが狙われていると言ったのも城田だったはずだ。
「あー……」と存分に言葉を探したあと、城田はにっこりと笑った。
「秘密です」
「しーろーたー?」
低い声で名前を呼ぶ。
少しだけ城田の頬がひきつった。薄い唇が苦笑いで、ほぼ見えなくなる。
「そ、それより、頼みたいことってなんですか?」
わかりやすい誤魔化し。
ザクロは小さく舌打ちしただけで城田に返事をした。
「あとで聞かせてくださいね。琥珀さんの経歴、とくに演出とか他の人と一緒に働いたものを探して欲しいんだけど」
「渡したデータになかったですか?」
手元には城田から渡された琥珀の来歴が一覧できる表があるのを確認してある。年月日とタイトルだけが載っているものだ。
だが、ザクロが知りたいのはそういう外側の部分ではない。
できるだけ何てことない口調でザクロは告げる。
「人が死んだ仕事がないか、調べて欲しいんだけど」
ぴたりと世界が静止した。
城田の糸目がわずかに見開かれ、初めて瞳をきちんと見た気がした。視界の端では話を小耳に挟んでいただろう永田まで動きを止めていた。
息を吸って吐く。
その数秒がザクロには妙に長く感じられた。
「なるほど、わかりました」
先ほどと似た笑顔が城田の顔に浮かんだ。違うのは質だけ。
さっきのものが、誤魔化すためだとしたら、これは何かを隠している。
そんな風にザクロには感じられた。
「ザクロさん、琥珀さんの物件どうしますか?」
「新しい事務所もできたし、タイミングとしては許可できるぞ」
投げつけられた質問は、ザクロの答えにくい部分を確実に抉った。
そこに触れられたくなかった。苦い思いが広がっていく。
先ほどの城田のようにザクロは動きを止める。
「不審者はどうなんですか?」
どうにか答えを逸らすものはないか。
ザクロは目だけを動かし、ぐるりと周囲を見回す。
白い壁、アナログな時計、積み上げられた段ボールからは手紙やポスターのようなものがはみ出ていた。
永田は「あー」と間延びした声を上げた後、ぽりぽりと頭頂部を人差し指で掻いた。
「盛況だな」
「見てくださいよ、これ」
城田がデスクに隠れていた段ボールをテーブルの上にあげる。
中を覗き込めば、一抱えはある段ボールに紙が山積みになっていた。シンプルな白い封筒から真っ黒に白字で文字が書いてあるもの、目を刺激するような赤のインクの紙切れなどなど。
脅迫状のパターンは大体出尽くしたのではないかと思う種類があった。
「どっと増えた。新曲、新しい事務所と話題に事欠かないからな」
永田が鼻で笑う。無造作に一つ摘まみ上げてから、机の上を滑り落とした。
城田も色ごとに紙を重ねて、人気の色選手権を勝手に開催している。
ザクロだけが眉間に皺をよせ、難しい顔で少しでも手掛かりがないかと眺めていた。
「こう多いと特定できませんね」
「木を隠すなら森だな」
「その作戦を使われたんじゃ意味ありませんから」
ザクロはイラつきを誤魔化すように髪をかき混ぜる。
芸能人は嫌われる職業だし、一人のファンより、一人のアンチがつくほうが宣伝効果がある時さえある。
危険性がないなら、ただ送りたいだけなら、放っておけるが、琥珀の場合は違う。
実際に前の事務所は燃えているのだ。
ザクロも燃え尽きた後に足を運んだが、確かに城田のデスクを中心にどこも燃え尽きており悲惨な有様だった。
「琥珀の場合、身の危険よりもスキャンダルが問題だったからな。そこはザクロと暮らし始めてからは真っ白。綺麗なものだ。安全確保の方法は同居以外にもとれるが……」
永田はわざとらしく言葉を止める。
ザクロと城田の視線を集めてから、にやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「どうする?」
尋ねられているはずなのに、まるで重い荷物を押し込まれたような気持ちになった。
ぐっと言葉をザクロをしり目に、城田がパソコンの画面を確認しながら滔々と話し始める。
「今の琥珀さんは……かなり、ぎりぎりの状態ですね。イベントへ向けて限界まで活動しています。基本的に疲れてる時ほどスキャンダルに突っ込む確率は多いですね」
ピクリとザクロの眉が跳ねた。
悔しいことに的確な援護射撃だ。ザクロの弱い部分をついている。
考えてみれば、同居を最初に提案したのも城田だった。火事と言うトラブルはあったが、同居に至った家庭には城田と永田の連携があった。
今回は逃げ切る。
そう心に決め、ザクロはそ知らぬ振りをした。一つ口にするごとに城田の視線が突き刺さる。
「そうなんだ」
「誰でも弱ってるときに支えてもらったら、クラっときますよねー。琥珀さんの場合、支えられるより、支えるほうが好きそうですけど」
まるで恋バナのように投げつけられる言葉は琥珀のことを正確に言い表していた。
そうなのだ。琥珀と言う人間は、甘えたいくせに、甘え切ることができない。仕事がらみならどんな無理難題もザクロに投げつけてくるくせに、自分を好きと言う男は甘やかすだけ。甘やかす以外できないのだ。
今の仕事量にそんな私生活が重なったら、間違いなく倒れる。
だがーーザクロはまだ踏ん張った。
今スキャンダルが出ればどうなるか。一番わかっているのは琥珀のはずだ。
同居を解消しても、忙しいし男と遊ぶ暇なんてない。
「どうだろうね」
ザクロは右に左に目を泳がせる。
逃げ場が四方八方から埋め立てられていく。
何より城田の情報がどこから得ているのか、ひどく精密に琥珀のことを捉えていて反論できない。
「ただでさえ、疲れ果てて寝落ちしているのに、放っておけます? 結局毎日一緒の家に帰ることになりますよ?」
ぐっと喉の奥で変な音がした。
琥珀の忙しさ、スキャンダルの危うさ、最後に今の健康状態と、それを放っておけないザクロの性格。
ここまで、積み上げられて、ザクロはやっと重いため息を吐いた。
「同居を、続けます」
結局、放ってはおけないのだ。
寝落ちしたら、絶対、家に連れて帰るだろうし、安全確保の面からしても近くに住まなければならないのは決まりだろう。
元からその方が楽なのだ。
認められなかったのは、ザクロの心情の部分が大きかった。
「お、そう言ってくれるか」
「そうですよねー。そのほうが安全ですよ!」
永田と城田が諸手を上げて喜ぶ。
そのスムーズさにやっぱりはめられた気がしたザクロだった。
せめてもの抵抗を口に出す。
「……でも、さすがに引っ越しはさせてください」
「いいぞ、いいぞ。ちょっと大きめのところにしろな」
「楽しみですねー」
ニコニコ笑う二人に、「あれ?」とさらに墓穴を掘った気がした。
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