第15話
梅雨が開け暑さが急上昇していた。窓の外に見える青空には夏らしい入道雲ができている。
ほとんどの店が閉まっている時間帯だというのに、日差しに柔らかさはない。
『琥珀を外出させる? 言うまでもないが、気をつけろよ』
スマートフォンから流れてくる永田の声は大分前の状態に戻っている。
火事で焼け出されたというのに逞しいことだ。事務所の目星もついてきたらしい。
そうなれば、琥珀との生活も終わりになる。
部屋の隅でクッションに身体を埋めている琥珀にザクロは目をやった。
「外の一般常識も少し教えてきます。今日ならずっと付きっきりでいれますし」
スマホをイジりながら、ザクロの視線に気づいたのか、琥珀と目が合う。軽く手を振るので、小さく目礼した。
同居してから琥珀の挙動は驚くほど大人しい。
基本的に自分の部屋でパソコンを弄って歌を作っている。
SNSへの投稿は増えているようで、今までの琥珀にはなかった日常が見えると好評のようだ。
事務所移籍について聞くものや脅迫まがいのダイレクトメールなどもない。
一言で言えば、とても平穏だった。
『城田が確認してる分では、ザクロの部屋にいると思われていない。カモフラージュで金髪女を色んなとこに送った甲斐があったな』
「セクハラです」
「がはは」と聞こえてきた声に、ザクロは顔をしかめた。
まるで人が遊び歩いているみたいに言ってくれる。琥珀は目立つ。隠すためには必要なことだ。
事務的な会話を数個交わし、電話を切る。
「どう? 無理しなくて良いけど」
窓際から琥珀のもとに戻る。
琥珀はクッションに座ったままこちらを見上げた。
行きたくなさそうな色が浮かんでいて、ザクロは苦笑した。
「大丈夫です。城田にも協力してもらってますから」
体育座りをしていても、すらりと長い脚は目立っていた。琥珀はショートパンツやミニスカートを好んでおり、基本的に膝から下は露出している。
白すぎるほど白い肌も、多くの男には目の毒だろう。
こほんと小さく咳払いをしてザクロは琥珀の目線にしゃがみこんだ。
「今日の約束、覚えてます?」
「ザクロといること。誰かに声をかけないこと」
指折り数える姿に頷く。
約束は最低限。社会復帰のようなものだ。
「声をかけられたら普通に対応してください。しつこかったり不味かったら、こちらで対応します」
何もなく過ごせれば一番。だが、琥珀が外に出て声をかけられなかったことはない。
歌手として活動をするのだから、あまりにキツイ対応は駄目だろう。
(琥珀さんは自分のファンに塩対応なんてできそうにないし)
ザクロは内心ため息を吐いた。
琥珀は自分のファンにどちらかといえば過剰サービスをする方だ。
自分に好意を向けてくる相手にとことん甘い。それが彼女なのだから。
「よろしくね、ザクロちゃん」
さっきまで嫌そうにしてたのに、決まればもう笑っている。
切り替えの速さに驚かされる。意趣返しのように呼ばれたちゃん付けに、ザクロは思いっきりへの字口をした。
「……ザクロで結構です」
琥珀は立ち上がると、一度大きく伸びをした。
それからザクロの方を振り返ると、つんと頬を人差し指で突く。
「ふふ、嫌そうな顔も可愛いわよ」
されるがまま、ザクロは無言で外出の準備を始めた。
「あの服、可愛かったのに」
地下駐車場から車を出す。
部屋から出るまでに、琥珀の差し出した服を着るか着ないかでひと悶着。
どうやら琥珀にとってザクロは妹のように見えているらしい。
「同い年ですからね!」
「同い年でも似合う服は違うもの」
「なら、わたしが普段着ないのもわかりますよね?」
「似合うのに」
結局、黒のパンツにカットソーと動きやすさ優先で選んだ。
いつ買ったのか、琥珀が勧めてくる服もあったが、フリルとリボンがあしらわれたそれを着る気になれず、丁重にお断りした。
少なくともボディガードする人が着るものではない。どちらかと言えば守られる方が着る服だ。
(もう着なくていいかな)
ああいう服を着ていた時もある。だが、それは昔の話。
今、琥珀のボディガードをしている自分のものではない。
後部座席で頬をふくらませる琥珀の横顔を見ながら、ひとつ息を吐いた。
「ザクロは運転、うまいわよね」
「必要な技術だったので。都内の道は苦手ですけど」
ふっと琥珀がそんなことを口にしたのは、首都高から地方の道路に入り始めた時だった。
首都高の複雑怪奇なカーブと車線をくぐり抜け、東京から離れるほど、道は素直になっていく。
車には少し昔のアイドルの曲が流れている。てっきり琥珀自身の曲を流すと思っていた。
小さく口ずさむ姿は、楽しそうで。下手に藪蛇を出すのも嫌で、車内は不思議な心地良さに満ちていた。
「へぇ、見えないわ。あなたの運転だと酔わないもの」
「酔いやすいんですか?」
バックミラーで琥珀の顔色を確認する。特に家で見た際と変わりはなかった。
ザクロの言葉に、琥珀は少し首を傾げ記憶を遡っている様子だ。
「んー、今までだと長距離は確実に、短い距離でも……酷いと酔ったわね」
苦笑い。余程ひどかったのか、眉が下がっていた。
「酔い止めもありますから、気分が悪くなったら言ってください。寝てても良いですし」
ダッシュボードに酔い止めは入れてある。ひざ掛けは後部座席にあるし、何だったらクッショも置いていた。
ザクロ自身は乗り物に酔う経験は全くないが、介抱した経験はある。
ザクロの言葉に琥珀は首を横に振る。ゆったりとした動きに髪の毛がフンワリと舞った。
「やーよ、折角ゆっくり話せるのに」
ドキリとした。
別に話して不味いこともないし、琥珀がザクロに気づいているとも思えない。
けれど、もし、万が一、聞かれてしまったら。
どう答えてよいのか皆目見当がつかなかった。
「……面白い話なんてないですよ」
「あなたが面白いから、大丈夫」
ザクロは目的地まで琥珀と他愛もない話をすることになった。
*
ザクロは車のドアを閉めた。下りた瞬間に夏の暑さが襲ってくる。
一足先に下りた琥珀が周りを見回して、楽しそうに笑みをこぼす。
「うわー、広いわね!」
「ここなら色々ありますから」
琥珀の上に日傘を差して、そのまま渡した。僅かな日陰でもあるだけで暑さが和らいだ。
連れてきた場所は郊外にあるアウトレットだ。
都内で買い物をするよりは目立たない。車で移動できるし、中のお店でも自由が利く。
何よりザクロが一緒に回っても十分なスペースがあった。
「何から見ます?」
移動中に調べては声を上げていた。
ひとつ調べては笑う琥珀の姿は、無邪気そのもので、見てる方も楽しくなってくる。
スキャンダル女王の通り名とは正反対のものに見えた。
「どこがオススメ?」
ザクロは琥珀を振り返る。
まさかそんなことを聞かれると思わなかったのだ。
琥珀はイタズラっ子のような表情でザクロを見つめていた。
「……わかって聞いてますよね?」
「ふふ、だって、新鮮だから」
琥珀の髪の毛が風により流れていく。顔の前に流れた部分を、細い指先で抑えた。
ザクロの答えを待たずに、琥珀はアウトレットに向かい一歩踏み出した。
ザクロは隣をついていく。キャップだけは被っていた。
「私のものより、ザクロのもののほうが余程足りてないと思うけど?」
入口布巾にはカジュアルなショップが多かった。
白や青、赤に黄色。彩度の高い夏らしい鮮やかな色がディスプレイで輝いている。
アウトレットは平日というのに人がいた。もしかしたら子どもたちの夏休みも関係しているのかもしれない。
夏休み。自分からは縁遠くなった言葉だ。
(まさか、琥珀さんだったとは)
いや、確定したわけじゃない。
もしかしたら、エピソードが近いだけで、まったく違う学校だったのかもしれない。
調べようにも、ザクロがあの時代の記憶はもはや霞の向こうだ。聞ける親族がいるわけでもないし、そんなことで連絡をとりたくもなかった。
「ザクロ?」
ずきんと頭に痛みが走る。
それを振り払うようにしていると、琥珀が足を止めていた。
眉毛を下げてこちらの顔色を伺っている。
「すみません、暑さにぼうっとしてました」
「大丈夫?」
「大丈夫です」とすぐに答えた。
琥珀に迷惑をかけられることがあっても、自分が心配をかけることがあってはならない。
気を引き締めて、顔色を誤魔化すように笑った。
「特に生活で困ってませんから」
「足りてないでしょ。女の子であのクローゼットはないわ」
「汚れても良い服ばっかなんで」
琥珀の鋭い視線を避けるように指先で頬をかいた。
動きやすい。汚れてもいい。目立たない。
それがザクロ自身が服を選ぶ基準だ。
「琥珀さんの食器とか買いますか」
このままではショップできせかえ人形になりそうな雰囲気に、ザクロは話の方向を変えた。
「食器! いいわねー、カトラリーって良いなって思っても中々買えないのよね」
この話題転換は正解だった。
夏の空を背景にしても、眩しいくらいの笑顔が琥珀を彩る。
ザクロは目を細めた。
きっと何でも映画のワンシーンのようになるこの人は芸能人として恵まれているのだろう。
眩しい光ほど余計なものを惹きつけるものだ。
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