第14話
鍵を開けて中に入る。扉を開けた瞬間に焦げ臭い匂いが鼻を掠めていった。
ザクロは顔をしかめ、とりあえず玄関から見える範囲には変化がないのを確認した。
「今日もかぁ」
琥珀と一緒に生活を初めて一週間。
事務所はまだ次の場所が定まらない。火事は捜査中のままで、進展はない。
その状態で犯人探しなどできるわけもなく、ザクロは琥珀の所在がばれないように城田と情報操作をする日々だった。
今日だって琥珀に似た背格好の人物を都内のホテルに送ってきた。
効くかどうかもわからないカモフラージュだが、何もしないよりは気が休まった。
「ザクロー、ようやく帰ってきたー!」
「……今日はどうしたんですか?」
靴を脱ぎ揃えていた所で、琥珀が数歩しかない廊下の奥から現れる。
キッチンとつながる扉が開いたことで焦げ臭さが増した。
廊下に立つ琥珀の姿に怪我はない。
じっと見つめるザクロの視線に気づいたのか、薄い金の髪の下で困ったように琥珀は目を細めた。
顔の脇の髪の毛を指でくるくるする。
言い訳のときの仕草だと、毎日見ることでザクロは学習していた。
「えっと、電子レンジが」
琥珀の言葉に小さくため息を吐く。
今日は電子レンジらしい。毎日、日本の家電の丈夫さに助けられている。
琥珀と同居が始まってから、彼女が家電とトラブルを起こさなかった日はなかった。
生まれてこの方家事をしたことがないという言葉に今なら深く頷ける。
(むしろ、よくこの状態で一人暮らしができていたというか)
琥珀に聞いたところ、基本的に外注ーーハウスキーパーさんにお願いしていたらしい。
歩き始めれば、後ろを琥珀がヒヨコのように付いてきていた。
電子レンジの惨状を確認する。
開ける前から焦げ臭さが漂っている。気合いを入れて戸を開ければ、天井部分や側面に何かが飛び散っていた。一応は拭いたらしく、所々きれいになっている。
その努力が実らなかった箇所もあり、加熱テーブルの中央部分が黒く焦げていた。
「お昼に余ったお弁当をチンしようとしたら、爆発したのよ」
黒焦げのものを指で突く。もう熱さはない。
指でつまもうとしたら、つかんだ先から崩れていった。
琥珀の視線の先をたどる。原因はザクロが作り置きしていた弁当だったようだ。
料理って危険なんだなと反省を込めてザクロは深く頷いた。
「琥珀さん、ウィンナーは切るか、穴を開けないと弾ける時があるんです」
タコさんウィンナーにでもしておけば、この惨状も防げただろうか。
よぎった言葉に頭を振る。具材の問題以前に、もっと危険なものがあった。
「アルミも危ないです。燃えなかったですか?」
「あ、燃えたわ! よくわかったわね」
「焦げてます」
アルミホイルを電子レンジにかけると、眩しいくらい発火して燃える。あっと言う間に縮んでいくから、呆然としていれば黒い煤を量産することになる。
疲れていたときに同じ失敗をザクロもしたことがあった。
「電子レンジは、結構爆発しますからスマホで1回調べてから使ってみて下さい。牛乳やココアもその危険性があるので、少しずつ温めると良いですよ」
説明をしながら、琥珀は応急処置的に電子レンジをキレイにした。焦げなどは準備しないと落とせそうにない。
動作に問題がないことも確認する。
「えー、飲み物もなの?」
「乳製品だけですから。お湯を作るなら電子レンジより、鍋かポットがいいと思いますけど」
面倒くさそうに唇を尖らせる琥珀にザクロは肩をすくめた。
「毎日ごめんねー」
琥珀が顔の前で両手を合わせて頭を下げる。前髪の間から覗く薄茶色の瞳が苦手だった。
すべて許したくなる。そういう可愛さがそこにはあった。
この家に来てからは、ボディガードと言うより教育係になっている。
テーブルのうえに並ぶ少し焦げた食材にザクロは首を振った。
「いえ、これくらいなら食べれますし。洗濯機とか掃除機よりは被害が減ってますから」
初日に洗濯機。二日目に掃除機を壊されたときには、家事禁止にしようかと思ったほどだ。
洗濯機は洗剤が多すぎたことが主な原因だったし、掃除機は何でも吸う魔法の機械でもないと教えた。
そのときのショックに比べれば、料理に挑戦して具材を焦がすくらい何でもない。
「洗濯って難しいのね……今度から衣装は絶対汚さないようにするわ」
琥珀の言葉にザクロは苦笑した。比べる対象が悪すぎる。
琥珀が家事をできないことの理由の一つに、前提となる一般知識がないことがあった。
彼女の知識は芸能に傾きすぎていて、日常生活に落とし込めるものがないのだ。
「衣装は洗濯機で洗うようなものじゃないですよ。特に琥珀さんが着るようなものは」
もしライブ後に琥珀が自らの衣装を洗濯しようとしたら、衣装さんが目を回してしまう。
きょとんとした顔で洗濯機に衣装を入れる琥珀がありありと想像できてしまい、ザクロは重ねて言った。
「そうなの?」
琥珀は不思議そうに首を傾げた。
こういうところだ。ザクロはたまに自分よりすごく年下の子供を相手にしている気分になる。
小さい子は初めて経験するまで、何も疑問を覚えない。やって失敗して、覚える。
それと同じで琥珀はとても素直な人間だった。
一個覚えたことは全てに適応されると考える節がある。
「色移りもティッシュまみれも困りますし、材質的に無理です」
これはすべて同居後の洗濯で琥珀がしたことだった。
全部確認というか、説明しなかった自分が悪い。
琥珀は本当に何も知らなかったのだ。洗えるものと洗えないものがあることさえ知らなかった。
そんな人間に、色落ちしやすいものや、ポケットの中身を確認するなんて作業を期待したことが間違いだ。
琥珀もザクロが何を言っているのかわかったのか、頬を膨らませた。大人っぽい顔立ちなのに、妙にそういう仕草が似合う。
「知らなかったんだからしょうがないじゃない」
「大丈夫です。1回は誰でもしますから」
「……みんな、偉いわね。一人暮らしをしている人を尊敬しちゃう」
毎日のように日本の何処かで曲が流れている歌手が、しみじみと言うから困ってしまう。
ご飯を食べ終えるまで、ザクロは琥珀の口からこの小さな部屋で起きた出来事をただ聞いていた。
誰もが過ごしたことがある日常。それを聞きながら、ザクロは危機感を抱き始めていた。
「琥珀さん、これからの予定は?」
食べ終わった食器を洗う。
芸能人に水仕事をさせるのは気が引けたので、全面的にザクロが引き受けた。
休んでもらっていいのだが、琥珀は何が楽しいのか、ザクロの隣で洗い終わった食器を拭いている。
布巾を持つ琥珀の姿があんまりにもアンバランスでちょっと面白かった。
「ご飯食べたら、作曲でもして、夕飯の準備かしら」
きゅっと音が出るくらいに拭き上げる。吹き残しがないか、しっかりと目線の高さに上げてまで確認した。
満足いけばそれぞれの食器毎に重ねる。
職人気質と言うか、琥珀はすべてに大してこんな風だった。
生きづらそう。
一緒にいる時間が長くなるほど、琥珀の評価にそれが加わっていく。
「ここ一週間、外に出ましたか?」
さっきの話から外出していないのは知っている。
琥珀もザクロが何を言っているのかわからなかったのか、小首をかしげたあと破顔した。
「やぁね、出ないでって言ったのはザクロじゃない。安心して、出てないから」
やっぱり。軽く返ってきた答えに、ザクロは目を伏せた。
同居する前までだったら、ホテル内部をうろつくことはよくあった。外の風を感じたいときがあるらしい。
完全に外を歩きたいときは、ザクロも付き添った。大体3日に1回はそういう日があったのだ。
「出ましょうよ。外」
ザクロはなるべく優しい声で言った。
琥珀が家の中にいれなかったのは、単純にすることがないからだ。
ザクロの家で、新しく家事を覚え始めた琥珀はその珍しさにのめり込んでいる。
彼女がただの一般人なら、少し引きこもり気味でも問題はないだろう。だが、琥珀は歌手であり、引きこもりを作る気はザクロには毛頭ない。
「えー?」
「家が目新しいのは、わかりましたから。前は外に出ないとアイデアが降ってこないって言ってたじゃないですか」
唇を尖らせる琥珀に、もっともなことを言う。
ザクロが請け負ったのは家事ができるようになることではない。
琥珀がスキャンダルを起こさない人間になること。そのうえで歌手として精力的に活動してもらうことなのだ。
「家でアイデアが降ってくるならいいじゃない」
「駄目です。琥珀さんには社会勉強が必要なんですから」
「……はーい」
拗ねたように小さな声で返事をした琥珀に、ザクロはわかりやすさに苦笑いをこぼした。
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