第13話


目の前には洋風ブレックファーストの見本のようなラインナップが並んでいた。

ハムエッグにトースト、スープ。スープはインスタントになってしまったが、琥珀に気にした様子はない。

ニコニコと割り箸を手にご飯を食べていた。


「琥珀さん、所作がキレイですよね」


次々と琥珀の口の中に食べ物が吸い込まれていく。

健啖家。スピードもある動きなのに、雑には見えなかった。

ザクロに指摘された琥珀は首を傾げ、わざとらしく箸を開け閉めした。


「そう? 家じゃ怒られてばかりだったけどね」

「へぇ、やっぱりお嬢様なんですか?」


ほんのちょっとの興味本位。

琥珀について、集められた情報は山程ある。

公に認定されているものは多くない。彼女は観客から見れば謎の多い存在なのだ。

だが、芸能界に一歩でも踏み入れば、全く違う。その一つが琥珀はお嬢様というものだった。


「家が古くて、厳しいって意味じゃ合ってるわよ」


「んー」と視線を漂わせてから、にっこりと微笑んだ。

いつの間にか、皿の上のものは半分はなくなっていた。

ケラケラと無邪気に笑っていた顔が、芸能人の色を纏う。


「もっとも、そんなことは、もう調べてるんじゃないの?」

「琥珀さんがお唄の家出身なのは知ってますよ」


視線の圧力をハムエッグを頬張ることで逸らす。

唄の家。歌舞伎や能ほど有名ではないが、伝統芸能には違いない。

城田が調べた情報には、しっかりと琥珀の出自が載っていた。


「出身ってほどじゃないわよ。祖母がしてるだけ……親はいないしね」


ザクロはぴくりと眉を反応させずにはいられなかった。

琥珀の両親についても、もちろん調べはついている。

だが、琥珀は決して親の話を口に出そうとはしなかった。


「お祖母様が?」

「そうよ。まぁ、厳しい人だったわ。歌も褒められたことないわね」


最後に残ったトーストを口に入れて咀嚼する。口を動かしながら、琥珀の視線が右に左に動いた。

トーストをしっかり飲み込んでから、琥珀は指をくるりと回転させた。

出てきた言葉が信じられなくて、ザクロは声を上げた。


「ええ?」

「祖母にしてみれば、落第の娘から生まれて、しかも捨てられた子どもだからね」


今日の琥珀は饒舌だ。

それが同居によりテンションが高いせいなのか、ザクロには分からない。

このまま全てを聞き出すことが、記者だったら正解だろう。

しかし、ザクロはただの付き人だ。どちらかと言えば、こういう部分を注意するためにいる。

琥珀の前に手のひらを突き出した。


「琥珀さん、ストップ」

「どうかした?」


小首をかしげる琥珀には危機感がない。

ザクロが琥珀の情報をリークしない保証はないのだ。信用されているのか、こういう性格なのか。

八割以上性格なのだろうと思っていた。


「話してくれるのは嬉しいんですが、ただのボディガードに話しすぎるのは危険ですよ」


めっと子供を叱るように、丁寧に教える。

琥珀に抜けているのはこういう部分だ。

人を信用しすぎる。人に容易く踏み込みすぎる。

人を見たら疑うようなザクロにしたら危なっかしくてしょうがない。

ザクロの言葉に、琥珀は一度丸い瞳を更に丸くさせて、それから唇を綻ばせた。


「ふふっ、大した話じゃないわよ。今までだって聞かれれば答えてた……だから、あなたも知ってるんでしょ?」


図星を刺されて言葉に詰まる。

頷くことも否定することもできなくて、ザクロは黙ったまま。

静かになった部屋には外を走る車の音さえ聞こえてきた。


「まぁ、ちょっと聞いてよ。あなたには面白くもなんともない話だけど」


沈黙を破ったのは琥珀の微笑みだった。人のガードを容易く抜けてくる。

距離を詰めるのが軽くて上手い。

ザクロは諦めて、席を立つ。食後のお茶くらい入れるべきだろう。


「うちの両親は知ってる?」

「噂だけなら」

「合ってるわよ。演歌歌手と俳優」


琥珀の好きなハーブティを入れて差し出せば、すぐに一口飲んでくれた。

それを眺めながら、ザクロも同じお茶に口をつける。

飲み物なんてペットボトルの水しかなかったので分けてもらったのだ。

もっとも琥珀はそれさえ嬉しそうだったのだけれど。


「両方とも芸能の才能はあったんだけど、家の才能というか……人の才能がなかったのよね」


琥珀の母親は情感を込めた歌い方ができる歌手として知られている。

父親は二枚目から脇役まで幅広く演じる映画俳優。

その二人以外にも、琥珀の両親として噂される人間はいたが、一番有力視されているのはこのふたりだった。


「生んだはいいけど、育てられない。だから、見かねた祖母が私を引き取った」


琥珀が湯気とともにゆっくり息を吐き出す。

基本的にいつも明るい彼女の表情に影が見えた。

ザクロは神妙な顔でそれを受け止める。


「琥珀さんは、それを覚えて?」

「いえ、良いのか悪いのか、私の記憶には最初から両親はいないの。気づいたらあの家にいて、毎日お稽古してたわ」

「唄ですか?」


お稽古。

反射的に聞き返したザクロの言葉に、琥珀は苦笑を漏らした。


「唄が中心だけど、なんというか……うちの祖母は完璧な芸能人を作りたい人間でね」


琥珀の白い指が、コップのフチをなぞる。

考えをまとめているのか、視点は定まっていない。

城田が集めてきた外からの情報と、本人である琥珀が語る情報では、温度差があった。


「完璧な芸能人」


ザクロは眉をひそめる。

そんなものいるわけがない。

芸能の括りは広い。伝統芸能だけで、芝居、舞踊、唄、楽器がある。一つ極めるだけで国宝だ。

琥珀もそう思っているのか、ザクロの言葉に頷いてみせた。


「無理でも、させたかったんでしょうね。歌、演技、舞踊、三味線とかもしたわね」


指折り数えられる内容に頭が痛くなる。

そんなものを詰め込むくらいなら、人間としての常識を詰め込んで欲しかった。

ふっと琥珀が顔を上げ、少しだけ寂しそうに笑う。


「特に演技には力を入れてたんだけど、駄目だったみたい」

「駄目?」

「演技をするなら命がけでやりなさいって。その心粋がないなら、一生やらないようにって」


ザクロは一瞬絶句した。

子供に迫る選択肢ではない。

見知らぬ琥珀の祖母に嫌悪感が積もっていく。


「子供には過酷すぎますね」

「歌の方が好きだったし、良いんだけどね」


演技は捨てた。それと同時に、期待も捨てたのだろうか。

琥珀の祖母が目指すのが完璧な芸能人だったとしたら。

それに答えられなくなった時点で、どうなるかは目に見えている。

話を変えるように、ザクロは気になっていた部分を口に出した。


「学校は?」

「ほぼ家庭教師ね」


小さい頃からお稽古。勉強は家庭教師による学習。

世間知らずのお嬢様を作り上げるにはぴったりの内容だ。

むしろ、その環境で生きてきた人間が、よく芸能界なんて汚い世界を生きている。

ザクロは額に手を当て筋肉を揉みほぐした。


「ずっと、そんな生活を?」

「流石に嫌になって、一回、普通の学校に通ったのよ。同年代との経験も、芸事には必要だしね」


結局、芸事。

そう思ってしまったが、琥珀が歌に命をかける理由の一端がわかった気がした。


「でも馴染めなかったわね。私立なんて行ったからかしら」

「私立は特色がありますからね」


かといって公立に行っても浮いただろう。

学校にほぼ通ったことのない子供など、現代日本にほぼ存在しないのだから。


「サボって庭にいたら、同い年の女の子がいて、一緒に流行ってた歌を歌ったのよ。こういう曲」


小学生からサボるなんてとザクロは苦笑を浮かべようとした。

しかし、琥珀の口から奏でられたメロディにぴくりと顔が引きつる。

思い出に浸っている琥珀は気づかなかった。


「それが楽しくて、勉強も頑張ったのに、探してもいなくて……結局辞めちゃった」


心臓が痛い。

その歌に聞き覚えがあった。そのエピソードにも身に覚えがあった。

ザクロ自身、私立の小学校を家の事情で辞めている。

まさか、という思いが渦巻いて、話の続きを促すのが精一杯だった。


「それからはずっと一人で?」

「高卒資格だけ取ったわよ。一人暮らしするための条件だったし」


つまり琥珀は一人暮らしを勝ち取るまで、完璧な芸能人としての教育だけを受けた。

そして、一人暮らしになってからは、週刊誌のほうが琥珀に詳しくなる。

紅茶を眺めていた視線がザクロに返ってくる。

うまく笑えている自信がなくて、仏頂面を作った。


「だから、今、同年代と同居することにこんなにワクワクしてるのよ」

「わたしはお祖母様に文句を言いたいです」


ザクロの心情を知らず、琥珀が悪戯に微笑む。


「しっかり教育してくださいって?」

「ええ、その通りですよ」


まるで運命の悪戯だ。

まさか、小さい頃の思い出にこんなところで出会うとザクロはちっとも思ってなかったのだ。

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