第16話


ザクロは気軽に食器を買うなどと言ったことを後悔していた。

買い物をするときの女子のパワーはどこから湧いてくるのだろう。自分も同じ性別だというのに、まったく理解できない。


(そんな迷うかなぁ?)


琥珀は箸ひとつを買うにも、店の中全てを確認しなければ気がすまない性質のようだ。いや、同じ店ならまだ良い。下手したら、同じようなものが売っている店を何往復もすることになる。

ザクロだったら欲しいものは前もって情報を集めておく。ネットでそのまま買うときもある。やはり現物を見てから判断したいため、店には行くがそこで迷うことはない。

ザクロは大分、数を増やした買い物袋を手に琥珀に聞いた。


「大体、揃いましたか?」


やっと入った日陰。アウトレットの店の合間にはたまに飲食店が挟まっている。

自分のように買い物疲れした人にはぴったりだろう。

眼の前では琥珀がいちごバナナスムージーなるものを笑顔で飲んでいる。ザクロの手元にはグリーンスムージ。甘さが控えめで、何より身体を中から冷やしてくれるような気がして美味しい。

二人で並んで買いに行った。琥珀に荷物をみてもらうという選択肢はない。

買い物袋は3つ。これが多いのか少ないのかわからない。


「私のお箸に、お揃いのティーセット! 良い買い物をしたわ」


ひとつを手元に引き寄せ、琥珀が購入した箸の箱を取り出す。鮮やかな朱塗りのお箸は、琥珀が持っていても不思議と馴染んだ。

楽しそうに荷物ひとつひとつを確認していく。

ザクロはストローに口をつけながら微笑む。素直に笑う姿は最初見たときの芸能人らしさとは違う。同い年の女の子である琥珀を身近に感じさせてくれる。


「満足そうで何よりです。人気歌手の金遣いが怖いですけど」


最初出たがらなかったのが嘘のようだ。

からかうように一言足すと、琥珀はきょとんした顔で首を傾げた。


「そう? 良いものなら、きちんとお金を払わなきゃ」

「払いたくても払えない人が大半ですからね」


お嬢様だからなのか、ただ単に稼いでるからなのか。

ザクロは判断がつかなかった。

のんびりした時間が続いたからだろうか。それとも、琥珀が外に出るとそうなる運命なのか。

二人の間に人の影が落ちた。


「あっれえ? 琥珀じゃん」

「……遠藤さん」


琥珀が遠藤と呼んだ男は、生成りのパンツに、爽やかな青のシャツに夏用のジャケットを合わせていた。

顔は整っている。というより。


(俳優の遠藤満天)


最近露出が増えた俳優で、いわゆる売れ時の人間だ。

年齢としては30半ば。

琥珀との共演歴はーーと考えたところで、遠藤の右手が机の上に置かれる。ザクロに背を向け、琥珀と対面する形だ。

これはよろしくない。

ザクロは眉をひそめた。音もなく席を立つと遠藤の視界に入るギリギリくらいの位置に移動する。


「久しぶり、元気してた? こんなとこでどうしたの?」


スッキリとした一重が柔らかく弧を描いている。口調も爽やかで聞き取りやすい。

好感度が高そうな男。

ザクロは琥珀を見る。

わざわざ聞くまでもない。遠藤が琥珀にとってどんな存在かは見ればわかる。

知り合いの男の人と対峙している琥珀は何より雄弁なのだ。


「えっと、買い物に。遠藤さんは?」


困ったように愛想笑いを浮かべて、少しだけ椅子を引く。

なるほど。どうやらこの男は既婚者か、束縛が厳しいタイプらしい。

だが、遠藤は分かりやすく引いている琥珀との距離をさらに詰めようとしたので、ザクロはさりげなく机を押した。


「俺? 俺はプレゼント買いに」


遠藤は動いたテーブルから手を離すと、もったいぶった動きをつけてそう言った。

まるで気づいていないように、琥珀に近づこうとするのは、ある意味よい根性をしている。

琥珀が横目でザクロに視線を送ってきた。珍しすぎて、ザクロはちょっと笑いそうになってしまった。


「奥さんですか?」

「んー、可愛い子ちゃん用」

「相変わらず、モテますねー」


いけしゃあしゃあと「可愛い子ちゃん」と口にした遠藤に、琥珀の左頬がひくりと引きつった。

全体としては笑顔を保てているあたり社会人としての最低限は保たれている。

我慢していたつもりだったのが、笑っていたのかもしれない。琥珀がテーブルの下で脛を蹴りつけてきた。


(いっつぅー)


響いた痛みに蹴られた足を引く。ザクロは顔を少しだけしかめると、大きめに咳ばらいをして琥珀と遠藤の間に体を滑り込ませた。


「お話の途中失礼します。琥珀さんは次の予定がありますので、そろそろお暇するところなんです」


椅子に座ったままの琥珀を背中に隠すような体勢だ。

真面目な顔で遠藤に告げていたのだが、何が気に入らなかったのか、琥珀はザクロの背中を指でついてくる。

痛くはないけれど、くすぐったくて。

ザクロは表情を保つのが大変だった。


「琥珀さんと男性が接触することは控えるように言われています」


遠藤の背は琥珀よりも大きい。ザクロからすれば見上げるような位置に顔があった。

真正面から瞳がぶつかる。

一瞬真顔になった遠藤は、すぐに薄ら笑いに切り替え、するりとザクロの頬に指を添わせた。


「ふーん、なら、君でも良いけど?」


こいつ、誰でもいいんだな。

思わず嫌悪感が滲む。触られたのだから、手を捻りあげるくらい問題ないだろう。

冷静にそう考えていたザクロの後ろから、琥珀の声が響く。よく通る声だった。


「遠藤さん!」

「……琥珀さん?」


ぐいと後ろから手を取られた。

柔らかくてマメのひとつもない手のひらの感触が痛いほど伝わる。

琥珀は立ち上がると、わざわざザクロの隣に並び飛び切りの笑顔を遠藤に放った。


「失礼しますね! プレゼントは奥さんだけにしたほうが好感度あがりますよ」

「え、ちょ……」


ザクロが何も言わないのを良いことに、琥珀は遠藤にそう言い放つと買い物袋を掴んで反対方向に走った。

未練たらしく延ばされた手をザクロは笑顔と目礼で叩き落す。

わざわざザクロが手を下すまでもない振り方だった。


「も、荷物っ……」

「しょーがないですねぇ」


琥珀の肩から荷物を受け取り、遠藤がいない場所まで走った。途中から前後が交代しザクロが琥珀を引っ張る。

息が切れて、苦しいはずなのに、二人ともいつの間にか笑っていた。

建物の影に隠れる。背中を壁に着けると、琥珀はずるずるとしゃがみこんだ。

鞄から日傘を出し広げると、ハンカチを差し出した。が、琥珀にはそれを受け取る力さえないようだ。


「なんですか、あれ」

「イケメン俳優」


喋るのさえ苦しいのか単語で返された。

ザクロはペットボトルも差し出しつつ、琥珀の額に浮かぶ汗を拭く。

ペットボトルには口をつけてくれば、少し息遣いが和らいだ。


「いや、そういう問題じゃないですよね……ほんと、琥珀さんに声をかけてくる男って碌なのいないですね」


走って、ザクロもテンションが上がっているのかもしれない。

するするといつもなら押しとどめておける言葉が逃げていく。

ザクロの本音に、琥珀は「ふはっ」と水を吹き出しそうになるほど破顔した。


「ふふっ、あははっ……ザクロ、普通、本人を目の前にしてそんなこと言わないでしょ」


つい、本音が。なんて言えるわけはないのだけれど。

琥珀の男運のなさは凄い。既婚者と束縛系を排除できているだけマシだと思えるほどだ。

ツボに入ったのか、琥珀の笑い声はしばらく止まらなかった。

真面目な顔でザクロは頭を下げる。


「すみません。でも、琥珀さんはマトモな人と付き合ったほうが良いですよ」


その顔も何が面白いのか、琥珀は噴き出した。

数秒。下手したら数十秒、ザクロは琥珀の波が去っていくのを待つしかない。

「笑いすぎて、お腹痛い……」と手で押さえながら、琥珀が目じりの涙を拭った。


「んー、良い人も駄目になるからねぇ」


琥珀の前に手を差し出す。

いくら日傘をさしているとはいえ、こんな場所に芸能人を置いておくのは気が引ける。

立ち上がるのを手伝い、琥珀の荷物を持つとザクロは車に向かって歩き始めた。


「駄目にならない人もいますよ。わたしは変わらないでしょ?」


一瞬、何を言われたのか分からなかったように、琥珀が目を丸くした。それから口の端を少しだけ緩めて、日傘の柄を握る。


「……確かに」

「そういう人、探して下さい」


ザクロは琥珀の一歩先に出ると、遠藤がいないか周囲を確認する。

周りに人影がまばらなこともあって、ザクロは琥珀の名前を呼んだ。

琥珀は小さく頷き、前を行く小さな背中を見つめた。


「言ってる意味、わかってるのかしら」


歩き出す前に琥珀が呟いた一言は、ザクロの背中に届くことなく消えていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る