第11話 間話 琥珀視点
モノリス。
自分が所属することになった新しい事務所の名前だ。大して有名な人間もいない。
どちらかといえば下請けに近い業者だ。
ホテルの窓ガラスに指を添わす。
(歌えるならどこでもいいのどけれど)
身から出た錆とはいえ、前の事務所をクビになり清々したのが半分。
前の方が規模も所属している人も大きかった。その分自由度は低く、ライブを制限されるのが何より琥珀にとってはキツかったのだ。
(歌えない歌手に意味はあるのかしら)
琥珀にすればない。歌わなければ、価値を証明できない。
だから、暇な時間をクラブで歌った。
その結果、知り合いも増え、碌でもないのに捕まった。大手は詐欺による借金報道が出た歌手を匿ってはくれなかった。
「琥珀さん、これ」
ホテルの自室は、まだ馴染まない。
入り口付近から聞こえてきた声に、琥珀は顔を向ける。
琥珀の部屋を片付けに行ったザクロが立っていた。
両手に見覚えのある荷物を抱えている。キッチリ畳まれた毛布とふわふわの触り心地の良い抱きまくら。
どちらもお気に入りだった。
「え、持ってきてくれたの?」
驚きに目を見開く。
お気に入りだと言ったことはない。
ザクロが目を合わせずに答えた。
「なんとなく、必要かなと思ったんで」
自分より小柄なザクロが持つと、顔の下半分が埋まっていた。
そこにはきっと不機嫌そうなへの字口があるのだろう。まだ短い付き合いだが、笑う所を見れたのは数少ない。
あって苦笑くらいだ。
琥珀は慌てて立ち上がると、ベットの足元を回ってザクロに近寄った。
「ありがとう。なんでわかったの?」
伝わる柔らかさに頬が緩む。それから、予想通りの表情をしたザクロを見た。
モノリスに入る条件は、たった一つ。このボディガード、ザクロと一緒にいること。
歌もライブも制限はない。ザクロに相談して許可が出れば何をしても良いと社長である永田は言った。
琥珀にしてみれば、ザクロはボディガードというよりマネージャーだ。
自分より小さい背。染めていない黒髪が肩より下で揺れている。
眉毛の高さで切り揃えられた前髪の間から見上げられた。この仏頂面は照れているのだろう。
「あのソファ近辺が一番琥珀さんらしいなって思ったので」
「よく見てるわね」
ザクロから受け取った毛布と抱きまくらを枕元に置く。それ以外の細々としたものは窓際に置いてもらった。
テキパキと動く様子を頬に指を当てて観察する。
可愛らしい見た目、そのくせ、ボディガードとしても有能なのは既に何回も見ていた。
ザクロという人間を掴みかねる。
「そりゃ、細かいことに気づかないと対象を守れませんからね」
琥珀の言葉にザクロは肩を竦めてみせる。
こういう反応も新鮮だ。
琥珀が褒めると大抵の人間は喜ぶ。ツレナイ反応が新鮮で構いたくなる部分は確かにあった。
「今日のご飯も買ってきましたから」
「ありがとう、助かるわ」
荷物を置き終わると、どこらか取り出したのかコンビニの袋を机の上に置いた。サンドイッチやおにぎり、スープが何種類かあった。
軽食ばかり選んでいる。一度、こういう系統が良いと伝えたら、確実に買ってきてくれる。
マネージャーとしても優秀。言うことはない。
軽食を冷蔵庫にしまい終えた袋に、まだ何か入っている。
「あら、マシュマロが入ってるわよ?」
取り出すと雲のような可愛らしいパッケージに白い俵型の塊がたくさん入っていた。
これも頼んだ覚えはない。
ザクロへ視線を向けると、少しだけ視線をそらす。
珍しい反応に興味が湧いた。
「琥珀さん、好きですよね?」
ちらりと琥珀を見て、それからザクロは言った。
確認でしかない言葉に虚をつかれる。
好きだけれど、それを彼女に伝えたことはない。
「ええ、好きだけど……よくわかったわね」
「雑誌で好物って書いてあったんで買ったんです。でも芸能人のプロフィールなんて、ねぇ?」
皮肉げな笑みがザクロの口端に浮かぶ。
芸能人のプロフィールがすべて真実だとは決して言えない。けれど、すべて嘘でもないだろう。
そんなもの覚えている方が大変だ。
(素直なんだか、皮肉屋なんだか)
琥珀は苦笑しか出ない。
ーー喜ぶと思って買ってきたけれど、考えれてみれば本当に好きだか知らなかった。
ザクロの考えを想像するとすれば、そんなところだろうか。
「私は嘘は書かないわよ」
袋を開けて、中から一つ取り出す。
ふに、と指先で感覚を確かめてから、口に含んだ。
広がる甘さと独特の感触。ぺろりと唇を舐める。
「そうみたいですね。良かったです」
ザクロの表情が少し緩んだ気がした。
言葉だけじゃ信じない。行動で示さなければならない。
(面倒くさい子ね)
人を信じない芸能人は多いが、ここまでわかりやすいのも珍しい。
まだお互いがお互いを観察している。距離感を測っているような感じだ。
琥珀は開けてしまった袋をザクロに向ける。
「ねぇ、好きでも、こんなに食べれないんだけど」
「んー、ちょっと待って下さい」
マシュマロは開けてしまったら、早めに食べなければならない。
くっついたり、感触が変わると楽しさが半減するのだ。
ザクロは琥珀から袋を受け取ると備えてあったチョコ味のクッキーを取り出した。
レンジにマシュマロを入れて10秒もせずに止める。
黒いクッキーの間に挟まれたマシュマロがあっと言う間に琥珀の前に差し出された。
「これなら、どうです?」
少し得意げな顔が可愛くて、だけどそれを言ったらまた表情を消す気がして。
何も言わず琥珀は差し出されたクッキーを手に取った。
「ん、美味しい」
「良かった」
食感が変わるし、味自体もクッキーとあわさって飽きづらくなる。
難点があるとすれば甘いだけ、と思っていたら、ザクロが慣れた手付きで紅茶を入れていた。
本当に、抜け目がない。
「あなたも食べたら?」
「じゃ、1つだけ」
渡された皿をもう一度ザクロに差し出す。ボディガードをしているとは思えないタコや節の少ない指がクッキーをつまんだ。
しばらく、ふたり無言でマシュマロサンドクッキーを食べていた。
口の中でほろほろと溶けていく感覚が、どこか懐かしい。
隣に人がいるのに無言。そんな時間を過ごしたのは、いつ以来だろう。思い出すことさえ難しかった。
「こんな食べ方もあるのね」
「レンチンしただけですけどね」
食べ終わった後、つい呟いてしまった。
琥珀の言葉にザクロは複雑そうな顔をする。褒められて嬉しいような、こんなことで喜ぶのかと思っているような顔。
無言でもわかるものはわかる。
本人は無表情のつもりなのだろうが、琥珀からするとザクロの表情はとても読みやすかった。
だから。
「ありがとう。また、作ってね」
ただ素直にそう伝えたかった。
誰かに、何かをしてもらえたことに、頬が緩んだ。
「これくらいなら、いつでも」
見逃してしまうほど小さな笑顔が、口端に柔らかい笑みがザクロの顔に浮かぶ。
その顔に胸の奥に小さな光が差し込む。あの日、初めて笑う顔を見てからずっとだ。
むず痒くて困ってしまう。誤魔化すように琥珀はお茶を流し込んだ。
(笑えば可愛いのに)
食べ終わったマシュマロとコップをザクロが片付けてくれる。
もう仏頂面に戻ってしまった横顔を見つめそんなことを思う。
この時点できっと気になっていたのだ。
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