第10話
スタジオの空気が少し引き締まる。
気を利かせてくれたのか、スタッフはブースの中に入って何か調整を始めた。
琥珀だけがザクロの側で、こちらを見上げていた。
『いや、俺もまさかと思ったんだが……見事にうちの事務所だけ焼けちまってる。一番の被害は城田のパソコンだな。お気に入りのパソコンが逝ってしまったって、城田が嘆いてる』
「本気で言ってます?」
内容と永田の口調が噛み合わない。
まるで冗談を言うような言葉にザクロは眉間に皺を寄せた。
琥珀は不思議そうに首を傾げている。
『本気、というか、本当だ。城田に変わるか?』
『おーい、城田』と画面の向こうで、城田を呼ぶ声がした。声が遠くなり雑音が増える。
自分の鼓動が大きく聞こえ、少しだけ耳からスマートフォンを離した。
落ち着くために小さく息を吐く。琥珀がザクロの裾を引いた。
「どうしたの?」
「モノリスが火事になったって」
口早に告げる。
それ以外情報がないから、心配しないでとも言えない。
もどかしい気持ちを抱えながら電話口の先を伺う。
「ええ?! みんな無事?」
驚きに染まった表情。素直に、感情が顔に出る。
それは琥珀の好ましい部分だとザクロは思っていた。言うことはありえないのだけれど。
スマートフォンが手渡された気配に耳を澄ませる。
『ザクロさーん、パソコンがぁ、愛機だったのに……』
聞こえてきた声は元気そうでホッとする。
悲しそうではあるが、体調は問題なさそうだ。
表情も緩んでいたのか。琥珀に目配せすれば、彼女自身も頬も緩ませていた。
「それは残念だったね。人に被害は?」
『ないですぅ。ただ、元々、琥珀さんに関するデータが狙われたみたいで』
聞き捨てならない言葉だ。自然と目が厳しくなってしまう。
ザクロはまだそばにいる琥珀に小さく頭を下げて、扉の外に行く旨をジュスチャーで伝える。
ごねるかと思ったが、すんなりと廊下に出ることができた。
プロとしての部分。それが表に出る時、琥珀はとてもいいオンナになる。
「琥珀さんのデータ? あのインターフォン?」
廊下を出て右側に向かう。
スタジオからそう離れるわけにもいかない。
扉は見える位置で、廊下の一番奥。誰もいないことを確認してから、ザクロは城田に再び問いかけた。
『おそらくですけど』
「じゃあ、狙いは」
琥珀か、琥珀のデータ。
インターフォンに映っていることがばれると不味い人物がいるということだ。
(面倒なことになったな)
唇に力が入る。
事務所を燃やしてまで消したかったとなると、相手の本気度がわかる。
映像を消すだけ済むならいいのだが、琥珀自身が目的となるとこれからも面倒が続く可能性がある。
「誰が映ってるか、確認は終わった?」
『まだ最近の分しか終わってません。名前がわかるような有名人はいませんでした。あのまーくんという男がとりあえずは最後です』
「了解」
『データが残ってないか、どうにか探してみます。今はクラウドに管理しているものも多いですから』
「よろしく」
データは城田に任せるしかない。
元々は他に男がいないか調べるためだけのものだったのに、話が大きくなった。
琥珀の影響力は思っていたより大きいのかもしれない。
耳の脇に垂れてきた髪の毛をかき上げ、耳にかける。
『ザクロ、そういうわけだから、琥珀の身辺に気をつけてくれ』
「わかりました」
言われなくても、警戒レベルをあげなければならない。
今のようにスタジオに足を運ぶのも減らす必要がある。
ホテルも移動し、数日間隔で移動することになるだろう。
落ち着いて作曲できないストレスにも対処する必要がある。
山積みになる問題に頭が重くなった
「そうだ」と思いついたような永田の声がスマートフォンから響く。
『城田と琥珀から同居したいって聞いたぞ。丁度よいから、お前の部屋にでも連れてってくれ』
ひゅっと息を吸い込む音がした。
自分の呼吸が止まった音だと、頭が数秒遅れで理解する。
次に飛び出たのは、驚愕の声だった。
「はぁっ?!」
『ホテルみたいに不特定多数が出入りする所だと怖いしな。引っ越しはどうしても目立つ。ザクロのところが一番無難だろ』
つらつらと流される理由。頭が理解するのを拒んでいた。
永田が喋り終えると脊髄反射で答えていた。
「無理です」
『これは仕事だ。事務所が落ち着けば、そっちに移ってもいいが、また場所も未定だからな』
そうだ。事務所が燃えたということは、しばらく永田や城田と連絡を取るのはオンライン上だけになる。
事務所という強固な足場を崩されたことは大きい。
しばらくは何があってもザクロが琥珀の居場所を確保しないといけないということだ。
『よろしく頼んだぞ!』
「……切れた」
ピコンと通話終了の音が響く。その画面をしばらく呆然と眺めてから、ザクロはスタジオへと戻った。
扉を開ければ、琥珀がソファから立ち上がり側に寄ってくる。
「何だって?」
「今日は人生最悪の日かもしれません」
眉を下げて心配そうにこちらを伺う琥珀に、思わずそう告げてしまった。
本気で心配している琥珀を前にひとつ咳払いをする。
人生初の同居が始まることにたいして、琥珀とザクロの反応は正反対としか言えないものだった。
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