第8話
この車を運転するのにも慣れてきた。
日が暮れ始めた町並みを車のライトが照らしていく。繁華街とはまた違う住宅街の明るさに、ザクロは道を見る目を細めた。
「ザクロさん、そこ右です」
いつもは荷物で埋まっている助手席から声がした。城田だ。
スマホを片手に指で右側を指している。だが遅すぎる。
聞こえた時には右に曲がる車線は通り過ぎ、ザクロは憮然と返す。
「早めに言ってくれないと、曲がれませんから」
「そんなぁ」
城田がへにゃりと眉を下げた。元から細い瞳が線のようになる。情けなさが倍増した。
ザクロは小さく肩をすくめる。
チラリとバックミラーを確認すれば、琥珀がじっと窓の外を眺めている。
相変わらず、綺麗な顔だ。すでに一週間以上一緒にいるのに、たまに感心してしまう。
女優、歌手という人種とは多く接してきた。だが、こうも表と裏がなく、そのくせ手がかかる人間は初めてだった。
「琥珀さん、すみません。もう少しで着きますから」
「気にしないで、車移動には慣れてるから」
ミラー越しに小さく頭を下げる。対向車のライトが差し込み薄暗い車内が、格子状に明るくなった。
琥珀は言葉通りシートに背中を預け、リラックスしている。そう思ったのはザクロだけではなかったらしい。
「琥珀さんってホント、キレイですね! プライベートでも美しいです」
「あら、ありがとう」
ミーハー気質を爆発させている城田が目を輝かせて後ろを振り返った。慣れているのか、琥珀はよそ行きの顔のまま笑っている。
それだけで城田は「きゃっ」と嬉しそうに声を上げた。車が揺れる。
シートベルトをしているのに、上半身を九十度ひねり座席の右から後ろにかじりついている。
いろいろな意味で危険な体勢に、小さく息を漏らす。ザクロはハンドルを握ったまま声を尖らせた。
「城田、ナビゲーターの仕事」
「はーい」
ただでさえ、すでに道を間違えたあとだ。一方通行を含めて修正を考えると頭をかきむしりたくなる。
城田はザクロの言葉に軽く返事をした。そのままおどけた様子は崩さず、前を向きスマホの画面を再び見つめる。
城田の指示にあわせてハンドルを切りながら、ザクロは琥珀に話かける。
「今回のマンションは城田が探してくれたんですよ」
「はい、ザクロさんから聞いて、条件が合うところをピックアップしました」
琥珀の条件はほぼ無いに等しい。なにせ、テレビとソファだけだ。大きささえ気をつければ大抵当てはまる。
ザクロがそこに治安や繁華街からの距離、よく使うスタジオとの交通の便などを付け加えた。
城田には「誰の家か分からない」と言われる始末。そうでもしないと、琥珀は絶対に男を見つけてくる確信がザクロにはあった。
(ほんとに男癖が悪いんだから)
あのあとも、琥珀の悪癖は変わらない。
道を歩けばキャッチに引っかかる。熱心なファンだとすぐに連絡先を教えそうになる。極めつけは仕事で一緒になった人間に褒められれば、惚れる。
一番面倒なのは、仕事がらみの縁。こればかりは、テレビなどの仕事がなくてよかったと言える。
ラジオからは流れるような喋りが聞こえてくる。どこかの会社の跡継ぎ問題で揉めているらしい。
ぼんやりと二人の会話を聞き流す。ここまでしても、ザクロの心配は消えていなかった
「ありがとう」
「いえいえ、ザクロさんなんて、わざわざ1回見に行ってますから。それに比べれば」
「っ、城田!」
思わず急ブレーキを踏みそうになる。
間が悪く、信号は青に切り替わっている。後ろからは出発しないことに対してクラクションが鳴らされた。
城田を振り返れば口元に丸めた手を当てて笑っていた。
「あら、内緒でした?」
否定するわけにもいかない。歯噛みしていると、後ろから身体を起こす音がした。
肩に力が入ってしまう。慌てて普段通りの顔を作った。
「そうなの?」
「一度見ないと、物件は分からないですから」
「嬉しいわ」
振り返らなくても、わかる。これはゆるい顔で笑っているときの声だ。
身を起こしてきた琥珀がしっかりとシートに捕まっているのを確認し、アクセルをゆっくりと踏む。
ため息は吐き出さずに済んだ。
*
「良かったんじゃない?」
「日が落ちて大分経ちますし、今日はこれくらいにしましょう」
何件か部屋を回る頃には街には夜のザワメキが満ちる時間になっていた。
見た部屋数は3件ほどだったが、出発が夕暮れということもあり、日はとっぷり暮れていた。空を見上げても星は見えない。ガスに光が反射している。
最後の部屋を見回り、扉の鍵を閉める。先に駐車場に戻っていた城田にザクロは鍵を渡した。
「あれ、琥珀さんは?」
「コンビニに行きました」
「うそっ」
ザクロは慌てて周りを見渡した。確かに目視できる距離にコンビニがある。
車はそのままに、城田を連れて足早に移動する。
「過保護ですねー」
「過保護も何も……あの人は誘蛾灯なんだから」
城田が呆れたように言うのでザクロは眉をしかめる。
過保護とは、ちっとも思っていない。
琥珀は芸能人としての自覚がまったくないのだ。いや、自分に好意を示してくれる人間には甘すぎるほど甘い。
それは利用しようとする人間にすれば、良い食い物だ。
コンビニの前につき、入ろうとした時、タイミングよく琥珀が中から出てきた。
「あ、ザクロ」
片手にコンビニの袋を持っている以外、何も変わらない。
ホッとした瞬間、琥珀の後ろから男が現れた。
「あれ、お姉さんも可愛いね。一緒にうちの店に飲みに来ない?」
派手なスーツ。昼は働けなさそうな髪色。滑らかに出てくる甘い言葉。
アウト三連発だ。
顔に手を当て、天を仰ぐ。
「ありゃー」
「城田、これでわかったでしょ。何でもない所でも男を引っ付けてくるんだから」
「やっぱ、オーラが違うんですかねー?」
遅かった。ザクロは肩を落とした。城田は琥珀と男の姿に目を丸くしている。
悪いことをしたなんて一ミリも思っていない顔で、琥珀が近寄ってくる。
とりあえず、触られてない時点でマシと思うことにしようか。
「ね、彼のお店にお客さんがいなくて大変なんだって。お店に行くくらい良いでしょ?」
「駄目です」
ザクロは首を横に振った。
まるで公園に散歩に誘うような軽さだ。わざとなのか、無自覚なのか。
琥珀の言ったことを考えれば、本当に助けてあげたい可能性のほうが高かった。
琥珀は「えー」と唇を尖らせつつ、コンビニの袋を上げる。
「ずっと出かけてないし、出前も弁当も飽きたわ」
「わたしの知ってるお店に連れてきますから、その店は駄目です」
「え、ホントに?」
「ええ」
そんな理由なら、すぐにでも。
目を離すと何か起こる。ザクロは琥珀の側で過ごしていて、それを嫌というほど実感していた。
勝手に動かれるなら、希望を叶えた方が楽。
「ザクロさんにも行きつけのお店とか、あるんですね」
「あるから」
横から面白そうに聞いてくる城田の肩を押して下がらせる。
店に行くにしても、仕事が残っていた。
琥珀と男の間に入り、何度したかわからないお断りの儀式を始める。
「ということで、お店には行けません」
「何だよ、歌手の琥珀だろ? 少し遊ぶくらい良いじゃねぇか」
ザクロは目を細めた。
分かっていて声をかけたなら、遠慮はいらない。
分からず琥珀に声をかけた人間は、ザクロの記憶では今のところゼロなのだけれど。
「琥珀は歌に必要のないことはしません。酒も飲みませんから。ね?」
スッパリと諦めさせるのが重要。
酒を飲むかどうか。聞いたことはないが、琥珀は歌の邪魔になることも全くしない。だから、この予測は当たっているはずだ。
ザクロの言葉に琥珀は驚きと困惑が半々の顔で答えた。
「え、うん。お酒は飲まないわね」
「ほら。別のお客さんを当たってくださいね。でないと」
諦めきれないように琥珀に男の手が伸びてくる。それを下から掬うように掴み、そのまま捻り上げた。
琥珀を琥珀として触ろうなんて、とんでもない。
距離が近くなった男の耳に声を落とす。
「こっちも仕事なんで」
「わぁった、わかったよ! 離せって」
ザクロが手を離した瞬間に、男は逃げていった。
その姿が見えなくなるまで追う。
完全にいなくなってから、目をつむり、はぁと息を抜いた。
「城田、これ、無理じゃない?」
「うーん、ザクロさんが言うなら、そうなんじゃないですか」
城田の視線が琥珀とザクロを行き来する。
また変なのを捕まえられても困るので、二人で一つのコンビニ袋を持つ。ザクロの中で琥珀は幼稚園児と同じ扱いになっていた。
「いっそ、一緒に住んだほうが楽だったりして」
「えぇ」
「それ、いいわねー。部屋は余ってるし」
城田の提案にザクロは思い切り顔をしかめた。琥珀は反対に目を輝かせている。
グイグイ押してくるときの琥珀は強い。子どもと一緒だ。
譲らない、我慢しない、押し通す。
「……社長と相談させてください」
他人と住む。それだけで重い何かが伸し掛かる。
どうにか回避しようと思いつつ、もはや手はそれしかない気もしていた。
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