第6話

モノリスの事務所に備え付けられているウォーターサーバーから水を汲む。

一口飲んでひと息吐き出すと、ザクロは永田のデスクへ向かう。

一歩ずつ進みながら、ボディガードについてからの琥珀を思い浮かべた。


「どういうことですか、彼女」


琥珀という歌手はひどく歪な存在だった。

男を見る目はない。本人が言ったように、それは間違いない。というより、琥珀のスキャンダルが有名すぎて、マトモな人間は彼女に話しかけないのだ。

仕事にはマジメ。

スタジオに入ると終わりの時間など関係ない。ちょくちょく休憩はとるが、それも長く働くためのものに感じた。

男に声を掛けられるとフラフラついていってしまう姿と良い曲にするならば一切の妥協をしない姿。

バランスの悪いそれらにザクロは戸惑っていた。


「どういうことだと思う?」


永田は悪戯に口角を上げる。

イラッとして、自然と低い声が出た。


「社長」

「おー、怖い、怖い……可愛い顔してるんだから、勿体ないぞ?」


パタパタと手を振る。ザクロは前髪を払い上げる。その後に続いた言葉も含めて、余計な事しか言わない。


「間に合ってます」


ばっさりと切り捨てると、永田は肩をすくめて、今度こそ話し始めた。


「ああ、まぁ、習性、みたいなもんだ」

「なんですか? それ」


永田はぼんやりと天井へ視線を動かしてから、言葉を選んで口にした。

コップを口元に運ぶ。冷たい水が体の中を冷やしていく。

片眉を上げて、ザクロは言葉を待った。


「琥珀は好きだとか言われたり、頼られると極端に弱いんだよ」


「わかっているだろう?」と目で問いかけられている気分になった。

やっぱりと顎を引く。返ってきた言葉を目をつむって咀嚼する。

ザクロはコップのを一度机に置いた。


「そんな気はしましたけど。度が過ぎません?」

「度が過ぎるから、問題になる」


永田が肩を竦めるのをザクロはじっと見つめた。

ザクロの中を渦巻いているのは怒りだ。最初から教えてくれていれば、まだ対処の仕方もある。

動揺することなくザクロの愚痴を聞いている時点で、彼にはこの展開が読めていたのだ。

ギッと椅子をきしませながら、永田は身体を起こすとデスクに肘を付き手を顔の前で組む。


「だが、あいつの一番は歌……ライブだ。その次が、私生活。ライブの邪魔するような男や不倫に誘うような男はダメなんだ」


手で隠された口元が笑っていた。

悪い笑み。

芸能界で働いている人間がたまに見せる、人としてのアンバランスさと魅力に取り憑かれた人間のもの。

それがザクロはどうしても好きになれなかった。

置いていたコップを持ち上げ、中の水を飲み干した。その縁を軽く指で叩く。

琥珀がスキャンダルばかりなのに、まだこの世界で生きてられる理由の一端が垣間見えた。


「変に束縛するような男や、大手の社長は無理と」


軽く力を入れれば紙のコップは容易く潰れた。

歌が一番。それ以外はどうでもいい。

確かに、まーくんもお金を欲しがっても束縛や執着はしてこないようなタイプに見えた。

どちらにしろ、ザクロには理解できない領分だ。


「そ。歌が大好きで、誰かに愛して欲しい子供。それが、そのまま大人になったみたいな女」


くくくっと小さな声が永田から漏れる。

まったくザクロには笑えなかった。


「手に負えません」


愛して欲しい。

その言葉の響きに、ザクロは眉間に皺を寄せた。

嫌いな言葉だ。ぐるぐると胃の中をかき混ぜられたよな気分になる。


「案外、ザクロみたいな人間がぴったりだと思うぞ」


永田は姿勢を変えず、ザクロにも悪い笑顔を向ける。

ぴったり? どこが?

湧き出る疑問に蓋をして、押し込める。ここで言い争っていても、永田の思惑にハマるだけ。

それは癪に障る。

なるべく表情を変えないよう意識しながら、小さく頭を振る。


「とりあえず、ホテルに住んでもらいます。引越し先は、さすがに彼女自身で決めたいでしょうから」

「ああ、任せた」


琥珀の部屋。

結局、あのあとライブの続きを見ることはできなかった。

他に男の痕跡がないか家探しになったためだ。

琥珀は面倒くさがりながらも素直に家を案内してくれた。もっとも、最初に通された部屋以外、まともに使われていた部屋はなかったのだけれど。


「他に男がいないかインターフォンの解析、お願いしますね」


永田のデスクから下がる。そのままパソコンの影に隠れて、ニヤニヤしていた城田の肩に手を置く。

既にインターフォンの映像は渡してあった。

まーくん以外にも定期的に来ている男がいたら困ってしまう。

城田は額くらいの高さに手を上げて、おどけた雰囲気で返事をした。


「はーい、承知しましたぁ」


城田のパソコン画面は相変わらず高速で動いている。

その一つに琥珀の映像が見えた気がした。早すぎて追えない。

ザクロは肩から手を離す。


「変な情報は集めないでいいですからね」

「わかってますよ」


まったく信用できない言葉と表情に、ザクロは諦めて出口へと向かった。

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