新入局員

 愛する母国を陰から守りたい。そう思った僕は晴れて夢を叶えることが出来た。情報局に入る、ということだ。まずは基礎的な訓練を行い、必要最低限いることを叩き込まれた。言葉通りに。死ぬことがないように、と愛を込めて育てられた。多少死が近く見えた時もあったが。それが最低限とは思えないような怒涛の日々だった。仲間が怪我をすることもあれば、失敗も多かった。でも、楽しい日々だった。これほど学び甲斐がある時間は、本当に久しぶりに感じられた。

 いつしか新人局員を鍛える白城教官の笑みが、鬼が笑っているように見え始めた。初めて白城教官を見た時はモデルのように綺麗な人だけだと思った。雪のように白い髪に光る、闇を思わせる黒い瞳。とても幻想的で初めて見た時に、息をするのを忘れるほどだった。隣国のシルフィス人だとすぐに分かった。名字もこの国でシルフィス国を指す時に使う、白城を名乗っていた。戦争の数少ない生き残りであるはずなので、どのような表情をすれば良いか悩んだ。だが、白城教官は気にしないで、と強い笑みを僕達に見せてくれた。僕はそれを見てほっとした。良い人だ、と。

 きっと僕も彼らと同じで、白城教官に惹かれる魔法にかかっていたのかもしれない。それがいつでも続ければ良かったのだが、違ったとすぐに理解させられた。白城教官は訓練で容赦しない人だった。それでも、今でも白城教官に恋心を抱いている人が多いことを知っていた。ただことごとくそれは力で折れられていた。白城教官は、自分より強い人であることが恋人になれる第一の条件と宣言していた。恐ろしいことにその条件は百を超えていた。流石に全てを聞こうとは思わなかった。

 そして、教わっていた白城教官から、精神を鍛える特別訓練をすると言われた。どのような状況下まで揺るがない心を持ち続ける、忍耐力。それはどの場面でも必要なことだと思われた。白城教官から紹介されて、現れたのが黒髪黒目の青年。同年代のように思われ、逆にこちらと同じ新入局員でないことに驚いた。制服ではなく、普通の格好をしていた。全身は黒い服で統一され、どこか死神じみていた。ただ黒い上と下だと誰が歩いているか、遠くからでも分かりそうな気がした。服の無頓着なのだろうか。表情は終始変わらず、どこか掴みにくいイメージがあった。無口なのか寡黙なのか無愛想なのか。感じ方の違いだろうか。

 白城教官が言った。

「協力者の黒木さんです」

 本名かどうかも分からなかった。こういう時は全てを疑うべきだった。入局試験の時は誰が受かるかも分からないので、意図的に偽名を使用する必要があった。

 黒木さんは軽くお辞儀をした。

「ただ見学することになると思うが。まぁ、一先ずよろしく」

 と、白城教官の言葉に付け加えた。

 それでその場は素早く解散となった。僕達はバスに積み込まれるように入れられ、黒木さんは別の車に乗ったようだった。僕は最後まで途方に暮れている表情を見せる、白城教官の真意が分からなかった。それほど白城教官は表情を変えることが少なかった。ばしばしと僕達のことを訓練していた。死なせないためだ、とは耳にタコが出来るほど言われた。ただ全員が頑張った後には笑顔を見せたり、奢ってくれたこともあった。だから、白城教官は誰からも好かれていた。

 バスは高速を長い間走ると、原風景に出た。昔住んでいた地方の景色をふと思い出した。少し懐かしいとも思えた。ただ白城教官は何も言わないので分からなかった。地理に詳しい友達が何か地名を言っていたが、生憎僕は分からなかった。言い方は悪いが、聞いたことのない地名だった。一度サービスエリアに降りると、後方を走る黒木さんを乗せた車はいないことに気付いた。誰も質問しようとは思わなかった。僕達に不要と思われた情報、聞く権利を得ていない新人の僕達だから仕方がなかった。

 車内で夕焼けを楽しむと、大きなホテルにバスは停まった。見た目から高い場所であると思われた。予約をするのが大変そうな場所。一人が質問をした。

「これほど豪勢な場所で合っていますか?」

 僕もこれほど立派な所に泊まれるとは思わなかった。白城教官は笑みを浮かべた。

「安心して下さい。今しか食べられませんので。当分は個々の気力の問題になるでしょうね」

 その言い回しに僕は冷や汗を掻いた。果たして僕達はこれからどこに連れて行かれ、何をされるのだろうか? 答えはその時になるまで分からなかった。ただ記すべきこととしては、一番楽しい宴会だった。美味しい蟹がまさか食べれるとは思わなかった。これまで真剣な顔しか余り見てこなかったので、仲間の意外な一面を知れる機会でもあった。

 酒は任務に支障を来すから、なかったが。だが、白城教官は酒が飲めない、とぼやいていた。可哀想に。本当にお疲れ様です。ただ勝手に裏で飲んでも酒に強いからばれなさそうではあった。するかは本人次第だったが。食事中もいつまでも酒があれば、と美味しい食事を頬張っていた。

 早朝に叩き起こされると、迷彩服を手渡された。今の季節の草木に隠れる物用と思われた。そして、一人一人に訓練用のテーザーガンが渡された。銃は渡せないと言われ、何かあればそれで守れ、と。本当に、何があるのだ? 黒いバンに乗ると、車は山中の道路で停車した。今度は黒い大きな袋を配られた。ぱっと見から簡易死体袋と思われた。誰もが顔から血の気がなくなり、頭上には疑問符だけが生まれた。負けた者は殺されてここに入れて帰らされる、とはではないだろうな? 僕はそうでないことを信じたかった。

 僕は気になり、声に出した。

「これは……何でしょうか?」

 白城教官は言った。

「見て通りの物ですが? それ以外に説明は不要でしょう。言いたいことは分かりますが、詳しい説明を聞く権利は貴方達に未だありません。狼が立ち去れば、狩られた兎を詰めて下さい。後は見たら分かりますから。全ての兎を積み込んだら終わりです。楽勝ですよね?」

 と、笑みを浮かべた。

 僕達は死体袋を手に唖然とした。そして、その状態のまま山中に放り込まれた。迷彩服で目立たない場所に潜むと、取り敢えず待機することにした。白城教官は言葉足らずの時が多かった。そのため、自分達で動き正解を見つける必要があった。この時に白城教官がアドバイスを前にしていた。答えは一つじゃない。試しに自分の足で動いてみろ。何もしない。しようとしない臆病者の方が何倍も馬鹿だ、と。しばかれながら言われた。

 そして、地獄とも言えない状況が始まった。最初、走って逃げてくる女性を見た。顔には恐怖がくっきりと刻まれ、命からがら逃げていた。ここで既に僕は心の中で白城教官に愚痴を溢した。足が竦まずに、愚痴を溢すだけで済んだのも訓練の成果だった。口から言葉が出ようとした瞬間、大きな影が女性を襲った。四つ這いで女性に飛び乗ると、首元に手をかけていた。体が言うことを聞かない僕は、止める間もなかった。影は本当の狼のように、女性の喉仏を歯で噛み千切っていた。全身に血を浴びながら振り返り、そこで僕は影があの黒木さんだったと知った。だが、目は血走り、その雰囲気も最初に見た時の面影が何一つなかった。僕はそれよりも武器がなくても、人を殺せることは戦慄を覚えた。

 黒木さんは獣のようにそのまま女性を食い荒らした。肉食動物が草食動物を食べる如く。僕は息も瞬きもすることを忘れていた。すぐに嫌悪感と吐き気が襲った。昨日の宴会で食べた物が、記憶と共に外に吐き出されそうだった。生理的に受け付けれない。そう脳が僕に必死に伝えていた。だが、狼に見つける訳にはいかなかった。僕は口元を押さえると何とかやり過ごした。

 事件資料を見せられるよりも、残酷だった。どこまでも無慈悲で、同じ人を食べ物としか見ていなかった。僕はここでカニバリズムの恐怖を知った。黒木さんは普通のように見えた。だが、実際は羊の皮を被った狼だった。食べ物のために殺すのか。恨みという殺人か。芸術という快気か。そのどれが正しいのかさえ、もう僕には分からなかった。ただ個人的な意見としては食べ物の方が、良くないように思われた。たとえその生命を栄養に活用しているとしても、そういう問題ではなかった。

 任務を遂行するために、僕達は狼が通った後をゆっくりと歩いた。その都度、倒れている絞めただけの兎を回収した。どのような死に様か、どのような顔だったかも見れなくなった。すると、その死体袋を別で待機していた局員が軽々と回収していた。軽いのだと想ってしまう自分を殴りたかった。狼にばれないように、全ての作業は静かに行われた。だが、ある時黒木さんが笑みを浮かべながら、背後の木々から現れた。その時は心臓がはち切れそうになった。目の奥を輝かせながら、ただ僕のことを見た。そして、鼻歌を歌いながらどこかに消えた。あたかも遊ぶためにいるようだった。

 真っ青な顔をしながら作業を終えると、白城教官が全員を労った。だが、僕達にはそのような言葉に耳を傾ける暇さえなかった。誰もが吐くと地面に転がっていた。そこには新たな地獄絵が広がっていた。情報通な友達によると、違法なパーティーの開催者を処罰するために、黒木さんに来ていた招待を承諾させたのだった。

 開催者とその側近がパーティー会場にいる時に、局は事務所に押し入った。そして、欲しい情報を得ると、悪人を諸共生きたまま埋めた。黒木さんは欲しかった人肉を手に入れることが出来た、と。僕は局が大切な国民だけは生かしたと知り、生き埋めにされないためにも、道を踏み外さないようにしようと思った。黒木さんの職業は最後まで分からなかった。情報を奪い合う世界だとしても、あそこまで凶暴な人をどこで使うのか分からなかった。結局僕達は、良いように使われたのだった。

 悲しいことに大好物の肉は、数週間食べることが出来なかった。誰も局を辞めなく偉いな、と白城教官から僕達は背中を叩かれた。ただそれさえも響きそうだった。

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