第12話 初恋のゆく末 ※アレックス視点

 婚約者ではない貴族令嬢に許可なく触れることは許されない。

 これは貴族の常識である。


 それでも俺がレティーシャの頬から手を離すのに渋ったのは、心の悪魔おれが「彼女はラシャータ婚約者としてここにいるんだろ?」と唆すから。


 もちろん直後に現れた心の天使おれは「でもあなたはラシャータ婚約者じゃないと知っているでしょ?」と諫めた。


 しかし誰もいない部屋というシチュエーションに悪魔の圧勝。

 俺はレティーシャを抱き寄せて、あまつさえ抱きしめる腕に力を込めてさえいた。


 母親を求めて止まらない彼女の涙が俺のシャツを濡らす。



 守ってあげたい、そう思った。


 侯爵という地位や、騎士という立場から生じる義務感ではなく、一人の男として愛しい彼女を純粋に守りたいと願望というには熱すぎる気持ちがわきあがる。



「もう泣くな」


 震える彼女の体はとても冷たくて、俺は抱きしめた彼女ごとベッドに転がって全身で彼女の体を温める。


 魔力暴走は体力を根こそぎ奪うが命に別状はない。

 知識でも経験でもそれをよく理解していたし、脳内では悪魔を天使と……なぜかソフィアが叱りつけていたが、俺は気にすることをやめてレティーシャを抱きしめ続けた。


 どうせ怒られるのだからと開き直る。


 少し体を離して、腕を伸ばして、きれいにメイクされていた布団を引っ張ってレティーシャの体を包んでから上から抱きしめる。


 温めても彼女の涙は止まらないから、



「もう寝ろ」


 寝ぐずりする赤子をあやす母親を真似て、レティーシャの小さな背中をポンポンと一定のリズムで叩く。


 功を奏したのか。

 ずっと動かなかったレティーシャの体がもそりと動き、俺の胸に顔をうずめる。


 すりッと頬をすり寄せて甘えるから、「おいおいおいおい」と一人突っ込んんで自分の煩く轟く心臓の音に気づかない振りをする。


 レティーシャは俺だと分かっていて甘えているのだろうか?

 いや、おそらく赤子が本能的に母親に甘えるようなものだろう。



「これからどうするか」


 こうしていたら俺も寝てしまいそうだ。

 さすがにそれはマズイ。


 レティーシャがここで《ラシャータ俺の婚約者》を演っているのはあの女が俺の治療を拒否したからだろう。


 俺の価値も公爵家の力も俺は分かっている。

 国王が動き、さすがにこれは拒否できないと伯爵が思ったに違いない。


 しかし計画は穴だらけだ。


 今までどんなに名前で呼ぶなと言っても馴れ馴れしく「アレク様」と呼んでいた女が、突然礼儀正しく俺と距離をとって「公爵閣下」と呼ぶのだ。


 魔物に洗脳された説は笑えるが、魔物と戦い慣れた公爵邸の者たちがそれを信じそうなほど二人は全く似ていない。


 

「愚かなことを」


 スフィア伯爵が聖女を隠して理由は簡単に想像がつく。

 それなのにラシャータのわがままを叶えるためにレティーシャを表に出した。


 バレない自信があったのか?

 愚かで楽天家なだけか?


 それとも聖女の末裔だから無罪放免とでも思ったのだろうか?


 悔しいがこの国はまだ聖女を失うわけにはいかない。

 国民の安心を一手に引き受けている聖女の存在は、国の安定を支える柱の一つだ。


 少しずつ改善しても、この国が聖女を手放すには何十年もかかるだろう。

 

 そして聖女を維持するためにはスフィア伯爵家は欠かせない。

 聖女の力がスフィア伯爵家の直系のみに伝わることは分かっているが、なぜかは分からない。


 聖女の力を継ぐのは血なのか、家名なのか。

 『なぜか』が分からない以上は現状維持するしかない。


 現状を維持するなら聖女を隠した罪を表に出すことはできない。

 つまりレティーシャは伯爵の庶子として新たな立場を与えられるのが妥当だ。



「そして伯爵家はレティーシャかラシャータに継がせて伯爵本人は引退させる……俺に嬉しくない展開だな」


 貴族令嬢は十八歳が結婚適齢期で、ラシャータ本人も結婚に対して超がつくほど前向きなのに、ラシャータが二十歳を過ぎた今も俺たちが婚約状態なのは伯爵位の後継者の問題があったからだ。


 他家に嫁いだ聖女は聖女の力を子に継ぐことができない。

 俺と婚約した時点で俺がスフィア伯爵家に婿入りし、ウィンターズ公爵家はケヴィンが継ぐことにするべきだったのに伯爵と国王陛下が反対した。


 いま思えば伯爵はレティーシャという札を隠し持っていて、美味しい汁を吸い続けられるその位を俺に譲るのはイヤだったのだろう。


 国王の「まだ後継者が生まれるかもしれない」という意見にのり、周囲ももっと聖女が増える可能性を考えて反対しなかった。


 それが貴族議会の決定だったから、俺はそれを言い訳にしてラシャータとの結婚から逃げていたのだが、レティーシャの登場で風向きは大きく変わる。


 貴族議会はレティーシャを伯爵の後継者と承認し、ラシャータは俺の花嫁になる可能性が大いにあるのだ。


「しかも、そうなったら俺がスフィア女伯の後見になって、俺が彼女の婚約者を決めることになる……なんだよそれ」


 レティーシャが聖女となり、ウィンターズ公爵家の後見を得て伯爵家の後継者となれば、その瞬間から婚約希望の男たちが列をなすだろう。


 聖女とかうちの後見とかがなくても魅力的なんだ。

 社交界の花を腐るほど見てきた俺だって彼女以上の花を知らないんだから。



 それではレティーシャを伯爵の庶子ではなく、伯爵の長女のレティーシャとして公表したらどうなる?


 聖女の家門スフィア伯爵家の背信。

 フレマン侯爵家の冤罪と復権。


 血反吐を吐くくらい忙しくなるが、国王陛下を説得させるだけの材料はある。


 国王がいまは行方不明のフレマン侯爵令息と親友だったと母から聞いている。

 その縁で俺とレティーシャの婚約を後押ししていたと。


 それに何だかんだ言っても貴族は血を重要にする。


 我がウィンターズ公爵家は王家の親戚、国王は俺の伯父さん。

 つまり俺の妻となる公爵夫人には全貴族漏れなく頭を下げることになるのだが、その夫人が娼婦の母を持つ半貴族か、由緒正しき侯爵令嬢を母に持つ純血貴族か、貴族たちがどちらを選ぶかは明確だ。



「俺は君の婚約者になりたい」


 誰かに結婚を請うなんて、俺も魔物に洗脳されたのかもしれない。


「君が俺以外に優しくするのはイヤだし、君の目に俺以外が映るのはイヤだけど、君が聖女になったらそうは言えないから我慢する。朝、目が覚めたとき、君の瞳が一番に映すのが俺なら我慢できる」


 分かっているんだ。

 誰をどう納得させても、レティーシャが俺との婚約をいやがれば絶対に婚約は成立しない。


「俺を選んで」


 レティーシャの目尻に残る涙を親指で拭ったとき、その目が薄っすら開いた。

 この瞬間、俺の世界で彼女の桃色が世界で最も愛らしい色になる。



「え?」



 ボンヤリしていたら、レティーシャの腕が伸びてきて、俺の頭を抱き抱えた。

 頬に触れる柔らかいものの感触に顔に血がのぼる。


 レティーシャの細い指が俺の髪をすく。

 その感触が心地よくて、思わず俺は犬のように彼女に鼻を擦りつける。


 顔をあげられ、両手で髪をかき上げられて。

 対峙する形になった桃色の瞳に俺が映る。


 少し動けば触れてしまいそうな距離にある唇。

 薄っすら開いていた唇が艶っぽいなと思っていたら、ゆっくりと動き始める。


 こんな魅力的な誘いは一度だって受けたことがない。


 俺が口の中に湧いた唾をのみ込んだとき、


「ウィン」


 レティーシャの小さな声が耳に届く。


「……え?」


 ウィン?

 誰だ?


 俺の知らない名前。


 よく考えれば一緒にいた時間はたった半年。

 レティーシャの二十年の人生のわずかな時間で、俺の知らない名前のほうが多くて当たり前。


 分かっているけれど胸がジリッと焦げる。 


 あんな声のレティーシャは知らない。

 甘えるような、縋るような、聞いた俺のほうが泣きたくなるような声。


 彼女がそんな声で呼ぶ男。



「愛しているわ、ウィンストン」



 ああ、予想はしていたけれど……聞きたくなかったなあ。

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