第12話 幽霊聖女、箱庭から出た日の夢を見る

 頭が割れるような痛みと、全身から力が抜けるような気怠さにレティーシャは眉をしかめた。

 ふと、目の前の光景に違和感を抱く。


(ここは公爵邸ではなく……私の住んでいた小屋かしら?)


 何代か前のスフィア伯爵が趣味で作った山小屋。

 レティーシャが生まれ育ち、公爵邸に来る日の朝まで生活していたところ。


(でも何かしら、少し違和感が……ドモはどこかしら?)


 家付き精霊の気配をレティーシャが探っていると、タッタッタッと軽い足音が聞こえてきてレティーシャが振り返る。


(……私?)


 レティーシャの目の前には幼い頃のレティーシャ。

 見覚えのあるワンピースを着ていて、これはまだ乳母がいた頃の、五歳か六歳くらいだとレティーシャは思った。


 これは自分の記憶。

 聖女の力によるものだとレティーシャは体の力を抜く。


 独学で聖女の力を学んだレティーシャは、この力に時を戻す力があることも分かっていた。


 怪我や病気は正常だった状態に戻して治す。

 だから聖女の力は生まれつきのもの、例えば髪や目の色を変えたり、背を高くしたりすることはできない。


(ふふふ、懐かしいです)


 レティーシャの記憶の中のレティーシャは山小屋の中を駆け回り、それに飽きたのか小屋を出て庭を走り回る。


 この頃は山小屋の回りに柵があって、この柵の中でなら好きに遊んでよいと乳母に言われていた。

 幼い頃の自分が切り株のテーブルの前に座り、小枝のフォークを並べているのをレティーシャは眺めていた。

 

   パキッ


 雑木林のほうから音がして、そちらを見たレティーシャは「ヒッ」と息をのんだ。

 そこにはレティーシャによく似た子ども、幼い頃のラシャータがいた。


(これは『あの日』です)


『レティがもうひとりいる』


(そう、私はあの日もそう言いました)


 レティーシャの言葉にラシャータの顔が歪んだが、雑木林を出てくるときには可愛らしい笑みを浮かべていた。

 この先の展開を知るレティーシャはラシャータとレティーシャの間に立ったが、ラシャータは実体のないレティーシャをすり抜けてレティーシャの細い腕を小さな手で掴む。


『あそぼう』


 母が死んだあと山小屋で隠されて育ったレティーシャは、このときまで自分に異母妹がいるなんて知らなかった。

 あの日、突然現れたラシャータをレティーシャは異母妹とは思わず、レティーシャは自分と同じ年頃の子どもに「あそぼう」と言われて戸惑ったことを覚えている。


『いきましょう』


 そう言って腕を引き、柵の外に引っ張り出そうとするラシャータにレティーシャは抗う。


『おそとにでちゃダメって乳母が……』


 乳母の言いつけを守って柵から出ようとしないレティーシャにラシャータは冷たい笑みを向ける。


『乳母? あなた、お母さまは?』

『お母さまはいないわ』

『やっぱりあなたなのね』


 ラシャータの顔が愉悦に歪む。


『お母さまに会いたい?』

『会えるの?』

『ついてきて、おしえてあげる』


 「ダメ!」とレティーシャは声を上げようとしたが、音にならない。


 レティーシャの視界で、レティーシャがラシャータについていく。

 覚えている、レティーシャはあの日初めて柵の外に出た。


 ラシャータは楽しそうに前を歩く。

 振り返ることはない、レティーシャがついてくることは当然のような足取りだった。


 どこにいくの?

 あなたはだれ?


 言いつけを破ったことに不安がるレティーシャの問いにラシャータが答えることはない。


『あなたのお母さまはここにいるのよ』


 あの日、ラシャータがレティーシャを連れてきたのはスフィア伯爵家の墓地ぼち

 歴代の聖女が眠る場所。


『ここにいるの?』


 人の気配のない墓地を見まわしたレティーシャが不安で揺れる声を出す。

 そんなレティーシャに構わず、ラシャータは「どこだっけ」と周りを見て、行き先を思い出したのか「こっちよ」とレティーシャに声をかけて奥へと進んでいく。


(この中央にある大きな墓石は、初代聖女モデリーナ様のものだったのね)


 小さい自分が見ても分からなかったものが、今のレティーシャには分かる。


 モデリーナの墓を囲むように、彼女の娘たちの墓、孫娘たちの墓がある。

 

 立派な墓もあれば、粗末な墓もある。

 ここにあるのは全て聖女だった者たちの墓なのだとレティーシャは察した。


 ウィンスロープ公爵家で聖女の系譜は輝かしいものだけではないことをレティーシャは知った。


 スフィアの血に宿る聖女の力を巡る醜い争い。

 聖女を増やすために幾人も夫を与えられた聖女もいれば、幼少期に誘拐された聖女が数年後にある貴族の座敷牢で気が狂った状態で発見されたこともあった。


 歴史に残っているのは一部の聖女のみ。

 人の欲の犠牲になった聖女たちはひっそりと、名もない墓になって歴史の闇に沈められたのだ。

 


(ここにお母さまが眠っているわけなどなかった)


『お母さまがおしえてくれたわ。うちにはお母さまを殺したわるい子がいるって』

『わるい子?』

『うん。悪い子だから死んじゃったんだって」


 小さな墓石の前に立ったラシャータがレティーシャを指さす。


『これはあなたのお墓。あなたは死んでいるの、ユーレイっていうんだって。あなたのお母さまは、あなたがわるい子だからあなたを殺したんだって』

『ちがうよ!』


『死んだんだよ。ユーレイって自分で死んでいるのが分かっていないんだって、バカなのかな』

『ちがう、わたしは死んでない!』


 キャハハハハハと、ラシャータの笑い声が墓地に木霊したとき、周囲の風景がバッと変わった。

 突然のことに戸惑うレティーシャに犬の鳴き声が聞こえた。


(ウィン⁉)


 目の前には黒い大きな犬。

 反射的にレティーシャは犬に駆け寄って手を伸ばしたが、その手は犬の体に触れられず通過してしまう。


(ああ、そうか。これも私の記憶なのですね)


『お前、どこから来たのです?』


 後ろを振り返ればまたレティーシャがいた。

 でも今度は十六、七歳くらいのレティーシャ。


 レティーシャは犬に手を伸ばし、その艶やかな黒い毛を撫でる。


(あの艶やかな黒い毛、なんとなくご当主様に似ているわ)


 記憶に残っている手触り。

 硬そうに見えるけれど触れるとふわふわしている毛を思い出し、治療の間に触れたことがあるアレックスの髪の毛と比べてしまった。


『ケガをしているのかしら?』


(ケガ……つまり、これは初めて会った日のことね)


『ケガをして私のところにくるなんて頭がいいですね。さあ、ジッとしていてください』


 レティーシャはそのケガを聖女の力で治した。


 レティーシャは覚えている。

 このときのことを恩に感じたのか、この犬はレティーシャに懐き、山小屋までついてきて居座るようになった。


 この頃のレティーシャは山小屋に一人で住んでいた。

 週に一回運ばれてくる食料では物足りなくて、変化魔法を使って伯爵邸で使用人として働き厨房で余った料理や食材をもらっていた。


 犬とはいえ生きているものを傍におく余裕はなかったが、一人では寂しかったレティーシャはウィンを受け入れてしまった。


(伯爵が私を死んだことにした理由はもう分っています)


 レティーシャを死んだことにすれば、聖女の力を父ドルマンが好きに使えるから。

 本来なら聖女は国に管理され、聖女の力を使うときには例え家族でも国の許可がいる。


 強欲なドルマンはそれが赦せなかった。


 母サフィニアが死んだあと、レティーシャはサフィニアが生家であるフレマン侯爵家から連れてきた三人の侍女に育てられた。


 三人以外にもサフィニアは伯爵家に連れてきたが、ドルマンはサフィニアの死んだあと彼らをすべて公爵家に戻した。

 レティーシャが本当は生きていることを知られないために。


 それならば、三人はどうやってスフィア伯爵家に残ったのか。

 今のレティーシャには分かる、若く美しかった彼女たちは己の身をドルマンに捧げてレティーシャの傍にいてくれたのだ。


(そうまでしたのはお母様や侯爵家への忠義でしょうか、それとも別の目的があったのでしょうか)


 いまはもう確認する術がないし、レティーシャはその理由が何でもよかった。

 彼女たちがレティーシャに与えてくれたものが全て演技でも、あの時のレティーシャはそれに救われていたのだから。


 レティーシャが成長すると三人は山小屋から姿を消したが、いつからか家守りの精霊として山小屋に居座っていた『ドモ』がレティーシャの傍にいてくれた。


 ウィンを傍におくことをドモに反対されたが、自分以外の温もりを欲していたレティーシャは何の根拠もないくせに「大丈夫」と言い張り、ウィンストンと名付けて可愛がった。

 暖房のない山小屋でも、ウィンストンがいれば温かかった。


(あの子を愛していた……それならば、私はウィンを傍に置くべきではなかったのです)


 レティーシャの胸の内が後悔に染まったとき、レティーシャの足元に血だまりができた。

 反射的に退けようとレティーシャが一歩下がったが、足元に何かがあってそれ以上下がれなかった。


 何か。

 レティーシャが視線を足元に落とすと、血だまりの中でウィンストンが横たわっていた。


(そう……ウィンはあの日に死んでしまった)


 ドルマンに命じられた騎士たちに刺殺されて、最後には火をつけられて焼かれてしまった。

 ただレティーシャを絶望させ、自分の言うことを聞く人形とするためだけに。


 ウィンストンはドルマンの欲望とレティーシャの我侭の犠牲になった。


(ごめんなさい)


 触れられないと分かっていても、レティーシャはウィンストンの亡骸に手を伸ばす。

 何も感じないのに、手のひらが温かくなったような気がした。


「……ウィン」


 気のせいと分かっていてもウィンの温もりが恋しくて、レティーシャは黒い毛に手を埋める。

 レティーシャの記憶のおかげか、手に触れるのは懐かしい毛の感触。


「愛してる。ずっと愛しているわ、私のウィンストン」

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