第10話 闇が薄れる黎明 ※アレックス視点
突然上がったあの子の悲鳴に、ウィンターズ公爵邸が一気に警戒態勢に入ったのを感じる。
ウィンターズ公爵領には男女問わず猛者が多い。
うちの使用人の採用基準が一に武力、二に武力と、とにかく武力となるほどだ。
「グレイブ!」
「襲撃ではございません。何があったのか直ぐに確認いたします」
目が見えないのが悔しい。
自分であの子の無事を確認できないのがもどかしい。
「旦那様。ご令嬢はご無事ですが、気を失っていらっしゃるのでレダが部屋に運びました」
気を失っている?
「何があった?」
「それが何も。目撃した使用人によると、空を見上げたと思ったら急に悲鳴を上げて倒れたと」
「空?虫でも飛んでいたのか?」
「そうかもしれませんが、屋上にいた洗濯係から『シーツを風に飛ばされて下に落としたときに悲鳴を聞いた』と報告がありました」
「シーツが被さってきて驚いたとか?」
「驚いたであのような悲鳴をあげるでしょうか。お恥ずかしいですが、まだ手が震えております」
確かに虫が飛んでいたり、シーツが降ってきたからであげるような悲鳴ではなかった。
「とりあえず彼女の部屋に行く、案内してくれ」
「そう言うと思ってお花を用意しました」
「……準備がいいな」
「当然でございます。お菓子もいま焼いておりますので、あとでお持ちします」
ウィンターズ家の者は使用人も含めて全員感情の振れが極端だと言われる。
愛する者には周囲がドン引きするほどの執着染みた愛情を向ける。
逆に敵となった者には周囲が青褪めるほどの憎悪と怨嗟を武力込みで向ける。
一言でいうならば『粘着質』。
愛情でも敵意でも一度抱いた感情はなかなか払拭せず、大概は拗らせるのだ。
「あはは、グレイブ。どうやら俺は恋しているらしい」
「それはおめでとうござい……っ!」
グレイブの言葉を遮るように空気が大きく揺らぐ。
この感覚を俺はよく知っている。
「旦那様!」
「彼女の魔力が暴走しているな。急ぐぞ、グレイブ」
***
「生物に吸収された魔素はその体内で魔力に変換され、保持できる量を越えると自然に放出される。この放出を意識してできるのが魔法使いで、魔法使いは魔力に意志を込めることで魔力の形を変える」
「突然魔法学の講義を始めましたね」
グレイブの突っ込みは無視して、この状況について客観的に考える。
口に出すのは考えをまとめるときの俺のクセだ。
それを分かっていて突っ込むのだから、グレイブも冷静になりきれないのだろう。
「俺の場合は魔力に意志を込めると火になる。俺の魔力の属性が火だからで、属性違いの水を俺が出すことはできない。俺が魔力暴走を起こせばこの辺り一面が火の海になるだろう」
「実際に何度か火の海にしかけましたよね。あのときは焦りましたが、ご令嬢の魔力暴走は何というか、こう、複雑ですね」
グレイブの言葉に俺は内心同意する。
魔力暴走とは体内に保持していた魔力を一気の放出させることで、動揺など感情の揺らぎで起きる現象なので誰もが起こす珍しくない現象だ。
魔力を持つ子ども同士がケンカをして魔力を暴走させたり、思春期の若者が好きな人に振られて魔力を暴走させる例など腐るほどある。
魔力保持量の少ない一般人なら笑い話か黒歴史ですむが、魔法使いのように魔力保持量が多い者が魔力暴走を起こすと俺が火の海を作るように災害級の事故を起こす。
「治癒や浄化の魔法が暴走していますね」
「……複雑だな」
吹き荒れる魔力はとても多いが、その結果で起きるのは、
「ささくれが治った」
「腰が痛いのが治った」
「大好きなあの子に失恋して死にたい気がしたけどもう大丈夫だ」
あちこちで発動した聖女の魔力のおかげでいろいろなものが治っている。
その内容がな。
一般的に魔力暴走は緊急事態のはずだが、こうしてグレイグと廊下を歩いている理由はこうやって緊急性を感じないからだ。
「見たところご令嬢の部屋に近づくにつれて癒される者が増えていくようですね」
「術者に近いほうが魔力の密度が濃いから発生確率が上がるのだろう」
「なるほど。では、急ぎましょう」
急に急ぎだし、足取りを三倍速にしたグレイブに理由を問えば四十肩を治したいとのこと。
「先日生まれた孫に高い高いをしたいのです」
「六十過ぎて四十肩なら儲けものだろうに」
***
「旦那様、私はいま心から反省しております」
この部屋に入る直前に四十肩が治り、喜びの声上げていたグレイブは一転して反省を込めた声を出す。
「どちらの気持ちもわかる。ソフィア、彼女はずっと泣いているのか?」
「はい」
俺の乳母だったソフィアはよく俺の魔力暴走に巻き込まれていたため、本人は魔法使いではないが魔力に詳しい。
「暴走しても聖女の力なので危険はないと判断し、ご令嬢の手に触れましたが何の反応もありません。意識はありますが混濁しているようです」
その経験をいかした対応と報告に俺が頷くと、ソフィアは言いにくそうに付け足す。
「哀しい夢をみているようです、時折『お母様』と」
お母様、か。
耳に届く押し殺した泣き声に胸が痛む。
「二人にしてくれるないか?」
俺の言葉にソフィアは少し迷った素振りを見せたが頷き、
「ご令嬢に不埒な真似はなさいませんように」
しっかり釘を刺してから、グレイブと共に部屋を出ていった。
「きっと気づいているから彼らがここにいてもいいと思ったけれど、どうやら俺は独占欲が強いらしい」
聖女の力は出力全開。
半年間ずっと暗かった視界が仄かに明るくなり、モノの輪郭が現れ始める。
まるで夜明けが早送りで進んでいるようだ。
「君が治してくれた目で最初に見るのは、君でありたい。そして治った目を最初に君に見て欲しい……だからもう泣くな」
顔の輪郭らしきカーブに手を伸ばすと、しっとりと濡れて冷えた頬らしき肌に触れる。
「暗闇の中で聞く君の声は心地よくて、ずっと聞いていたいくらい好きだけど、君のこんな哀しそうな泣き声はイヤだな」
女の泣き声は初めてではない。
妹もいるし、自慢にならないが女を泣かせてきた過去もある。
それでも、この静かな泣き声ほど俺の胸を締め付けたものはない。
「泣くな」
ぶわっと温かい空気みたいな魔力に触れて、一気に視界が色づく。
「ああ、そうだ、この色だ」
目に飛び込んできた桃色に、その色をもつ彼女の容姿に驚かない自分に苦笑する。
確かに姿形は似ている、かもしれない。
ん?
似ているのか?
言い訳するが、愛してもいない二人目の婚約者。
一年も会っていなければ忘れても仕方がないと思う。
だから目の前の彼女は誰にも似ていない俺のたった一人と言っていいだろう?
「レティーシャ」
―――アレックス公子様、この子をお嫁さんにしてくれる?
その言葉に母が乗り気になり、あっという間に婚約が整った。
俺は六歳、相手は一歳。
遥か昔の思い出。
母たちがどこまで本気だったのか、二人とも亡くなって久しく答えは一生分からない。
でも今のこの時を喜んでいてくれると思いたい。
「レティーシャ、美しい桃色の瞳をした俺の婚約者殿」
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