第10話 幽霊聖女、レティーシャの望むこと

「旦那様、ケヴィン様が再来月こちらに来るそうです」


 グレイブの報告を聞いていたレティーシャはアレックスの家族構成を思い出す。

 アレックスには弟と妹がいて、弟のケヴィンはいま二十三歳で領主代理として領地に住んでいて、妹のオリヴィアはレティーシャと同じ二十歳でいまは婚約者の領地で領主夫人としての心得を学習中。


(ご当主様は嬉しそうだわ、ご兄弟は仲がよろしいのね)


 レティーシャはグレイブの報告が終わったところでケヴィンについて尋ねたが、「ケヴィンのこと、ねえ」とアレックスの声にはなぜか刺々しい。

 嫌々という雰囲気もあって、先ほどの嬉しそうな様子とのギャップにレティーシャは驚く。


「ケヴィンはグロッタ侯爵家の長女と婚約している」

「そうなのですね」


「ケヴィンはグロッタ侯爵家に婿入りして爵位を継ぐ。二人の間に波風は立てないで欲しい」


 なぜアレックスはレティーシャが二人の仲を邪魔すると思ったのか。

 最初は理由が分からずレティーシャは戸惑ったが、ラシャータの所業を思い出して釘を刺される理由を理解した。


 ラシャータの所業。

 スフィア伯爵邸から出たことがないレティーシャは知らなかったが、ウィンスロープ公爵家に嫁いできたあと公爵家に届くラシャータ宛ての手紙を読んで知った。


 公爵夫人宛ての礼儀正しい手紙に混じる、若い男女が一夜の恋を求めて集う仮面舞踏会の招待状に、かつてラシャータが過ごした淫らな一夜を書いた不埒な誘いの手紙。


(不特定多数の男性との関係を楽しむご令嬢など小説の中だけの存在だと思っていましたが、実際にラシャータ様はそういう方だったようです)


「適切に出迎えるために尋ねただけですわ」

「ご理解いただけて何よりだ」


 なんとなく気まずくなり、レティーシャは会話を続けにくかったので喉が渇いたのを理由に席を立った。


 厨房に向かいながら、レティーシャは今後について悩んだ。


 アレックスの体は視力を除けば順調に治ってきている。

 以前は一日に何度も瘴気を漏らしたが、今では数日に一回の頻度になったし聖女の力も少し使えば簡単に抑え込めてしまう。


(そろそろ”これから”を考えないと)


 正式に結婚しているので、このままレティーシャは公爵夫人としてウィンスロープ公爵家に残ることはできる。


 しかしこの結婚はアレックスを助けるための緊急措置。

 結婚して半年たつがアレックスとは床入りをしていないので白い結婚。


(白い結婚ならば、この結婚を無効にすることはできます)


 レティーシャは右手の人差し指をじっと見る。


 アレックスとの結婚は書面を交わすだけで終わると思ったが、国王の使者がきて急遽『血の誓い』をすることになった。

 血の誓いとは花婿と花嫁の血を神に捧げる王家の結婚の儀式だ。


(母方の祖父がフレマン侯爵家の当主だから、私の血にはフレマン侯爵家の証があるはず。ご当主様が国王の甥御だからと言われてやることになったのだけれど、証が露見したら大変なことになるのではないかしら)


 血と聖女の力、レティーシャが生きていたことの証明は簡単。

 神殿に頼めば明日にでも証明でき、聖女を隠した罪で父伯爵たちを痛い目に合わせることもできるかもしれない。


 でもそれはレティーシャの自由と引き換えだ。


 レティーシャの夢は伯爵家を出て自由になること。

 図らずも今回のことでレティーシャは伯爵邸を出ることができたが、問題はこのあとだ。


 聖女として表に立てば管理する者が父親から国に代わるだけで、道具であり続ける。


 最初は聖女として祭り上げてくれるだろう。

 しかし最終的にはレティーシャは母のように聖女を産む胎として扱われる可能性が高い。


(見ず知らずの男性と……そんなの嫌)


 ラシャータ宛ての男からの手紙に書かれたことを思い出したレティーシャはゾッとし、体を守るように両腕で抱きしめる。


(それならこのまま黙っていて……)



「奥様、どうかなさいましたか?」


 いつの間にか厨房についていて、料理長がレティーシャを見て首を傾げていた。


「風邪気味のようで、その、温かいお茶が飲みたくて」

「そんなことは侍女に言えば……風邪気味でしたら、庭から風邪に効くハーブを採ってきましょう」


「ハーブなら私が採ってきますわ」


 料理長が止めるのも聞かずにレティーシャは厨房の勝手口から裏庭に出る。

 この季節独特の乾いた風が吹いて、ケホリと喉から咳が出た。


(嘘から出た真ですね)


 厨房の勝手口から出たところには、料理長が趣味で育てているハーブの畑がある。

 レティーシャは畑の前でしゃがみ込み、ぐるぐるしている気分を落ち着けようとしていたら風がまた吹いた。


 屋上から女たちの楽し気な声が聞こえた。

 空を見上げて、レティーシャは今日は気持ちのよい洗濯日和だと思う。


 息が詰まる様な伯爵邸とは違う、明るい笑い声が絶えない公爵邸。

 ここを家にしたいと思ってしまう。


(使用人の皆さんは親切で、レダ卿といるとお友だちってこういう感じかなと思ったりもして)


 グレイブやソフィアといるとレティーシャに家族を想像させた。


(そしてご当主様は……いけません)


 夢を見るのは自由。

 でも身の丈にあった夢でないと不幸になることをレティーシャは知っている。


 レティーシャのざわつく心に反応したように、風が巻きながら吹き抜けていく。

 屋上の洗濯物が風で大きく揺れたのか、女たちの楽しそうな声がひときわ大きくなる。


「きゃっ」


 屋上は庭よりも強い風が吹いたらしい。

 女の悲鳴のような声にレティーシャが反射的に顔をあげると、青い空に広がる白い布が見えた。


「……っ」


 シーツだ。

 分かっているのにレティーシャの喉が詰まった。


 心が追いつかない。

 レティーシャの視界いっぱいに白が広がる。


 (お母様‼)


 白いドレスを着ていた母親。

 まだ幼子のレティーシャを胸に抱いて、青い空を背に尖塔から飛び降りた。


 レティーシャの知るはずのない光景なのに。


「きゃあああああああああああっ」

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