第9話 古傷を舐める

 再来月、公爵閣下の弟君であるケヴィン様がいらっしゃるそうです。


 公爵閣下には弟君と妹君がいます。


 レダ卿によると弟君のケヴィン様は二十三歳で領主代理として領地にお住まい。

 妹君のオリヴィア様は二十歳でご婚約者の領地で領主夫人としての心得を学習中とのこと。


 ご兄弟仲はよろしいようです。

 ケヴィン様がいらっしゃると聞いた公爵閣下は嬉しそうですもの。


「それでケヴィンのことか……ケヴィンねえ」


 なんだか少しトゲを感じるのですが、なぜでしょう?


「ケヴィンはグロッタ侯爵家の長女と婚約している。いま領地で領主代理をしているのも婿入りしてグロッタ侯爵家を継ぐことになっているからだ。我が婚約者殿とは義姉弟になるのだから接点をゼロにするのは難しいだろうが、円満にいっている二人の間に波風は立てないで欲しい」


 そうでした。


 伯爵邸にいたときは知りませんでしたが、こちらでお世話になるようになってしばらくするとラシャータ宛ての手紙が届くようになりました。


 ご令嬢からのお手紙はお茶会の誘い。

 そして男性からのお手紙はラシャータ様との淫らな思い出が書かれたものでした。


 不特定多数の男性との関係を楽しむご令嬢など小説の中だけの存在だと思っていましたが、実際にラシャータ様はそういう方だったようです。



「分かっておりますわ」

「ご理解いただけて何よりだ」


 さっきまで楽しく談笑していたのに、一気に冷たくなった公爵閣下の声に少し体が強張ります。


 そして気づきました。

 初めて会った頃はいつもあんな声だったのに、いつの間にか穏やかにお話するのに慣れてしまっていたようです。



「公爵閣下、スフィア伯爵から手紙か何かきませんでしたか?」


「伯爵から?何も来ていないが、グレイブ?」

「届いておりませんよ、どうかなさいましたか?」



 伯爵から何もないということは、公爵閣下とラシャータ様の白紙になっていないということ。

 つまり公爵閣下はラシャータ様のご婚約者で、公爵邸はラシャータ様の家になる場所です。



「いいえ、何でもありません」

「何でもないという割には声が」


「風邪をひいたのでしょうか、厨房に行ってお茶を頂いてきます」

「お茶なら……」


 「ここにある」という公爵閣下の言葉を聞こえなかった振りをして、部屋を出た私は厨房に向かいます。


 風邪なんて引いていません。

 聖女の力のおかげで私はいつも元気です。


 生きていくためには元気であることが大切です。


 生きていくために……私は何のために生きていくのでしょう。


 伯爵たちに言われたように公爵閣下を治しました。

 視力はまだ戻っていませんが体はほぼ健康体、火傷の痕も消えてラシャータ様が自慢なさっていたあ美しい婚約者になりました。


 これで二人はめでたし、めでたし?


 私は?



「ご令嬢、どうかなさいましたか?」


 気づけば厨房にいて、中にいた料理長が私を見て首を傾げていました。


「あの、風邪気味のようで温かいお茶が欲しくて」


「そんなことは侍女の誰かに言ってくれれば。風邪ですね、すぐに庭から風邪に効くハーブを採って……「私が行ってきます」」


 料理長が止めるのも聞かずに、厨房の勝手口から裏庭に出ます。

 この季節独特の乾いた風が吹いて、ケホリと喉から咳が出ました。


 嘘から出た実ですね。



 公爵邸の裏庭は料理長の趣味で植えられたハーブ類が多く見ていて楽しいです。


 少しだけささくれた気分を落ち着けようと空を見たら風がまた吹きました。


 屋上から女性たちの楽し気な声がします。

 今日は気持ちのよい洗濯日和ですからね。


 息が詰まる様な伯爵邸とは違う、明るい笑い声が絶えない公爵邸。

 ここを家にできるラシャータ様を羨ましいと思ってしまった。


 使用人の皆さんは親切です。

 レダ卿といるとお友だちってこういう感じかなと思ったりします。


 グレイブ様やソフィア様といると家族ってこんな感じかなと思ってしまったりします。

 公爵閣下といると……



 夢を見るのは自由です。

 でも身の丈にあった夢でないと不幸になってしまいます。


 ざわつく心が起こしたのか、風が巻きながら吹き抜けていきます。


 洗濯物にも風は戯れたのでしょう。

 屋上の楽しそうな声が一際大きくなって、


「きゃっ」


 屋上は庭よりも強い風が吹いたのでしょう。

 悲鳴のような声に反射的に顔をあげると、青い空に広がる白い布。


「……っ」


 あればシーツだと分かっている。

 分かっているのに喉が詰まる。


 心が追いつかない。


 いっぱいに広がった白がどんどん近づいてくる。


 お母様!!



 白いドレスを着て、赤子を抱いて、青い空を背に尖塔から飛び降りた。


 私の知るはずのない光景。

 だって私はあの、母の細い腕が抱いている赤子だった。


 私はこうして死んだ。



「きゃあああああああああああっ」

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