第5話 護衛騎士レダ、王命で嫁いできた聖女について

 武家の名門であるウィンターズ騎士団に入団できたことはレダの家族にとって驚きであり、この上もない誉れだった。


 「女が騎士なんて」と入団試験を受けることを反対していた父はどこにいったのかと呆れる気持ちもあったが、それでも街のみんなに囲まれて鼻を高くして赤ら顔で陽気に酒を飲む父親にレダは笑みがこぼれた。


 ウィンターズ騎士団の団長は当主のアレックス。

 敵味方問わず「紅蓮の騎士悪魔」と畏怖する最強の騎士であることは知っていたが、入団して弟妹を大事にする優しい面があることを知った。


 神が盛大に贔屓した絶世のイケメンだが、レダは彼の恋人になりたいと思ったことなどない。

 アレックスは強風が吹き荒ぶ高値の絶壁に咲いている花、分不相応に手を伸ばしたら死しかない。


 そもそもアレックスはスフィア伯爵家の令嬢と十年以上婚約をしている。

 

 初代聖女モデリーナの末裔である聖女ラシャータ。

 英雄と聖女なんてありふれた三文歌劇のような組み合わせだが、定番といえば定番なのかもしれないとレダは思っていた。


(ド定番なら聖女も定番通りであって欲しかった)


 聖女のイメージといえば「心優しい」「慈悲深い」ついでに「美人」といったところだが、ラシャータに当てはまるのは「美人」のみで中身は凶暴で悪辣だった。


 アレックスはラシャータを蛇蝎のごとく嫌い、王家主催の夜会の日にわざわざ野営訓練を実施してラシャータの婚約者として振舞うことを避けた。

 大っぴらに避けられてもラシャータは全くめげず、ストーカーと化してアレックスに付きまとった。


 ストーカーはストーカーでも、物陰からジッと見つめているくらいなら良かった(それはそれで怖いが)。

 ラシャータは「お話ししましょう」「お茶しましょう」といってアレックスにくっついて回り、そのたびにアレックスは多忙を理由に部下にラシャータを押しつけて逃げる。


 初めてレダがラシャータを押しつけられたとき、アレックスが見習いを帯同させているのは業務が滞らせずにラシャータを押しつけるための見習いだと悟った。

 

(あのときはスフィア家の騎士が迎えにくるまで煽てたり宥めたり、馬車を見送ったときには悟りを開いていた気がする)


 アレックスがラシャータを無碍に扱うのには理由がある。

 ラシャータから婚約破棄をしてもらうためだ。


 アレックスは公爵家当主。

 ラシャータは伯爵家令嬢。


 普通なら公爵家当主が伯爵家ごときに気を使う必要はないのだが、ラシャータの生家であるスフィア伯爵家は特別な家だった。


 この国には建国した当時から聖女がいて、聖女は神の代理人として医者や薬師が治せない病気やケガを治すことができると言われている。


 この聖女がスフィア伯爵家の証を持つものからしか生まれないのだ。


 証とは初代国王が古代魔法で建国の功臣である十の貴族家に授けたもの。

 古代魔法はとうに廃れてしまったため原理など一切分からないが、一人の貴族が血に宿せる証は二つまで、父親から一つそして母親からもう一つを受け継ぐ。


 両親のどちらかが証を持たない貴族や平民の場合は一つだけ。

 また証が保持できるのは三代までとか、爵位を継いだ者が神殿で献身の誓いを立てると次代に必ずその証を継がせることができるとか、証の継承には初代国王が書き記した様々な条件がある。


 スフィア伯爵家の証は初代伯爵だった聖女モデリーナに与えられたが、その証は他の証に比べると引き継がれにくく、いまスフィア伯爵家の証を持つのは当主のドルマンとその娘の聖女ラシャータのみ。


 昔は聖女もたくさんいて、聖女によって命を救われた者は聖女を崇め奉った。

 聖女が減ると平民は聖女の力にあやかれなくなったため平民の間で聖女信仰が薄れたが、一方で貴族たちには選民意識もあって聖女信仰が根深く残っている。


 特に聖女がたった一人になった今、新たな聖女を誕生させることができるドルマンとラシャータに権力が集まり、貴族議会は国王派と聖女派に割れ、国王でさえ彼らの意向を無視することが難しくなっている。


 その貴重な聖女が夫にとアレックスを望んだ。

 先代国王はその願いを受け入れ、アレックスの両親である先代公爵夫妻にアレックスにラシャータとの婚約を命じた(王命発令なので公文書に記録が残っている)。


 しかしアレックスも負けてはおらず、理由をつけてラシャータとの結婚を先延ばしにし続けた。

 ラシャータが女主人となるのを防ぐべくウィンスロープは一致団結して結婚先延ばし作戦を決行、最近の理由である「公爵家の猟犬が死んだので喪に服す(死因は老衰)」を聞いたときレダはもうネタ切れなのだと思っていた。


 そうまでして頑張ってきたのに、王命が出てアレックスとラシャータの結婚が命じられた。

 王命をもってきた王の使者はその理由は教えてくれなかったが、噂によればラシャータが「妻にしてくれなきゃ聖女の力は使わない」と言ったからだという。


 その身勝手な理由に多くの者が怒りで血圧を急上昇させたが(ご老人たちは倒れた)、生きながら体を腐らせ虫の息のアレックスを救えるのは聖女の力だけだと泣く泣くラシャータの嫁入りを受け入れた。


 そうなっては聖女派の反対も見込めず、聖女ラシャータの輿入れが決まってしまった。



 ***



「レダ卿」


 名前を呼ばれたレダはハッと我に返った。


「……奥様」


 銀色の髪に琥珀色の瞳。

 アレックスの妻、レダが守るラシャータ・スフィア・フォン・ウィンスロープ公爵夫人。


「難しい顔をしてどうしましたか? お茶が冷めてしまいますよ」

「そうでしたね」


 夫人は聖女の力を使いながらアレックスを献身的に看病しているが、床入りをしていないのでアレックスの身を清めるのは侍従たちの仕事。

 その時間になると顔を少し赤らめて部屋を出た夫人と庭で一緒に休憩するのが最近のレダの日課。


 レダがカップを持ってひと口飲むと満足そうにほほ笑む穏やかな目の前の女性はあの苛烈なラシャータと似ても似つかない。


初めて・・・会ったとき、なぜ気づかなかったのか)


 聖女を迎えに行く任務はくじ引きで決められ、花丸付きの外れくじエスコート担当を引いたのがレダだった。

 憂鬱でろくに眠ることもできず寝不足でスフィア伯爵邸に行き、いつもと違って正門ではなく裏の勝手口に迎えに行けと言われたことにイライラしていた。


 先輩騎士たちは気を使って何度も励ましの声をかけてくれたが、木戸が小さな音を立てて開いた瞬間に蜘蛛の子を散らすように後ろに逃げていったことをレダは今もまだ忘れていない。

 いつか機会があったら彼らに仕返しをすることをレダは誓っている。


―――よろしくお願いします。


 朝日の中で微笑む女性に悪女の欠片もなかった。

 諸事情でレダも馬車に乗ることになったが、淡々とアレックスの容態を確認し心配するその優しさに感動さえした。


 心優しく女神のように美しい女性。

 小説に出てくる聖女そのもののような女性。


 あの日からずっと、公爵家について結婚の手続きをして公爵夫人になってもこの女性は変わらない。

 優しく献身的で、穏やかで、甘い菓子を食べるとふわっと嬉しそうに微笑む。


「食べるのが私なんかで申し訳なくって、ご当主様にも早く召し上がっていただきたいわ」


–– 甘いお菓子なんて太るから食べないわ!


 かつてレダはラシャータにそう言われたことがある。

 

(奥様、あなたはもしかして……)

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