第4話 幽霊聖女、新婚生活は試行錯誤の連続

 鳥の鳴く声に誘われて読んでいた本からレティーシャが顔をあげると窓の外に鳥がいた。


 見たことはあるけれど名前は知らない鳥。

 くるっとした目と目があうと、鳥は首が右と左に小さく動かして飛び立った。


 飛び立つ鳥を見送ると、レティーシャは視界の端で揺れた赤い何かに気づく。

 公爵邸の庭を管理している庭師だろうか。


(人に見られずに作業してこそ一人前なのかしら)


 いつも慌てて物陰に隠れてしまうことにレティーシャは首を傾げ、目立ちたくないなら赤い作業着は止めたほうがいいと思った。


(きれいな庭です)


 窓から見える庭で咲き誇っている花は管理が行き届き、枯れたり萎れたりしている花はない。

 庭師たちが寝たきりのアレックスの回復を願って世話をしていると感じられる庭だった。


(それなのに……見ているのが偽物の妻レティーシャで申し訳ないわ)


「ごめんなさい」

「何の、謝罪だ?」


 掠れた声にレティーシャは窓からベッドに横たわる人物に目を移す。


「少しは驚け」

「どうしてです?」


 この部屋にいるのは五人。

 騎士団長と二人の使用人は滅多に口を開かないため、声をかけてきたのはアレックスだとレティーシャには直ぐ分かる。


「お前はいつも騒がしいだろう」


 アレックスの言う『お前』はラシャータのことであり、その言葉を紡ぐ音を聞けばアレックスがラシャータを嫌っていたことがよく分かる。


(嫌いな女が妻になってさぞかし不本意なのでしょうね)


 しかし夫婦になったのは事実なので(寝たきりのアレックスに了承をとらぬまま婚姻の手続きをした)、下手な慰めをしようとせずレティーシャは黙っていた。


「傷口の確認をいたします」

「ああ」


 アレックスの同意を得られると、使用人たちがアレックスの体の向きを変える。

 あちこちにガーゼがあてられて半年も寝たきりだったのに、アレックスの騎士らしい立派な体躯をレティーシャが動かすのは難しい。


(これだけ筋肉があれば薪割りも直ぐに終わってしまいそうね)


 そんなことを思いながら黒く染まったガーゼに手をかけた瞬間、アレックスがうめく。


「あ……う、あっ……ぐうぅ」


 ガーゼからゆらっと魔力が立ち上ると、それに合わせるようにアレックスの体がびくびく震えてうめき声が漏れる。

 レティーシャは力づくでアレックスの口をこじ開けて、奥歯がかみ砕けるのを防ぐためにタオルを挟み込むと駆け寄ってきた騎士団長にタオルの両端を握ってもらう。


 耐えがたい痛みなのだろう。

 脂汗に濡れたアレックスの首が反りかえり、全身が硬直すると胸元に貼っていた大きなガーゼがどんどん黒く染まっていく。


 アレックスの火属性の魔力と魔物の瘴気が混じる。

 寝室に血が燃える腐臭が漂い始め、タオルを持つ騎士団長の青くなった顔を背けて吐き気を堪える。


(魔物に対して耐性がある方なのでこの状況にも堪えてくださっていますが……)


「あなたたち、外に出ていなさい」


 レティーシャは耐えきれずえずき始めた使用人たちに指示を出す。


「忠誠心の問題ではありません、人には向き不向きがあります。適材適所です。代わりに新しいガーゼとお湯の準備を、あとシーツなど替えることになるので準備をお願いします」


 使用人二人は顔を見合わせ、ぺこりと頭を下げると去っていきました。

 扉が閉まるのを確認して騎士団長に向き直れば笑っているのに気づいた。


「随分とお優しくなられましたね」

「何でも一人でやる必要はないとレダ卿がアドバイスしてくださったのです」


 一人きりで小屋で生活していた弊害でレティーシャの対人スキルは底辺だった。

 誰かに頼る、頼むということができず全てを一人でやろうとし、手が足りずに焦るたびにレダに「頼ってください」とレティーシャは怒られた。


「レダはあなた様を叱ってしまったと落ち込んでいましたよ」

「叱ってくださって嬉しかったのです。レダ卿の仰るように体を二つ、手を六本にすることはできませんもの」


 アレックスの治療を始めて一カ月とちょっと。

 レティーシャは自分一人できないときは周囲に声をかけ、それと同時に周囲を気にかけて無理そうならば相手のプライドを傷つけないよう声をかけられるようになった。


「さあ、団長様。閣下の体をしっかり押さえてください」

「手が六本欲しいですな」


 レティーシャはベッドに上り、呻きながら体をよじるアレックスを跨いでその屈強な体を挟む。

 そして血肉が腐って黒く染まるガーゼを慎重にはがす。


「瘴気がまだこんなに」


 レティーシャの手にまとわりつく黒い瘴気に騎士団長が眉を顰める。


(まるで魔物の怨念のよう……「呪われた」というのも分かるわ)


 触れたところから侵食しようとしてくる瘴気にレティーシャも眉を潜めたが、治療を始めた頃に比べれば噴き出てくる瘴気の量は減っているが、瘴気の完全排除には至っていない。


(魔力が流れない、つっかえる、異物……魔物の瘴気、瘴気の増幅、培養……培養!)


 大量の魔物を屠るために魔法を使い続けたアレックス。

 魔法使いは体内に取り込んだ魔素を魔力に変えて放出する。


 アレックスのように強大な魔法を使える者は息を吸うように周囲の魔素を吸収する。

 大量の魔物の死骸に囲まれながら魔法を使い続けたアレックスは、死んだ魔物から出る瘴気で汚染された魔素も吸収してしまったというのがレティーシャの仮説だった。


「ご当主様の体内にある大量の魔素で瘴気が培養されてしまっているのかもしれません。浄化の魔法を強めてみます」


 レティーシャはラシャータのように教師をつけてもらえず、「学べ」と言って父伯爵から渡された魔法の教本や歴代の聖女の手記を読んで独学で学んだ。


 だからラシャータとは力の使い方が違う可能性は高い。

 だから今の方法が正しいかどうかは分からないが、分からないなら仮定してやってみるしかない。


「しっかり押さえていてください」

 

 浄化魔法の量を増やすとアレックスの体が暴れ出す。

 レティーシャは振り落とされないようにアレックスの体を挟む脚に力を入れる。


「浄化魔法でなぜ痛みが……」

「体には異物を排除する機能があります。魔物の瘴気も聖女の力も同じ排除すべき異物と判断されるのでしょう」


 浄化して瘴気を祓うと同時に、瘴気によって爛れた肉を細胞から再生させる。

 アレックスの体力はぎりぎりの状態、炎症部分から発熱すれば体力が余計に奪われてしまう。


「落ち着いてきましたな」


 アレックスの体の震えが小さくなり、レティーシャは自分がアレックスの体の上に座り込んでいたことに気づく。


「はい……」


 呻き声しか出ていなかったアレックスの唇から寝息が漏れる。

 眠ってしまったらしい。


「何か気になることが?」

「すごい腹筋だな、と」


 自分が乗っているのに眠れるアレックスにレティーシャは感心してしまった。


「……鍛えていますから」


 反応に困った騎士団長はレティーシャから視線を逸らすと、窓を大きく開けた。


「今日は風がありませんな」

「風魔法で部屋の中の空気を追い出してしまいましょう」


 レティーシャは風魔法を使って部屋の中の空気を追い出しながら、汚れたガーゼやシーツに浄化魔法をかける。


(血はとれませんが、臭いがなければ洗濯も楽になるでしょう)

 

 ベルを鳴らして部屋を出ていた使用人たちを呼び戻す。

 戻ってきた使用人たちと一緒にアレックスの寝衣やベッドを整えて治療は一時休止となる。


「お飲み物をお持ちします。紅茶でよろしいですか?」

「はい、お願いします」


 レティーシャはアレックスの眠るベッドの脇にあるイスに座る。

 そしてアレックスの寝息を聞きながら、サイドテーブルの上に置いたままだった本に手を伸ばして読書を再開した。


 これがレティーシャの新婚生活だった。

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