第9話 夜十二時の邂逅


 夕食を終えて、僕たちは寝るまで自由な時間を過ごしていた。

 リビングで欠伸をしていたサトを部屋に寝かせ、僕はソファでスマホのメモを見返していく。



「そういえば最初のループのとき、どうして僕はキョウに連絡を取っていたんだろう?」


 自分が刺されて死にそうになっていたとしたら、普通は真っ先に警察や救急車を呼ぶはずだ。僕がキョウを呼ばなければ、彼女が犯人として疑われることも無かったのに。

 まったく、余計なことをして。自分で自分を責めたくなる。



「もしかして、犯人はキョウに関係がある人物なのかな?」


 僕と違って、キョウは交友関係が広い。そうなると特定の人物を絞るというのは難しいだろう。ここはやはり、どうにかしてキョウを僕から引き離す必要がありそうだ。


「仕方ない、本当はこの手だけは使いたくなかったんだけど。キョウのお父さんに協力をお願いしてみようか」


 キョウをコントロールできる人物。それは彼女のお父さんであるつよしさんしかいない。


 でもそんな強引な方法を使えばきっと、僕はキョウに嫌われてしまうだろう。

 ……それでも僕は、彼女を守らなければ。



「おっと、もうこんな時間か……そろそろ僕も寝よう」


 気付けば時計の針がゼロを指すところだった。僕は欠伸を噛み殺しながら、借りている部屋へと戻る。

 廊下に出たところで、洗面所に誰かがいることに気が付いた。背格好と髪型から察するに、あれは――。


「……キョウ? こんな真っ暗なところで何をしているんだ?」


 僕が声を掛けるも、彼女は振り返らない。それどころかブツブツと鏡に向かって熱心に何かを呟いていた。


 心配になって背後に立つと、鏡の中で無表情になっているキョウと目が合った。


「ん、何?」

「……いや、何でもない」


 なに、はこっちのセリフだと喉から言葉が出かけて、そのまま引っ込めた。


 いつものキョウじゃない。

 得体のしれない恐怖心が僕を襲った。


 何も見なかったことにしよう。

 部屋に戻ろうとすると、キョウが突然僕の腕を掴んできた。



「ねぇ、私の話を聞いてくれる?」


 有無を言わさない口調。

 目は虚ろで、どこを見ているのか分からない。


「……どうしたんだよ」

「ふふっ、ケイは優しいね」


 僕が心配そうな表情をすると、キョウは嬉しそうに笑って僕の腕に抱き着いてきた。甘えてくるような仕草なのに、今日の彼女はどこかおかしい。



「ほら、こっちを見て」


 言われるままに視線を向けると、そこには見慣れない彼女の顔があった。


「こうしてね。この時間に毎日、独りで反省会をしているの」

「……反省会?」

「そう、私が私であるための反省会。この時間だけは必ず続けているの」


 僕の質問に答えるキョウ。

 その表情はうっとりとしていて、まるで夢を見ているかのようだった。


「明るく、誰からも好かれるように。お父さんに愛してもらえるように。お母さんに捨てられないように……」

「キョウ……」


 言葉の一つ一つに、深い想いが込められているのが分かった。

 彼女をこうさせてしまった原因のひとつは、この僕だ。

 心の奥にしまい込んでいた罪悪感が押し寄せてくる。


 僕は無意識のうちに手を伸ばし、彼女の頭を撫でていた。

 すると彼女は甘えるように目を細め、猫のように気持ちよさそうにしていた。まるで飼い主に撫でられている子猫のように。



「ケイくんは私を見捨てないよね? ……ううん。できるわけがない。だってそんなことをしたら、ケイくんが大っ嫌いなあの人と同じになっちゃうもん」


 キョウは僕の手を抱きしめながら、楽しそうに笑う。


「ケイくんのお父さんが日南家からお母さんを奪ったんだ。娘である私を放ったらかしにして、新しい女の子なんて産んじゃってさ」


 僕の父さんは母さんを事故で亡くしてから、精神科医の仕事に没頭して家庭を顧みなくなった。


 そこで出会ったのが、キョウの母さんだった。キョウのお母さんは元々精神的に不安定で、父さんの患者として通院していた。

 医者と患者として何度か会っているうちに、互いに惹かれ合ったんだと思う。離婚したキョウのお母さんと僕の父さんは再婚し、サトが産まれた。


 だからキョウは母親に捨てられたと思っている。最初にサトに対して嫌悪感を持っていたのも、そのせいだ。


「パパもパパだよ。私を見るたびにお母さんと重ねてさ。私はお母さんとは違うのに、娘のことなんて全然見てくれない……」

「それは違う、キョウ。お父さんはキミのことを愛しているよ」


 僕は思わず反論する。

 キョウは僕の言葉など聞こえていないかのように、鏡に向かって語り続けた。



「ねぇ、ケイくんは私を捨てないよね? ずっと側にいてくれるよね? 私にはもう、他に……」


 ツゥ、と一筋の涙がキョウの頬を伝うのが鏡越しに見えた。

 不安げな顔で鏡像の僕を見つめるキョウ。偽りの姿でしか本音を話せない僕らはとても不器用だ。

 僕は彼女の背後から抱き寄せると、ゆっくりと頷く。


「当たり前だよ」


 すると彼女は安心したように微笑んでくれた。

 でもそれはほんの一瞬で、すぐに冷たい顔に戻ってしまう。そして再び鏡に向かって語り始めた。


「でもケイくんはまだ、私に本当のことを言っていないよね? あの殺されるって話……本当は夢なんかじゃないんでしょ?」


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