第8話 つかの間の休息

 

 ベルナール先生の家に住み始めてから数日が経過した。

 その間は何事もなく、キョウとサトの仲も予想に反して良好だった。まるで姉妹のようにふるまう二人を僕と先生が眺めるという、至って平和な日々を過ごしていた――のだが……。


 夕食のハンバーグプレートを食べ終え、リビングでくつろいでいる時だった。



「そういえばヒビキちゃんって、学校でのイメージと違って、意外と面倒見がいいよね」

「え? そうかなぁ?」


 ソファに座ってスマホを弄っていたキョウが、突然そんな話題を振ってきた。


 先生は床でテレビを眺めながら首を傾げる。先生の膝の上にいたサトがつられて同じ仕草をすると、他の三人がクスクスと笑う。最初のいざこざはどこへ行ったのか、今ではまるで本当の家族みたいだ。


「うん、なんていうか――すっごくお母さんっぽい!」

「それは褒めてるうちに入るのかしら……?」


 たしかにキョウの言う通り、先生って年齢不相応に包容力があるけど……それはたぶん本人には言わないでおこう。絶対に怒るし。


 そんなことを考えていると、キョウがニヤリと怪しげな笑みを浮かべた。


「それにヒビキちゃん、男とか嫌ってそうだったし。ケイくんを家に上げるって聞いた時も、ビックリしちゃった」

「あー、その件は一応、言い訳させてもらうと……」


 先生はこちらに視線をチラリと向けると、少し照れくさそうに語り始めた。


「実は、アタシがフランスにいた時に初めて恋をした人に似ているんだよね」

「えぇ~っ!? ケイくんが先生の初恋の人に!?」

「ぶふっ!?」

「ちょっと水島君、何よその反応は!?」


 まさか自分の話題が出てくるとは思わなかったので、僕は思わず噴き出してしまった。


 先生は真っ赤な顔で抗議してきたけど、他の二人は何故か興味深そうにこちらを見ている。



「その人ってどんな人だったの?」


 キョウが興味津々に尋ねてきたので、僕も先生の話に聞き耳を立てた。


「うーん、そうね……簡単に言えば男前だったわ」


 彼女は遠い目をしながら語り始める。

 ……あれ? なんでだろう、自分のことじゃないのになんだか恥ずかしい。


「アタシがまだサトちゃんぐらいだった頃の話よ。その人はまだ大学生で、フランスに卒業旅行にきていたの」


 先生は当時を懐かしむように、目を閉じて語り始めた。



「その人は日本で医者になる勉強をしているって言っていてね。アタシも馬鹿だからすっごくカッコよく見えちゃって。それから――」


 その人に会うために日本語を必死で勉強して、国籍まで変えてしまったそうである。


 本当は彼と同じ医者になりたかったけれど無理だったので違う先生を目指したのだとか。苦労話を楽しそうに話す先生はまるで恋する乙女のようだった。



「えっ、じゃあその人とは会えたの?」


 他人の恋愛話で興奮していたキョウが、目を爛々と輝かせて続きを急かした。


「ううん、結局その人が今どこで何をしているのかは分からなかったの。だけどその人との思い出がアタシにとって一番大切で――……って、ごめんなさいね! ちょっと喋りすぎちゃった」


 先生はハッと我に返ると、顔を真っ赤にして謝罪してきた。そんな姿が可笑しくて僕たちはまた笑った。

 そんな和やかな雰囲気の中で僕はふと思い立つ。


「(でもどうしてその人が僕と似ているんだろう?)」


 だけど僕には確かめようもない話で、すぐに気にならなくなっていた。



「まぁケイくんは地味だけど素材は良いし、顔もそれなりに整ってるし。ちょっとツンケンしているところが玉に瑕だけど、その人にも負けていないんじゃない?」

「おい、余計なお世話だよ」


 僕はキョウに向かって文句を言ったが、先生は嬉しそうにニコニコと笑っていた。


「……ふふっ、そうよね! 水島君だって顔は悪くないわね」


 色っぽい流し目で僕をチラリと見る。先生まで僕をからかって楽しんでいるようだった。僕が呆れていると、サトが膝の上でぴょんと跳ねた。


「ヒビキお姉さんもお兄ちゃんのこと好き!?」

「えぇ、もちろん!」

「やったぁ!」

「ちょ、ちょっと!? だめ! ケイは私のものなんだから!」


 嬉しそうに喜ぶサトを、キョウが必死に止める。


「水島君、どっちを選ぶの?」

「当然、私に決まってるよね!?」

「えぇ……そんなの決められないよ」


 二人は食い入るように僕を見つめて答えを待っている。

 そんな僕たちのやり取りを、サトは無邪気に笑いながら見守っていた。


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