第5話 美人教師のお家

 

「うぅ、どうしてこんなことに……」


 喫茶店のやり取りで、ベルナール先生の家にお泊りする流れになったのが約一時間前。

 僕は今、初めて訪れたマンションのリビングで挙動不審になっていた。


 一人暮らしにしては大きな薄型テレビに、お洒落なガラス製のローテーブル。壁際の本棚には、難しい小説や洋書が綺麗にあいうえお順に並べてあった。


 やっぱり先生は真面目だなぁ。どこを見渡しても整理整頓されていて、ゴミひとつない。漫画やジュースの容器が転がっている僕の部屋とは大違いだ。



「今座っている二人掛けのソファー、ここにあのベルナール先生が座っているんだよな……」


 なんだか人のスペースを自分が汚してしまっている気がして、余計に落ち着かなくなってきた。


 ちなみにその先生はというと、僕が使う部屋の掃除に行っている。

 暑かったでしょと出してくれた麦茶を飲みながら、緊張で乾いた喉を潤すことにした。


「知らないお家にお泊りって、サト初めて! なんだかワクワクするね、お兄ちゃん!」

「そ、そうだね。僕も初めてだから、ちょっと緊張するよ」

「ねぇねぇ、アニメ見ていい!? 鬼の出るやつ!」

「うん、家主さんが好きに見ていいってさ」

「やったぁー!」


 僕の隣で無邪気にはしゃぐのは、妹のサトだ。

 ぷにっとした頬っぺたを「にへへ~」と緩ませながら、テレビをつけ始めた。


 そんな彼女に癒されながら、僕はホッと安堵する。

 こういう時にサトが居てくれてよかった、と心から思う。


 恋愛感情は一切ないとはいっても、さすがに女性と二人きりでの一週間はキツすぎるもんね。


「(そもそも、置いてくるって選択肢は最初からなかったけど)」


 この子はまだ小学生だし、父さんが不在の家に置いてくるわけにもいかない。

 先生が快く了解してくれて助かった。



 だけど僕が一番心配しているのが、あの嫉妬深い友人のことだ。

 僕が先生の家にお世話になると聞いて、烈火のごとく怒ったキョウがこのまま大人しくしているわけがない。


 喫茶店からの帰り際、先生に詰め寄って何かを話していたけれど……まさかアイツまで泊まるとか言い出さないよな?


 キョウのお父さんはとても厳しい人だから、男の僕がいる家にお泊りなんて絶対に許さないと思うけど……なんだか不安だ。



「水島君! 掃除機を掛け終わったから、二人の荷物を運んでくれる?」

「あ、はい!」


 そんなことをぼんやりと考えていたら、廊下の方から声を掛けられた。

 僕は慌てて立ち上がり、先生の指示に従うことにした。


「お兄ちゃん、サトも運ぶっ!」

「大丈夫、重たいから僕がやっておくよ」


 なにせ一週間分の荷物だ。

 ソファーの横には大小の荷物がデデンと並べてある。


「(家に置いてあったキャリーケースを勝手に持ってきちゃったけど……父さんは帰ってこないだろうし。きっと大丈夫だよね)」


 ちなみにサトが使っているのは、母さんが生前に使っていた茶色い革張りの旅行鞄だ。アニメの兄妹の人形を付けたそのかばんを背負い、ルンルン気分で家を出た。

 結局は道半ばでサトは音を上げたし、僕が彼女をおんぶすることになっちゃったけど。まるであのアニメの再現みたいだったなぁ。



「あら? 宅配便の予定なんてあったかしら」


 荷物を運び終わると同時に、部屋に来客を告げるチャイムが鳴り響いた。

 先生は手を止めてキッチンへと向かうと、モニターのスイッチを入れて応答した。


「はい、鐘鳴ですが」

「……どうも、ヒビキちゃん。いや、ベルナール先生……って、あの。開けてもらえないかな~、なんて」


 モニターの画面は見えていないけれど、その声だけで誰なのかを察してしまった。

 僕と先生は互いに顔を見合わせ、しばし無言の間が流れる。



「どうしよう、水島君。日南さんが来てるんだけど」


 ああやっぱり!

 本当にアイツは面倒なことばっかりする奴だな~。


「お兄ちゃん、おともだちが来たの?」

「え? あー、まぁそうかな? いちおう」


 視線を落とした先ではサトが僕の足にしがみ付いていた。ぱっちりした二重瞼でこちらを見上げる様がとても愛らしい。誰かさんと違って純粋に僕を慕ってくれているこの感じ……尊い。


 しかしどうしよう、キョウはサトに苦手意識を持っている……というかたぶん、嫌いだ。

 だから本音を言うと、あまり二人を会わせたくない。

 とはいえこのまま扉の向こうに放置しておくと、もっと厄介なことになるだろうし――。



「せんせー? このまま開けてくれないと私、大声であることないこと叫んじゃいますよー?」

「えっ、ちょっと日南さん!? やめてってば!」


 彼女は基本的に嘘をつかない。

 この発言は真実と見ていいだろう。


 あーもう、仕方ないな。

 これ以上、先生に迷惑を掛けたくないっていうのに……。


「すみません先生、アイツは本当にやると思うんで……どうか開けてやってくれませんか?」

「――水島君、いいの?」

「まぁ、こうなる予感は何となくしていたので……」


 一応、僕は玄関で先生と一緒に出迎えることにした。

 玄関の扉がゆっくりと開くと、そこには憎たらしいほど満面の笑みを浮かべたキョウが立っていた。


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