魔導具師ダリヤはうつむかない ~今日から自由な職人ライフ~/甘岸久弥

【十年先の赤ワイン】


「今年のワインを予約なさいませんか? 何年か先の記念日に飲むのもお勧めです」

 酒の販売店、びっしり並ぶワインを背に、店員が宣伝を始めた。

 明るいその声に、周囲の客が集まっていく。

 ヴォルフと共に来ていたダリヤも、興味深く目を向けた。

「今年はブドウが豊作で当たり年です。十年も寝かせれば、素晴らしくおいしいワインになりますよ」

 ワイン瓶からグラスにそそぎ入れると、窓からの陽光に少しだけ揺らす。きらめくグラスの中、明るく鮮やかな赤が美しく見えた。

 記念日は思いつかないが、次のヴォルフの誕生日を祝うのにいいかもしれない――ダリヤがそう思ったとき、客の一人が手を上げた。

「一本頼む。今年、子供が生まれたんでね。成人したら一緒に飲もうと思う」

「ありがとうございます。きっと素晴らしい日になると思います。ところで、奥様はワインを好まれますか?」

「二本にしてくれ、念のため」

 そのやりとりに、周囲の者達が笑う。

「私も一本お願いしようかしら。今年、結婚した記念に」

「ありがとうございます。毎年、より甘くなるようにお祈り申し上げます」

 店員の言葉に、女性が笑顔でワインの注文書を受け取った。


「今年の……」

 記念という言葉で思いついたのは、ヴォルフとのこと。

 彼と自分は今年出会ったので、記念と言えば記念の年だ。

 『友情開始記念』なるものがあると聞いたことはないが、来年も再来年も乾杯できるように祈りたい。そのために購入しようか――

 しかし、女性が結婚の記念と言った後で購入の声をあげるのは、ちょっとばかりハードルが高い。

 迷っていると、隣のヴォルフが口を開いた。

「俺も頼もうかな」

「ヴォルフも、何かの記念ですか?」

「――その、屋敷のワインセラーに十年くらい寝かせておこうかと。当たり年なら、よりおいしくなるかと思って」

 ヴォルフは純粋にワインを楽しむためらしい。

 ダリヤは平静を装いながらうなずく。

「そうですね。いい味になるんじゃないでしょうか」

「じゃあ、寝かせておくから、十年後に乾杯しよう、ダリヤ」

 思わぬ言葉にちょっとだけ驚いたが、うれしい提案だった。

 十年後、皆で乾杯するとき、自分だけが覚えていればいいのだ。これがヴォルフと出会った年のワインだと。

「はい、楽しみにしていますね」


 ・・・・・・・ 


「ヴォルフレード様宛のワインが届いております」

 ダリヤと出かけてから数日後、スカルファロット家別邸にケース買いした赤ワインが届いた。

 店で見たときと同じ鮮やかな赤に、ヴォルフは口元をほころばせた。

 購入したあの日、『今年はダリヤと出会えた記念の年だから』、そう言おうとして言えなかった。

 彼女に誤解されたくはない。負担にもなりたくはない。

 だから、十年先のその日に、ちょうど会って十年目だと祝えれば――そんなふうに考えたのだ。


 地下のワインセラーに自ら運ぶと、木のケースの横、十年先の数字をナイフで削り込む。

 自分の十年前を振り返れば、ずいぶんと昔のことのようだ。

 けれど、ダリヤと出会ってからの日々は、いろんなことが盛りだくさんなのに、季節が飛ぶように早く感じる。

「彼女と一緒なら、十年もあっという間かもしれないな……」

 棚にケースを納め、刻んだ数字をもう一度確かめる。そして、そっと手を離した。

「十年先も、ダリヤと乾杯できますように――」

 つぶやかれた祈りは、眠る赤ワインだけが聞いていた。

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