異世界薬局/高山理図
【お薬手帳をはじめました】
「ロッテにお願いしたい仕事があるんだけど。売れっ子だからスケジュールがいっぱいかな?」
薬局の三階の休憩室でファルマ、エレンとともに昼食をとっていたロッテは、ファルマの言葉にきょとんとする。
「それは絵描きとしての仕事の依頼でしょうか?」
「そうなんだ」
彼女は薬局職員、宮廷画家という二つの側面を持っている。薬局で使用している印刷物の挿絵の殆どは、彼女の作品だ。
「薬局で使うお薬手帳用の表紙絵を二パターン、デザインしてほしいんだ。報酬は支払うし、締切は特にないから。引き受けてもらえるかな」
「私でよいのでしょうか」
ロッテは気が引けている。
「もちろん。ロッテのデザイン画のファンだから」
ファルマに褒められたロッテの頬は紅潮し、照れをごまかすようにサンドイッチを紅茶で流し込む。
「喜んでお引き受けします。どんな感じにいたしましょう。今、手があいていますのでお伺いします」
ロッテは食事を片付けてテーブルを拭くと、スケッチブックを取り出して要望を聞く。
「大人向けの上品なのが一つと、子供向けのかわいいのが一つで……」
「なになに、ついにお薬手帳を作るときがきたの?」
食後のフルーツをつまんでいたエレンが話に加わってくる。
「ファルマ君、ずっとお薬手帳作りたいって言ってたもんね。今までは口だけだったけど」
「その通り。口だけっていうけど、忙しくて手を出せなかったんだ。他の医療機関との連携も増えてきたし、どうしようかと思ったけど、あったほうが患者さんにとって有益だと思うから整備しておきたいんだ」
お薬手帳とは、日本独特の医療情報の記録ノートで、医療機関の受診や薬の
日本以外の国では医療情報を一元化した電子システムが存在するが、ここ異世界ではそういったものが使えないので、アナログなお薬手帳は医療機関間での情報共有に役立つ。
「それ、ギルドや各医療機関で共通で使えるようにしたらどう? 配布してしまったほうが使いやすいでしょう」
エレンがそう提案する。
「いい案だね。そうしてみよう」
「わあ、ご期待に添えるようにデザイン頑張ります!」
ほどなくして、ロッテが満を持してデザインの素案を持ってきた。
「早かったね! 無理させてない?」
「描いていると楽しくて、皆さんに使っていただきたくてすぐできちゃいました」
大人向けには、色味を抑えたスタイリッシュな絵柄が何案か。
子供向けには、子供とうさぎや鳥、馬などの動物をあしらったものを用意し、中には塗り絵用のページもついている。子供目線の心遣いがロッテらしい。
「期待以上だ。やはりロッテのイラストは素晴らしいよ、お願いしてよかった」
「ほんとね。この絵柄、誰かに自慢したくなっちゃうわ」
ファルマは絶賛し、エレンもおしゃれだと
「みなさんが持ち歩きたくなるようなデザインになるよう、頑張りました」
ロッテらしく、帝都の道行く子供たちにアンケートを取って選んだモチーフだという。
内部の冊子は自分の健康状態を記載するメモを備え、機能性を持たせている。
「これって、処方箋の内容を薬師が書き込むの? 作業が増えて結構
エレンはふと、業務が増える可能性の心配をする。
もたついていると患者や客を待たせることになってしまうし、他の薬局や薬店が導入に難色を示す。客も薬師もただ面倒なだけでは、メリットを感じられない。
それこそが、ファルマがお薬手帳の導入を延期していた理由でもあった。
「薬剤別にシールや印刷物を作っておくか、処方箋か薬歴の複写紙を控えとして貼るっていうのはどう? フォーマットを作っておくよ」
「貼るだけ? それならいいかも」
ファルマの提案に、エレンも納得してくれた。
ためしに百部ほど印刷をして、まずは総本店から配布をはじめる。
お薬手帳を持参すると薬の割引をしてもらえるという仕組みも取り入れた。
お薬手帳を持参した患者による他の薬局薬店、医院からも問い合わせが相次ぎ、好評を博してたちまちのうちに普及することになった。
そしてお薬手帳の本来の機能である“医療情報の共有と患者の安全を守る”という目的も達成されつつあった。
配布が始まったあとも帝都市民からの数々の要望を聞き入れて、彼らが使いやすいように改良を続けている。
「皆さんにも喜んでもらっていますね」
「やってみてよかったよ」
新たな挑戦を続けつつ、既存の制度にとらわれず、現地の人々のニーズに即したよりよい医療の提供を追求したいと考えるファルマであった。
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