服飾師ルチアはあきらめない ~今日から始める幸服計画~/甘岸久弥

【十人目のお客様】


「打ち合わせ終わり! 服飾魔導工房に帰ってランチね」

 服飾ギルドのロビーを歩きながら、ルチアは隣へ声をかける。

「思ったより早く終わってよかったよ。昼は皆でピザだったよな、ボス」

「ええ! ダンテ、早く戻りましょ」

 来月の納品に関する打ち合わせはスムーズに終わり、昼食は工房員達と共にとれそうだ。

 そう安心したとき、入り口から茶金の髪を持つ女性が入ってくるのが見えた。

 淡い緋色のワンピースはややタイトなライン、肩を包むケープは同じ生地に部分レース、膝下でダブルのシフォンに切り換えてあり、細い足が見えるか見えないかの透け感――とてもお洒落しゃれな装いで、よく似合っている。

 その女性はこちらを見て、笑顔に切りかわった。

「あら、ダンテじゃない。変わりはなくて?」

「お久しぶりです。この通り元気にしております」

 どうやらダンテの知り合いらしい。ルチアは邪魔にならぬよう、そっと半歩下がる。

「今も魔物素材担当を? それとも副ギルド長にでもなったかしら?」

「ご冗談を。今は服飾魔導工房の方に移りまして――」

 ダンテは服飾魔導工房の副工房長なのだが、役持ちであることは言わぬつもりらしい。

 二言三言交わした後、女性はちょっとだけ声を低くする。

「ところで、ダンテは今も独身?」

「仕事が恋人みたいなものです。手一杯ですよ」

「さびしくなったら連絡をちょうだい。いつでも待っているわ」

 華やかな笑顔を向けた後、女性はロビーを過ぎていった。


 その後は自分達も服飾ギルドを出る。馬場へ歩みながら、ダンテが口を開いた。

「ボス、待たせてすまなかった」

「全然待ってないわ。さっきの方、お似合いの素敵なお洋服で、もっと見ていたかったくらい」 

「そう言ってもらえると鼻が高いな。あれデザインしたの、俺だから」

「そうなの! 統一感があるのに、ケープが部分レースのところとか、すその切り換えとか、新鮮な感じで素敵だった」

 言われてみれば、確かにダンテらしいデザインだ。

 あれだけお洒落でも、機能的できっと動きやすいのだろう。

「ありがたいことに気に入ってもらえて、あの色違いも作った。服飾師として十人目の担当客で、駆け出しの頃からお世話になったっけ……」

 十人目のお客様――それは思い出深いに違いない。

 だが、遠い目をした彼に、ちょっと気になることがある。

「もしかして、 服飾魔導工房に移ったことで、担当をやめなきゃいけなくなったとか?」

「いや、変わったのはもっと前、魔物素材担当になったときだ。今は先輩で既婚の服飾師が担当してる」

 変わった理由は納得したが、先ほどの女性はダンテに会いたがっているようで――そう思ったとき、彼が足を止めてこちらを見た。

「一応言っとくが――あの方、結婚紹介所の営業部長なんだ。独身者は話の合間、息をするように結婚を勧められる……」

「ああ、なるほど!」

 『さびしくなったら連絡をちょうだい』の意味は、仕事的意味合いだったらしい。納得した。


「ところで、ボス。結婚はともかくとして、恋愛なんぞは考える?」

「無理ー、今は仕事をこなすのだけで精一杯だもの。五本指靴下に微風布アウラテーロのアンダーに……お客様は数えられないけれど、たくさんしっかり届けなきゃ!」

 行く先にいるお客様が何人なのかはわからない。

 けれど、服飾魔導工房の量産体制をもっと安定させ、一人一人にいいものをお届けできるようにする、それが現在の目標だ。

 もちろん、それと同時に服飾師としての勉強もあるし、新しい服のデザインもしたいし、この手でお洋服も作りたい――やりたいことは山である。

「あ、ダンテ! さっきのワンピース、後で裾の切り換え処理を教えてもらえない?」

「ああ、いいとも。だが、その前にピザだ!」

「確かにそうね!」

 二人で笑いながら、馬車の扉を過ぎていく。

 先に乗り込んだルチアには、ダンテのつぶやきは届かない。

「恋はまだ遠く、服の山を越えないと始まらない、か――」

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