手札が多めのビクトリア/守雨

 

【十年目の記念日には】


ビクトリアたちがシェン国に渡り、異国での生活にもすっかり慣れたころのこと。

 昼食で出された熱々のおかゆに甘辛く味付けされた鶏肉と刻みネギをのせながら、ジェフリーがシェン国の人から聞いた話をしている。

「明日は夏至げしだが、この国では夏至の朝日を浴びると病気をしにくくなると言われているそうだよ。このへんの人たちはみんな、少し先の丘に登って日の出を待つらしい」

「素敵な習慣ね。我が家もぜひ夏至の朝日を浴びましょうよ。明日は早起きしなくては。ノンナはどうする?」

「私も行く!」

「では三人で行きましょうね」

 翌朝、まだ暗いうちに起きた三人は滞在している離れを出た。

半分寝ぼけているノンナをジェフリーが背負って歩き、丘の頂上まで続く石段を登る。六歳のノンナは背中で揺られているうちに再び眠ってしまった。

目的の丘の上にはすでにたくさんの人々が集まっていて、ジェフリーとビクトリアは人々と一緒に朝日が昇るのを待った。

 紺色だった東の空がわずかに明るくなり、朱色が混じり始める。

 人々が見守る中、カッと輝く赤い太陽が現れた。

 眼下には見渡す限りぎっしりと建物が並ぶ街並み。

わずかに顔を出した太陽は、朝もやの残る大都市を浮かび上がらせた。

 シェン国の建物はどの家も黒い瓦屋根を使っていて、黒一色の広大な街並みは、この国の国力を感じさせる迫力がある。

 ジェフリーとビクトリアは、ぴったりと並んで朝日を浴びた。

少ししてジェフリーがビクトリアに顔を近づけて「左手を」と小声で言う。理由がわからないままビクトリアが手を差し出すと、ジェフリーはノンナを左手で支えたまま、右手で懐から腕輪を取り出した。腕輪はシェン国の特産品である翡翠ひすいを削って作られたものだ。

ジェフリーが腕輪をビクトリアの左手首に通した。透明感のある柔らかな緑色がビクトリアの白い肌を引き立てる。

「ジェフ、これは?」

「一回目の結婚記念日の贈り物だ。君によく似合っている」

「嬉しい。ありがとう。でも、婚姻届けの書類を書いたのは、今日だったかしら」

「婚姻届けを書いた日はもう少し後だが、カディスの夏祭りは夏至の日だったろう? 夏至の日は君と再会できて、二度と君を離さないと決めた日だ。だから結婚記念日はこの日にしたいと思っているんだが、どうだろうか?」

 ビクトリアの心に、カディスの夏祭りの様子が思い出される。

 海面にはロウソクを載せた無数の小舟。小さな灯りを運びながら波に揺られている小舟に向かって祈る人々。今も鮮明に覚えている美しい景色だ。

「あなたと再会できたあの夜の景色、私は一生忘れないわ。そうね、私も毎年あの景色を思い浮かべながらお祝いしたい。私たちの結婚記念日は夏至の日にしましょう」

 それから毎年、ジェフリーとビクトリアは、シェン国で忙しく暮らしながらも夏至の日にささやかに結婚記念日を祝ってきた。

 そして今夜。

 アシュベリー王国の自分の屋敷で六回目の結婚記念日を祝い、プレゼントを贈りあった。ビクトリアからは翼を持つ獅子のペン置き。ジェフリーからは送り主の瞳と同じ色のサファイアのペンダント。

二人は手をつないで夜の庭に出た。

「俺はあの日君と出会えたことを神様に感謝している」

「私があのときあの場所にいたのは、ノンナを連れていたからだわ。私たちを結び付けてくれたのはノンナということになるわね」

「ああ、確かにそうだな。俺たちはノンナのおかげで出会えたんだ」

 ノンナは今夜、クラークと芝居を観に行っている。

 夏の庭に、気持ちのいい夜風が吹いている。ベンチに座っている二人は、無言でくつろいでいた。沈黙を破って、ジェフリーが話しかけてきた。

「十年目の結婚記念日は旅行に行かないか?」

「旅行? 素敵ね。もしあなたの都合がつくのなら、カディスの夏祭りを見に行きたいけれど、カディスは少し遠いわね。あなたは忙しいから無理かしら」

「いや、そのくらいの都合はつけるさ。いいね、十年目の結婚記念日にはカディスの夏祭りを見に行こう。今から楽しみだ」

「できれば……」

「なんだい?」

「二十年目の記念日も、三十年目の記念日も、あなたとカディスの夏祭りを一緒に見たいです」

 ビクトリアは、先の予定を立てることなく生きていた日々を思い出しながらそう答えた。

工作員だったころ、自分が孤独であることにも気づかずに生きていた。

けれど今は遠い先の約束する人が隣にいてくれる。

「ずっと先のことを約束できる暮らしが、これからも続きますように」

 星空を見上げながら声に出して願うビクトリア。その華奢きゃしゃな肩を、ジェフリーがそっと抱きしめた。



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