第8話 寂寥の秋

 向井田くんの小説を読むのは、その日が最後になった。

 というのも、文化祭が近づいてきたということで準備が本格的に始まり、放課後に集まれなくなったのだ。昨日まで二人きりで静かだった夕暮れの教室が、今日は十人ほど集まり随分と騒がしい。

 私はダンボールを運びながら、男子数人で作業を進める向井田くんにちらりと視線を向ける。どうやら彼は手先が器用なようで、ダンボールを型に沿って切る役を任されていた。


「なーに見てんの!」

「うわっ!?」


 何となく大変そうだなといつの間にかじっとガン見していたので、近づいてきた未来みらいに気が付かなかった。彼女は後ろから抱きつくと、私の視線の先にいる人物に興味を向ける。


「あー向井田? 最近放課後二人きりで何かしてたもんね。好きなの?」

「はあ? なんでそうなんの。別になんとも思ってないってば」

「えー怪しー」


 恋バナが何よりも大好きな未来は、彼氏ができないといつも嘆きながら、私に好きな人がいないのか聞いてくる癖がある。けれど、向井田くんはそういうのではないし、二人で残っていたのも彼のお手伝いをするためだ。そこにやましい気持ちなど、微塵も存在していない。


 ――そう、そんな気持ちは決して。


 だから、少しだけ寂しいと感じるのも、きっと私の気のせいだ。


「これ、持ってきたよ」

「ああ、うん。ありがとう、浅倉さん」

「いーえ」


 私は疼く心に蓋をして、今日も彼の隣で息をする。



 ***



 そしてついに、文化祭当日。

 今年は何やら三年に一回開催される「未成年の主張」があるらしく、来校者の数は去年よりぐんと右肩上がりになっている。その人の波は私たちのクラスにも訪れ、最近の人気キャラクターと写真が撮れるフォトスポットは朝から大好評だった。

 シフトの時間帯が一緒の未来とは、これが終わったあとに文化祭を回る約束をしている。私は特に行くあてはないのだけど、どうやら未来はお目当てのイケメン先輩のステージが見たいらしく、昨日から興奮が収まらない様子。

 相変わらずだなと苦笑しながら、手に抱えたチェキのシャッターボタンを深く押す。数秒してやがて出てきたそれは、笑顔で写るうちの学校の制服を着たカップルの姿だった。妙に心臓がどきりと鳴る。同時に、羨望の目で彼らを見ていた自分に気がつく。

 ああ、嫌だ嫌だ。別にそんなこと望んでいるわけではないのに。ただ私は、彼と過ごすあの時間が心地よかっただけなのに。

 恋とは、時間が経てば経つほど人を貪欲にさせるもの。私はそうはならないと心のどこかで思っていたから、相手に何かを求める自分に心底嫌気が差した。


「よーし終わった終わったー! 先輩ステージ見に行こ!」


 キュッとスカートの裾を握っていると、またもや未来が後ろから話しかけてきた。こんな醜い姿見せられないと慌てた私は、即座にパッと手を離す。


「いや十一時半からでしょ。それまでに何か食べにいこ」

「あ、そうだった。いこいこ!」


 淀んだ心に彼女はいつだって光を差してくれる。部活の件も、未来がそばにいてくれなかったらきっと今頃不登校になっていたことだろう。性格も好きなものも全く違うのに話しやすい。

 これを俗に親友と呼ぶのだろうと、心のなかでひっそりと思った。



 文化祭も終わりの時間が着々と差し迫ってきている。隣でアイスクリームを頬張る未来は先輩のステージを見て満足したらしく、その後はずっと口を動かしていた。一口いる? と何度か聞かれたが、お昼に食べた焼きそばでお腹が満たされたため首を横に振った。

 外にある三年生の出店から下駄箱に戻ろうと中庭を通ろうとした時、異常なまでに人でごった返していて、何事だと周りを見渡す。視線を上にずらすと、どうやら大人気の未成年の主張が始まったところらしく、屋上から男子生徒がうちに秘めた想いを叫んでいた。


「わお、大胆〜」

「……」


 小学校の頃から一緒だった女子生徒に勇気を出して想いを告げる男子生徒に、未来は歩きながら素直な感想をこぼす。私といえば、また朝のように一人沈んだ気持ちで、人の間を上手く縫いながらすり抜けていた。


 そんなんじゃないんだからとつまらない意地を張ってないで、さっさと伝えれば事が済むのに。

 いやそれができたら苦労しないと、自分で自分の意見に反発する。


 遅すぎたのだ、何もかもが。もうきっと、これ以上彼と関わることは少なくなるのに今頃気持ちを自覚するなんて。

 だから彼とは今までと同じく、ただの友人関係で終わる。卒業後はどうせ会わないんだ、それでいい。いや、それがいいのだ。


 はしゃぐ未来を横に、私はずっと場にそぐわないテンションで人の間を通り続けた。



 あんなに派手に飾り付けた教室も、終わってしまえば案外呆気ない。この祭りの後の静けさが、私はやはり好きだった。

 未来は塾があるらしく、文化祭が終わってすぐさま教室を駆け出していった。楽しいことがあったあとにもきちんと勉強もするから、あれでも彼女は成績が良いのだろう。


 久しぶりに取り戻した、この放課後の沈黙の時間。いつも隣にいた彼は帰ってしまっていないけれど。

 外で鳴くカラスの声が、自分の机に突っ伏せている私の耳に届く。心なしか、もう帰れと言われている気がして、苦笑いを浮かべながら重い体をのっそりと浮かし机の横にかけたリュックを背に乗せた。

 カラスの言う通り、今日はもう素直に帰ろうか。


 そんなことを思った矢先に教室のドアがガラリと開いた。


「…………あれ、向井田くん?」

「あ、良かった。残ってた」


 帰ったんじゃ、と薄ら呟いた言葉は、ちょっと物を取りにね、という言葉になって返ってくる。何を取りに帰ってきたのだろう。それを聞くのは不躾に思えて、慌てて飲みのんだ。

 ガサガサと何かを取り出そうとする向井田くんの横で、一度立った席に何となく座り直す私。

 もうあの時間は終わったのに、まだ恋しく思っているのだ。それは多分、私だけだろうけど。


「……ねえ」


 小さく呟いた彼の声がやけに耳に響く。



「付き合ってよ」


 ――向井田くんの後ろから真っ赤な夕日が顔を覗かせて、彼の顔を黒く染める。表情は見えなかった。何を考えているのかも、私には到底理解できるはずがなかった。

 時間が止まったように思えた。息をするのも忘れるくらい、言われた事が衝撃的だったのを覚えている。

 数秒経って、動かない私に「浅倉さん?」とまた顔近くで覗き込まれたことでようやく意識が覚醒した。


「あの、えっと……。嫌じゃないんだけど、さ。でも私にも心の準備っていうのがあって、ですね……」


 ゴニョゴニョと口ごもる私に、何かを察したらしい向井田くんは大きくため息をつく。


「付き合うって、二作目もってことなんだけど」

「……へっ!?」


 まさか、またやってしまったのか。


 デジャヴなんだけど、と呆れる彼をよそに、私は今何を言ったのかと数秒前の自分を心底恨む。これでは、まるで告白されたと勘違いされて舞い上がっているただのアホではないか。


「そんなに付き合いたいの? 俺と」

「ち、違うし! 別にそんなんじゃ……」

「ふーん」


 きっと、彼の言う二作目の手伝いをしつつ、しばらくはそのことを真顔でいじられるようになるのだろうと私は覚悟した。

 けれど、なんだかんだ言ってそんな向井田くんと過ごせる放課後が戻ってきた事が、私は何よりも嬉しかった。

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